106.
「なー」
ふにふにと頬を押す柔らかい感触に魔法道具の技師である時計屋のアクトが目を覚ます。
「……おー。 おはよう、ナナ」
「なーなー」
アクトが目を開くと、目の前では白猫のナナが二又の尾を揺らしながら、ふにふにと肉球を押し付けていた。
紫水晶の鉱山から、シェインレートの街に戻って数日。
黒帝竜の討伐部隊の準備が終わるのを待ちながら、アクト達一行は各々準備期間という名の自由時間を過ごしており、店に武器を見に行く日もあれば、食道楽に勤しんだ日もあった。
そのため、別に早く起きる必要も無ければ起こしに来る人もいない。
強いて言えば、今のように暇を持て余したナナがちょっかいを掛けてくる程度である。
「あ! おはようアクト!」
宿でアクトと同室の剣士の青年エリィが橙色の髪を揺らしながら元気よく声を掛ける。
「エリィもおはよう。 相変わらず日記付けてるのか?」
「今日は読んでただけ!」
机に向かっていたエリィがえっへんと謎に威張る。
運頼りで大雑把で何も考えて無さそうなエリィだが、日記を付けていたり朝は必ず早起きだったりと意外とマメな部分もある。
「そうだ! ルフナスカ様の言伝で、結界石の準備ができたからロビーで待ってろって!」
「一介の時計屋に何話すんだよ……でも領主サマに呼ばれてたら仕方ないな。 じゃあ準備したら行くか」
「な~♪」
「あら、おはよう2人とも」
「おはようございます」
アクト達がロビーへ行くと、桃色髪のツインテールが特徴のミシェと、艶やかな黒髪のポニーテールが特徴的なエルヴィーラが朝食を取っていた。
相変わらずミシェは大きな帽子を被っているし、エルヴィーラは人形のような無表情である。
「ななー!」
「ふふ、ナナもおはよう」
「ミシェもエルヴィーラも早いな。 お、今日の朝食も美味しそうだな」
宿屋では定番のパンとスープの朝食。
一時期、宿屋の店主に領主の客と認識されてしまい、豪華な食事にされそうになったのを丁重に断り落ち着いたという曰く付きのメニューだ。
パンにやけにバターがたっぷりと塗ってありスープには具材が沢山入っているのは、店主のせめてもの抵抗なのだろうか。
「エリィからお話があったのでこうしてロビーにいますが……こうして朝食を食べていて大丈夫なんですか?」
上品な仕草で朝食を食べているエルヴィーラがふと訪ねる。
確かに、この街で一番偉い領主が来るというのに朝食を食べているというのは無作法かもしれない。
「うん、ルフナスカ様まだ来ないだろうし、別に誰が何してようが気にしない人だから!」
俺以外には……とエリィが小声で言っているのは多分気のせいだろう。
「しかし、数日であの紫水晶の加工しちまうとは、流石、領主サマは優秀な|彫金師《レガリアメーカー<>を抱えてるんだな」
「特にこの辺りは歴史が古い上に、その昔から魔法道具が造られてたと伝わるくらいですからね」
「そうだな! 魔法道具の技術はアクトの所属する輪転の軛を筆頭に一日の長があるけど、彫金師だったり魔核だったり、宝石関連はシェインレートも有名だしな!」
「……ねぇねぇ、彫金師って何なの?」
「なー?」
他の3人の話が盛り上がる中、ミシェが首を傾げる。
隣にいるナナも真似して首を傾げていた。
「あぁ、オレ達時計屋以上に引きこもってるヤツ等だから、知らなくても無理ないと思うぜ」
アクトがスープに浸したパンを飲み込みながら彫金師の説明を始める。
世の中の武器から生活用品にまで普及している魔法道具と呼ばれるものは、魔術式の刻まれた宝石である魔核とそれを制御する魔櫃の2つを組み合わせて作られる。
魔櫃の専門家がアクト達時計屋だとすれば、魔核の専門家は彫金師といった具合に領分が分かれている。
そのため魔核を作る……宝石に魔術式を刻み加工するのが彫金師。
そして魔核は一度作成したものは再加工も難しく少しの傷でも修復不可能となる性質上、彫金師が表に出てくることは滅多に無いという。
「逆に魔櫃は新しいもんさえ拵えればどうとでもなるからな。 だからオレたち時計屋は何だかんだ人と会う事はあるし、魔核についても一般人よりは知識あるから彫金師への連絡もオレ達がやればいいし……」
だんだんと渇いた笑い混じりになるアクトの話に、「なんだか魔法道具も複雑なのね……」とミシェはそれ以上深く話を聞くのを止めた。




