9・二つ目の手掛かり
問題編はあと一話ありますが、この話でもう真相にたどりつけます
自分は、真っ暗な道路を歩いていた・・・。街灯もない・・・、月の光も差し込まないような街路樹・・・。後ろから、誰かの足音が聞こえた気がした・・・。しかし、後ろを振り向いても誰もいない・・・。また、自分は歩きだした。
また、足音が聞こえ、振り返る。しかし、やはりそこには誰の姿もない・・・。いよいよ耐えられなくなって、全速力で駆けだした。すると、相手も同じく速く走る・・・。
助けて・・・、誰か助けて・・・。多大な恐怖が自分を襲ってくる・・・。足音はどんどんと近づいてくる・・・。何故その足音を怖がるのか・・・?その音が、誰の物かも分からない。しかし、自分はそれに捕まれば死んでしまう・・・。そう予感していた・・・。
とうとう、足音が真後ろまで来る。怖くて後ろすら振り向けない・・・。自分にできるのはただ走る事だけ・・・。
もう駄目だ!そう思った時だった。
「起きなさい、栞!」
母親の声で、栞は悪夢から覚めた。体全身が汗にまみれ、シャツがビショビショになっていた・・・。
(嫌な夢・・・。)
上半身を起こし、一つ深呼吸をすると母の方を向いた。母は、心配そうな顔をして栞に尋ねた。
「どうしたの?酷くうなされてたけど・・・。」
「な、何でもないよ・・・。」
「・・・それならいいけど。あ、電話よ。栞に。」
そう言って、栞の母親は片手に持った電話の子機を栞に見せた。
「電話・・・?一体誰から・・・?」
「岡本っていう刑事さんらしいけど・・・、」
それを聞いた瞬間、栞は母親の手から電話をひったくる。母は、娘のその行動に呆気にとられる。しかし、栞はそれどころではなかった。
「もしもし!岡本さん!栞です!」
「栞さん?大変な事になりました!迎えの車をよこしましたので、すぐに来てください!」
「え?あの・・・、どういう事ですか?」
「駐在が襲われたんです!昨日、ハンカチを届ける最中!」
「え・・・?」
一瞬、何を言われたのか分からなかったが、少しの間の後、栞はその言葉を理解する。そして驚嘆の声を上げた。
「え~~~!」
その声に近くにいた母も、電話越しの岡本も驚く。
「と、とにかく・・・、すぐに来てください・・・!」
「わ、分かりました。」
電話が切れると、栞はすぐさまビショビショになったシャツを着がえだす。その様子に、母親は、茫然と見つめていたが、すぐに我を取り戻す。
「え、えっと、何で警察から電話が・・・?」
そう尋ねる母親を無視し、栞は着替えをすすめる。着替えが終わると、栞は床に放っておいたウェストポーチを腰につけて、部屋を出る。
「ちょ、ちょっと、一体何処に行くの?」
「ちょっと、警察まで・・・。」
栞は、靴を履きながら答えた。腕時計を身につけながら、今の時刻を確認する。
午前十二時。昨日寝たのが午前六時半頃で、昨日の夜は皆と一緒に買ったパンを一つ、二つしか食べていなかったが、あの事件と、先程の悪夢のせいで何かを食べようという気持ちにはならなかった・・・。
そして、外に出て車が来るのを待つ・・・。昨日の天気とは違い、空は雲一面でじめじめとしていた。
少し待つと、黒い車がやって来て家の前で止まった。運転席側のサイドウインドウが開き、岡本とは違う若い男が「乗ってください。」と言ってきた。
栞はそれに従い、車の後部座席に座る。そこには、既に純と涼が座っていた。見てみると、助手席には鳥辺が腰をかけている。
全員、言葉を交わさず座っているだけであった・・・。栞はエアコンのかかった車内を見渡し、昨日と違う車である事を認識する。
全く同じ車種で、同じ黒色(夜中だったのでそう見えただけだったが。)だったが、内装は岡本の車よりも新しかった。
それに、乗った瞬間こそ気がつかなかったが、昨日の岡本の車はヤニ臭かったのだが、この車は牛革の匂いで満ちている。
十分程して警察署につき、昨日と同じ部屋に案内される。そこには、昨日と同じ位置に座っている岡本と、その左隣に岡本よりも少し若い男が腰を落ち着かせていた。
その男は頭に包帯を巻いており、普通のスーツ姿の岡本と違い、これぞ警察といったあの青い制服を身に纏っていた。普段は明るく優しそうな顔をしているが、今は俯いて暗い顔をしていた・・・。それを見て、純はすぐさまに電話の内容と結びつき、犯人に襲われた駐在なのだろうと確信をもった。
岡本は、ドアが開くとそこから出てきた四人を目で確認し、四人に座るよう促した。四人も昨日と、それぞれ同じ位置の席に着く。
成瀬は、四人が座っても顔を上げる事は出来なかった・・・。頭の傷が疼くたび、後悔の念が彼を襲った・・・。
成瀬が気付くと、そこは既に病院のベッドの上であった。その白い空間の中で聞いた岡本の話によれば、成瀬がなかなか来ない事を不審に思った岡本が、交番に向かっている最中に倒れているところを発見されたらしい。
幸いな事に、傷はそれほど深くはなく、脳にも障害は認められなかったそうだ。医者には、病院内で安静にしておくようにと言われたが、正直、いてもたってもいられず、岡本の説得もあって無理を言って出てきたのだ。
(くそっ!)
成瀬は、拳を握りしめた。それはもう、掌から血が出るのではないかというほど、強く・・・!
岡本は皆が座ったのを確認すると、重く低い声で話し始めた。
「皆さんにも、電話でお伝えした通り・・・、こちらの成瀬が何者かに襲われました・・・。そして、
昨日手掛かりになると思い、成瀬に運ばせていた被害者のハンカチを奪われてしまいました・・・。」
「え・・・?」
電話では、まだ伝えられていなかったその事実に、皆が言葉を無くした・・・。
成瀬も岡本の言葉を聞いて、歯を食いしばる・・・。余計な事をしなければ良かった!先輩の負担を、少しでも軽減しようと自分から行く事を押しとおしたのに・・・。その結果がこれだ!負担を減らすどころか、逆に迷惑をかけてしまった!
時間が経てば経つほど、成瀬の心の内を後悔が侵していった・・・。
岡本は、驚いた皆の顔を今一度見渡し、更に声のトーンを落として続ける。
「落ち着いて・・・、聞いて欲しいのです。成瀬はこの鞄の中にハンカチを入れていたのですが・・・。」
そう言いながら、岡本は一枚の写真を懐から取り出し、皆に見せた。その写真には、茶色の肩掛けバックが青色をバックに映っている。
「この中には、彼の財布も入っていたのですが・・・、そちらは盗まれていなかったんです・・・。」
「え、どういう事ですか・・・?」
栞は、岡本の言わんとしていた事がよく分からず、思わず聞き返した。
ただ涼には、見当がついていたので、黙って岡本の言葉を待った。
岡本はできるだけ、相手にショックを与えないような言い回しを考えながら、煙草に火を点ける。
「つまり、ただの物取りではなく、ハンカチだけを狙って犯行に及んだ、という事です・・・。つまり、この事件はエマさんの件と同一犯の可能性が非常に高いのです・・・。
で、ここからが問題なんですが・・・、」
「あれ・・・?」
いよいよ、本題に入ろうと岡本が言いかけた時、鳥辺が何かに気づいたように声を上げた。
「ちょっと、失礼・・・。」
そう言って、鳥辺は横に座っていた栞のウェストポーチに手を伸ばす。栞、他四人はその様子を不思議そうに見つめた。そして、鳥辺が手を戻すと、その指と指の間には小さく、丸い黒い物体が部屋の光に浮かび上がっていた・・・。
「何でしょう、これ・・・?ウェストポーチについていたんですけど・・・。」
「え?」
鳥辺の疑問に、栞は自分のウェストポーチを見詰めた。他の全員は、鳥辺の持っている黒い物体に視線を注いでいる・
「ちょっと、見せてください・・・。」
岡本は灰皿で煙草をもみ消し、机から体を乗り出して、青いハンカチをのせた手で鳥辺の手からそれを受け取る。しばし、その物体を睨んでいたかと思うと・・・、岡本はぼそりと呟いた・・・。
「・・・盗聴器だ。」
「・・・!」
その場にいた全員が、その一言で言葉を失った・・・。酷く重たい沈黙が・・・、その場を漂う・・・。
その沈黙を、最初に破ったのは栞であった。
「え・・・、えええ!盗聴器なんて・・・、一体、何時の間に・・・?」
また不思議そうに、ウェストポーチと盗聴器を交互に見る・・・。岡本は、その盗聴器を中に入れたまま、丁寧にハンカチを折りたたんだ。
岡本は内心、非常に悔しがっていた・・・。クソッ!容疑者が絞れると思っていたのに・・・。
そう、駐在を襲った犯人は・・・、間違いなくエマ・ジョエリを殺害した人間と同一人物だ・・・。
なら、どうやって犯人は、駐在が被害者のハンカチを持っている事を知り得たのだろう・・・?
そう、その事を知っているのは自分と駐在を除けば、白川、前神、浜崎、鳥辺の四人しかいない・・・。
だからこそ、病院に無理を言って成瀬を貸してきてもらったのだ。成瀬が、四人を見れば誰が襲ったのか分かるかもしれない・・・。そう思ったからだ。
しかし、そこに盗聴器が入ってくると話が変わってくる。これでは・・・、犯人を絞り込む事が・・・。
(ん・・・?待てよ・・・。)
そうだ・・・。それでも、犯人は浜崎のウェストポーチに盗聴器を仕掛ける機会のある人間に絞り込める・・・。
それと、もう一つの疑問・・・。何故、犯人は被害者のハンカチを盗む必要があったのか・・・?
これらの疑問が急速に岡本の頭の中で回り始める。そして、ゆっくりと、その形を構成していった・・・。
(それじゃあ・・・、犯人は・・・!)
岡本はハッとなって、前に座っている容疑者四人の顔を見渡す。
(いや、これはまだ・・・、推測にすぎない・・・。もっと、決定的な証拠が無いと・・・。)
岡本が一つの形を構成し終えたのに対し・・・、涼の頭の中は混乱していた・・・。
(何でだ・・・?何故・・・?)
涼は少しでも手掛かりが欲しく、俯いて黙ってばかりいる成瀬に質問をした。
「あの・・・、成瀬さんでしたっけ・・・?」
「あ、はい・・・。何でしょう・・・?」
「聞きたい事があるんですが・・・、昨日・・・、いや、昨日から今日の深夜、誰か交番を尋ねに来ましたか・・・?」
成瀬は少し考えた後、口を開いた。
「いえ・・・、誰も・・・。」
「なら、あの・・・、ハンカチに何かついていませんでしたか?そう、例えば血痕とか!」
「いや、そんなの付いてなかったし・・・。少し砂埃で汚れてたけど、特に何もついてなかったよ。」
「そう・・、ですか・・・。」
涼は、少し残念そうな声でそう漏らした・・・。
(クソ!やっぱり・・・、何も分からない!)
涼は帽子を脱ぎ、それを弄びながら必死に考えた。岡本も新しい一本に火をつけ・・・、悩む。
「何か・・・、被害者の持ち物が見つかれば・・・。」
岡本がそう漏らした時だった。涼の頭に、一つの事が浮かび上がる。涼は手を止め・・・、気がついたら叫んでいた。
「栞!口紅は?」
「えっ!」
急に呼ばれて、素っ頓狂な声を上げる栞。他の人間も、涼の突然の声に訳も分からず唖然としている。そんな様子の純と栞に涼は、大声で説明を加えた。
「ほら!エマさんがいなくなった後に、席に落ちてただろ!口紅が!」
「え・・・、えっと・・・、あっ!」
二人は、少し考えた後、同時に声を上げた。残りの三人は未だに呆然としている。
栞はすぐさま、自分のウェストポーチの中を探った。そして、中から一つの筒状の物を取り出し、それを純達に見えるように持ちあげた。
そう、それは、昨日の夜、エマが立ち上がり・・・、その後、ベンチの上にあった彼女の口紅であった・・・。
「それは、何ですか・・・?」
岡本は、訳が分からなく疑問を口に出した。しかし、鳥辺は、その口紅に気づいたらしく声を漏らした・・・。
「それって・・・。」
「エマさんの口紅です・・・。」
それを聞いて、岡本は目を見開く。
「それは本当ですか・・・?」
岡本は一瞬信じられなくて、そう聞き返した。確かに・・・、それが本当であれば、岡本の推測が正しいかどうかを判断できるが・・・。
「これは・・・、彼女がいなくなった後に、ベンチの上で転がっていました・・・。これを、一回彼女は僕達の前で出して使っていますから、彼女の物だとすぐに分かりました。それで、交番に届けようと思って拾っておいたのですが・・・。」
涼はそう言いながら、それを岡本のハンカチを乗せた手に置く。そう、日常とは違う大人びた口調で・・・。
岡本は、先程と同じく、ハンカチを丁寧に畳み、それを包む・・・。
(鑑識に渡さなければ・・・。盗聴器と一緒に。)
岡本は、先程涼の言った言葉を一字一句聞き逃さなかった・・・。そう、使ったところを見た・・・。と言う事は、うまくいけば唾液が検出できる。
(それが無理でも、指紋の鑑定はできる。)
そう思いながら岡本は、ハンカチの上から、口紅の筒を撫でた・・・。
「あの・・・、」
愛おしそうに、口紅をハンカチ越しに見る岡本に、純が少し遠慮がちに口を開く。
「たがが口紅で、何か分かるんですか・・・?」
岡本は、それを話すべきかどうかをそっと目を閉じて考えた・・・。そして決意し、顔をゆっくりと上げ、息を吐き出すように言った。
「いや・・・、ただ、たんに・・・、少し気になって。」
岡本は、答えをはぐらかした。いきなりDNA鑑定や、指紋をとるためなんていう事を言えば、混乱を起こすかもしれない・・・。昨日は一睡もしていない。仕事柄、徹夜は慣れているが、それでも体に疲労はたまっている。
(面倒な事は、できれば避けたい。だが・・・、)
岡本は横目で、涼の顔を見る。涼は、頭の中の整理がつかなく混乱していたので、その視線には気がつかなかった・・・。
(白川君には、分かっているのか?)
岡本はちらっとそう考えた。岡本は、時限発火装置を即座に考え抜いた涼への興味が次第に増していた。
その日は、それで解散となった。四人がいなくなった後、岡本は一応成瀬に自分を襲った人間を思い出したかを聞いたが、答えはノーだった・・・。
帰る途中、三人は鳥辺と別れた後、曇り空を見上げながら歩を進めていた・・・。今日はとても暑く、ジメジメしていたのだが、純には、暑さは感じられず、むしろ背中にゾクッとくる寒気のようなものを感じていた・・・。
次話は最大のヒントが出て、問題編のラストです