スレチガイ 下
東京都三竹市黒川四ー十三ー十二。
それがナズナの今の家の住所だった。
「もしかしたら引っ越しちゃってるのかもしれないけど。電話に出なかったから」
「わかった、ありがとう」
私は住所をメモしたスマホを、持ってきた小さめのリュックの中に押し込んだ。
現在時刻はニ時。というか十四時だ。
行ける。
「ごめんさっち。私行かないと」
財布からお金を取り出して、同窓会の費用分を置く。さっちが驚いたように言った。
「え?どこに?まさかナズナの家?なんで?」
「岡野!」
「どうした?」
「私行かなきゃいけない場所があるの。だからごめん。一人で帰ってくれる?」
「え、そりゃいいけど…。今から行くのか?」
「そう。じゃあみんな、元気でね。また来るから。今日はありがとう」
「あ、うん」
「元気でね…」
私は手を振ると急いでお店を飛び出した。出ていくとき、誰かに呼び止められた気がするけれど、今はそれどころじゃない。
ナズナが、死んでいるかもしれないのだ。
靴をしっかり履くと駅まで全力で駆け出した。
駅について電車を待っている間、震える手をなんとか抑えてスマホで検索をかける。
「三竹市黒川死亡事件」
これは何件かヒットしたけれど、ナズナらしき人はいなかった。ひとまずほっとする。
「三竹市黒川死亡事故」
一番上に出てきた記事を見て、心臓がぎゅっと掴まれた気がした。
六月六日。東京都三竹市黒川二丁目で女子中学生がトラックにはねられて死亡。
原因はトラックの信号無視。女子中学生は即死だったようだ。
記事は全部見たけれど、女子中学生の名前は書いていなかった。
(ナズナだったらどうしよ……)
体が小刻みに震えるのがわかる。目もくらくらしてきた。
(三竹市までの行き方…調べないと)
その時、駅のホームに誰かが走って降りてくる足音が聞こえた。
「藤本!」
「岡野、なんで」
岡野は階段を降りると肩で大きく息をつきながら言った。
「佐藤のとこ行くのか」
「…覚えてるの?」
「覚えてる。でも、藤本さ。佐藤と前みたいに仲良くなくなっちゃっただろ」
「…うん」
「それ、俺が佐藤に告白したせいなの?」
「別に、そういうわけじゃ…」
「俺も行くよ」
「いやでも」
岡野の顔を見たとき、思わず心臓が跳ねた気がした。それほど真剣な顔をしていた。
そのとき電車が来た。岡野と隣り合って座ると、私は全てを話す覚悟を決めた。声がうわずらないように、スカートをぎゅっと握りしめる。
「あのね。ナズナ、死んでいるかもしれない」
「…え?」
私はあの横断歩道のことから、全てを話した。ミキエや明美は私と同じく幽霊を信じている方だったけど、岡野はわからない。それでも、一生懸命に、泣かないように話した。
話し終わった後、案の定岡野は難しい顔をしていた。でも、
「わかった。信じるよ」
と言ってくれた。
「でもこれが本当かわからないし、この記事がナズナかもわからない。それを確かめに行く。多分このまま帰ったら行けない気がする」
「そっか。じゃあやっぱ俺もついてく。心配だし。行ってもいい?」
「うん。お金ある?」
「元々必要なお金と余分に五千円くらい持ってきてた」
「私も持ってきてた。じゃあ東京に戻ってからの行き方調べてみる」
「うん」
東京都三竹市は私が住んでいる市から二つほど離れたところだった。私の家の最寄駅から電車で片道三十分といったところだ。
電車に乗っている間、基本私と岡野は無言だった。というより私が上手く呼吸が出来なくて話せる感じではなかった。
でも、今聞きたいことがあったのでこれだけは岡野には質問した。
「ねえ、ナズナはなんて返事をしたの?」
「告白したとき?」
「そう」
「曖昧な言い方だったけど、多分断られた。三ヶ月後に自分が転校すること俺もう知っていたから言えるうちに言っとこうと思って」
「曖昧な言い方ってどんなのだったか覚えてる?」
「ごめん。みんなにはまだ秘密だけど私、多分転校するんだ。もしそうじゃなかったらわからなかったけど。って言われた気がする。俺も転校するしオーケーされるとも思ってなかったから、最後のサッカーの試合は見にきて欲しいって言ったらうなずいてくれた」
でも結局、見にきてくれなかったんだけどな。
岡野がポツリと呟く。
ナズナは気が弱いところもあったけど、確かな芯もあった。私が一番それを知っている。普通ならそんな断り方はしないはずだ。
(ナズナも岡野が好きだったの?)
私はそれに気づけなかった。
サッカーの試合に行かなかったのも私とあんなことになってしまったせいなのかもしれない。
告白を曖昧だけど断ったのは、転校するのもあったかもしれないけど、私に対する遠慮もあったはずだ。
告白されて、すごく嬉しかったはずなのに。
私も岡野のことが好きだったから、自分も岡野のことが好きなんだとナズナは言えなかったんだ。
私に嫌われないように自分の思いを隠して来たのに私はあの時、すれ違ってしまったんだ。
(ナズナに謝りたい)
「俺、佐藤に謝りたいんだ」
岡野が言った。
「俺のせいだから」
岡野のせいじゃない。でもそれを口にだすようなことはしなかった。
こみあげてきた涙を拭って、電車を降りた。
それから新幹線に乗って、東京に着いた。
そこから三竹市まで行くのは私と岡野にとって大冒険だった。それでもスマホで必死に調べて電車を乗り継いで、なんとか三竹市の駅に着くことができた。
ここからバスに乗る。降りるのは黒川四丁目だ。
(どうか、ナズナが生きていますように。謝ることができますように)
そう願いながら止まるボタンを押した。
グーグルマップを使ってナズナの家を探す。
時刻はもう五時になろうとしていたが、夏なのでまだ明るかった。お母さんに「ごめんなさい。色々事情があって遅くなる」と連絡して、通知をオフにした。
「あ、あった!」
白い壁に灰色の屋根。黒い車。
マップにでてきたナズナの家で間違いない。
「表札!」
表札に目をうつすと、ちゃんと「佐藤」と書いてあった。
「よかった、引っ越してなかった…」
そのとき、家のドアが開いた。突然のことに驚いて固まってしまう。
中から出てきたのは私たちとそんなに年格好の変わらない男の子と…ナズナのお母さんの加代子さんだった。
「今日はありがとうね」
「こちらこそ、ありがとうございました」
二人とも泣き腫らした声をしている。
心臓が、嫌な音をたてる。
「あ……」
思わず声がもれた。
二人がこちらを向いた。
写真の中のナズナは、小学校の時よりももっと綺麗になっていた。
思ってたとおりのさらさらの長い髪。でも、控え目な微笑みかたも左頬のほくろも変わっていなかった。
「ごめんね美咲ちゃん…あまりにも突然すぎて…連絡をいれる余裕もなかったの…ごめんね…」
仏壇のとなりで加代子さんはすすり泣いた。
「加代子さん、謝らないでください」
震える声で言いながら、仏壇の前に膝をついた。岡野も泣きながら隣に座る。
「ナズナ…」
死んじゃうなんて。生きているナズナにもう会えないなんて。
そんなの、あんまりだ。
今日は六月六日からちょうど四十九日目。
ナズナの骨は、もうお墓の中に納骨されてしまっていた。
ナズナの写真を手にとって胸に抱き締める。
「ごめんなさい…」
ポタポタと畳に冷たい雫が落ちる。
「ごめんなさい…ナズナ、ごめん…」
泣きすぎて目は充血して、瞼が腫れぼったくなってしまった。
岡野も同じようで、お互い顔を背けているような状態になっていた。
加代子さんが冷たいお茶とタオルを出してくれる。お礼を言ってタオルを目元にあてた。
ひんやりとして、気持ちがいい。
「美咲ちゃん、岡野くん。ナズナの仏壇にお線香をあげてくれて、ありがとうね。ナズナも喜んでいるよ」
「はい…ありがとうございます」
「もう結構遅いよね、今日は泊まっていく?」
「大丈夫です。家、すぐ近くにあるので」
「俺もそうです」
「そうね、引っ越したって聞いてたわ。じゃあ礼子さんには私から連絡するね。岡野くんのお母さんの連絡先は知らないのだけど…」
「あ、連絡しているので大丈夫です」
「そっか。じゃあ二人とも気をつけて帰ってね。今度ナズナのお墓にもお参りにきてね」
「はい」
外に出ると、さすがに暗くなっていた。
涼しい風が、喉もとをかすんで髪をかきあげていく。
「…帰ろっか」
「そーだな」
今は何故だか不思議と、心が落ち着いていた。
バスに乗って駅に戻ってから、そのまま私たちの家の最寄駅まで向かう。
最寄駅から歩いて帰る途中、岡野が急に手を繋いできた。
少し驚いたけどなにも言わずに手を握り返した。恋人繋ぎじゃなかったけれど、今の私にはそれで十分だった。
「家まで送るよ」
「ううん、私やらないといけないことがあるの。だからここまでで平気。今日は本当にありがとうね」
「ああ…そうか。じゃ、またな」
岡野は軽く手をあげると家の方に帰っていった。私は一度、目を瞑ると横断歩道の方に歩きだした。
今日は夜遅いせいか、だれもいない。私一人だけだ。でも。
サラサラの髪。黒いワンピース。
やっぱりいた。
「ナズナ」
呼び掛ける。
信号が青になった。
その子がこちらに歩いてくる。私も歩く。
今度はすれ違わない。絶対に。
「ナズ…」
もう一度呼ぶ前にぎゅっと抱き締められた。
冷たい。すごく冷たい。でもナズナなら平気だ。
幽霊も人間に触れることができるのか、と少し驚きながら私も抱き締め返す。
「ナズナ、あのね」
「やっと二人になれたね」
「………え?」
耳元で聞こえた声は、ナズナの声じゃなかった。随分聞いてないけど、ナズナの声を間違えるはずがない。
その子は腕を私の腰にまわしたまま、顔だけ正面にうつした。前髪で目は見えないけど、左頬にほくろが…ない…。
急に恐怖を覚えて離れようとする。でも、その子の白い腕がギリギリと腰に食い込んできた。
体の異常な冷たさが、気持ち悪さに変わっていく。
「っ…あなた誰なの!?」
「私?私はねえ…うふふふふふふふふふふふ」
狂ったようなな笑い声をあげながら片手で前髪をかきあげる。逃げようとしたけれど、もう片手の力が強すぎてダメだった。
そして見えた顔に、私は絶句した。
「………園子!?」
「あははははははははははははははははっ」
さっきの園子と顔は同じだけど乱れた髪や血走った目や白い肌が、電灯に不気味に照らされている。
「なんで園子がここにいるの!」
「私は本体じゃない。だからここに来れるの」
一瞬で生き霊という考えにたどり着いた。ミキエからよく聞いている。
『生き霊は生きている人間の恨みや怨念が具現化して自由に動き回るもの。取り憑いたり呪ったり、場合によっては別の生きている人間に干渉もできるらしいよ。本体の人間は全くの無意識であることがほとんどなんだって』
「やだっ!離して!」
「離さないよ。同窓会の話がでてからずっと、美咲を殺す機会を狙ってたんだから」
「え……」
「美咲が一人で帰るのをずっと狙ってたけど、周りには人が多かった。岡野くんは見えなかったみたいだけど、世の中には見える人だって多い。でも今日は…誰もいないでしょ?」
だあれも助けてくれないよ?
園子がニタリと笑う。
あまりの恐怖に膝がガクガク震える。悲鳴をあげようにも、声がでない。
「なんでこんなことするの…」
涙声で聞くと園子が急に低い声になった。
「宮本くん」
「宮本?」
「私、小学一年生のころからずっと宮本くんが好きだった。でも諦めていた」
「何で…」
「宮本くんがずっとあんたのことが好きだったからだよ。気づかなかったの?」
「え…」
「私はずっと見ていたから知っている。でも小学五年であんたが転校した。やっとチャンスが来ると思ったのに…」
腕のしめつけがますます強くなる。声にならない悲鳴をあげる。
「宮本くんはあんたが転校した後もずっとあんたが好きだった。それどころか今日の同窓会で告白しようとしてたんだよ。私が教室の外で宮本くん達の会話を聞いていたから間違いない。あんたはどっか行ったけどね」
今日、お店を出ていくときに誰かに呼び止められた。あれは宮本だったのか。
『今日の同窓会、俺が計画したんだ』
宮本の顔が脳裏によみがえる。でも今は本当にそれどころじゃない。
「本当はあんたが同窓会に来る前に殺すつもりだったけど、無理だった。でもあんたは宮本くんに告白される前に帰ってくれた。それに今ここには人がいない」
絶対に殺してやる
そう聞こえた瞬間、左側から明るい光が見えた。
(トラック…!!)
「離して…!お願い…こ、こんなことしたって意味がないでしょ…!」
「意味ならあるよ。もし宮本くんが私を好きじゃなくても、宮本くんの好きな人がこの世にいなくなるんだからさ」
「これは…そ、園子の意志なの?」
「さあ?でもいいの。私はやりたいようにやるだけ。園子の一部分であることは変わらないしね」
信号はすでに赤になっていた。トラックはどんどんどんどん迫ってくる。
さんざん暴れても、園子は笑いながら離してくれなかった。しかも暴れれば暴れるほど、腕の食い込みは深くなる。
マーカーランプで目がくらんだ。
(もう…駄目だ!)
そう思ってぎゅっと目を瞑った。
でも来るはずの衝撃は来なかった。
「………?」
恐る恐る目を開ける。
私は自動販売機近くのベンチの側で投げ飛ばされるような形で座っていた。
トラックはと言うと、通りすぎて左側に行っている。
(何が起きたの!?)
横断歩道に目を戻してみる。
「…………!!」
そこには、写真の中にいた白いワンピースを着たナズナが微笑みながら立っていた。
「美咲ちゃん。久しぶり」
私はナズナとベンチに座った。
ナズナからもやっぱり冷気を感じる。本当に幽霊になっちゃったんだな、と少し悲しくなった。
「ナズナが助けてくれたの?」
「うん。美咲ちゃんに守護をつけたの。結構強いのつけたから多分、園子ちゃんの生き霊はもう美咲ちゃんに干渉できないと思う」
「そー…なんだ」
少し沈黙が流れる。私はさっき言おうとしたことを、もう一度言おうとした。
「あのね、ナズナ」
「わかってるよ」
ナズナは優しく言った。
「美咲ちゃんの言いたいこと、全部わかってる。さっき仏壇に来てくれたでしょ。そこで全部伝わったよ」
目から涙が溢れてくる。
さっきの涙とは違う、優しくて暖かい涙だった。
「ナズナ、ごめん」
「ううん。私もごめんね」
泣きながらナズナに抱きついた。冷たかったけど、でもどこかあたたかかった。
「私、今日の真夜中に成仏しちゃうの。四十九日目だから」
「そう…なの」
「だから、成仏する前に美咲ちゃんに会えて本当に、本当によかった」
ナズナもどこか涙声になっていた。
「あとは帰りに彼氏とお母さんとお父さんにもう一度会ってから、成仏するつもり」
「彼氏?」
「うん。中学に入って彼氏ができたの」
私は今日ナズナの家に行ったとき、男の子が出てきたのを思い出した。あれはナズナの彼氏だったのか。
「美咲ちゃんと岡野くんが仏壇に来てくれたとき、美咲ちゃんになにかおかしな気がついてるなって思ってここまで着いてきちゃったの。でも美咲ちゃんを守れてよかった」
「ナズナ…」
「岡野くん。今は美咲ちゃんのことが好きだと思う。だから、頑張ってね」
ナズナは近くにあった時計を見て、申し訳なさそうに言った。
「ごめんね。時間がないからそろそろ行かないといけないかも」
「ナズナ!」
ナズナがこちらを振り返る。
私はこれが最後だ、と思って目を閉じた。
ナズナへの想いを全て言葉に乗せた。
「ナズナ、今までありがとう」
多分泣いていたから、ひどい顔だと思うけど。
精一杯笑った。
「大好きだよ」
「うん」
電灯にナズナの姿が照らされる。私にはそれが天使のように見えた。
「私も大好き」
白いワンピースが塵になるように空気に溶けていく。ナズナは今まで私に見せた中で、一番綺麗な笑顔を見せた。
「今までありがとう。天から、見守ってるね」
そしてふうっと消えてしまった。
静寂だった空間に、再びセミの声がもどった。
八月一日。
空は快晴だ。
あの夜、帰ってからまたひどくお母さんに怒られたけどそれでも心は随分晴れやかだった。
さっちに謝罪と、ナズナのこと、夏祭りに岡野とまたそちらへ行くというラインをした。園子や宮本のこともそこでなんとかするつもりではある。
園子といつも通り接することができるか不安もあるけれど多分本人は無意識だし、仕方がないことだと思う。それに多分なんとかなる。
だって私はナズナという最強の味方がいるんだから。
朝起きて簡単な朝食を作った。今日は土曜日だからお母さんもお父さんもまだ起きてこないだろう。
これから岡野と二人で遊びに行く約束があるのだ。待ち合わせはまだ先の時間だけど、明美がお化粧や着ていく洋服を厳選するために家まで来てくれるという。
軽い掃除でもしようかな、と自分の部屋に入るとナズナがくれた写真立てが目に入った。
それから二時間半後。
すっかり明美と準備を整えた私は鏡の前でひとまわりして我ながらいい感じ、とうなずいた。
そのまま玄関に向かう。
外に出る前に、私は写真立てに
「行ってきます」
と声をかけた。
写真立ての中には、笑顔の二人がいた。
スレチガイ
~完~
最後まで読んでくださってありがとうございました!最後はちょっと時間が間に合わず勢いで書いたのでいたらない点も多いと思いますが、修正を加えたりなどしていい文章にしていきたいです…!
これからもよろしくお願いします。