問1 (7) 【「〜するな」は命令文の前に〇〇〇'〇 】
魔法⋯⋯もとい、魔述が使えた喜びも束の間、非常にまずいぞ。このままでは軍警とやらが来てしまう。
店主がスマホ越しに怒鳴っている。軍警の電話窓口とうまく会話が噛み合っていないようだ。
「だから! 荻塚駅前の商店街だっての!」
グラミが思い出したように声を上げる。
「そうだ、あれだよ! 『禁止の命令文』!」
「『禁止の命令文』?」
「『〜するな』ってやつ! 早く早く! 唱えて!」
「えーと⋯⋯?! 『喋るな』とか?」
「いや、日本語じゃだめじゃん! 英語で!」
「どうやって言うんだよ!」
「【命令文の前にDon't】、これだけ!」
そ、それだけ? そしたら、「話す」は「talk」だ。そして【命令文の最初は動詞の原形】だから、「Talk.」だ。それで命令文の「話せ。」という意味になる。
じゃあ、その前に「Don't」を付けて⋯⋯。
「『Don't talk.』」
店主はまだ電話中だ。
「え? 駅のなに口だ? 他にも商店街があんのかい⋯⋯そりゃ⋯⋯おま⋯⋯」
店主は口をパクパクさせながら、しだいにチェーンの外れた自転車のペダルが空回りするように、声が出せなくなった。
「やった! また成功したじゃないか! すごいねぇ士郎君!」
「あ〜、まぁね! ⋯⋯お⋯⋯?」
少し立ちくらみがする……。魔力ポイントみたいなのを消費してるんだろうか?
「これで場所バレは防げたけど、どうしようか?」
「っていうかさ、ちょっと待って。気になったんだけど」
「何だい、この非常時に〜!」
「魔述ってさ、英語?」
「何を言ってるんだい。さっきから君が口にしてるのは、英語だよ。決まってるじゃないか」
「いや、何で英語が呪文になるんだよ。ただの言語だろう。それじゃあ、英語話す人はみんな魔述唱えてることになっちゃうじゃん?」
「それはね、色々要素はあるけれど、ほら、これだよ」
グラミは、僕が手に持っている本に手を添えた。彼女の指先が僕の手に触れた。なぜか、じんわりと温かさが伝わってきた。
「これが魔述書になってるんだ。魔述書は『魔述具』の一種で、そういう道具を装備してないと、英語をしゃべっても魔法みたいなことは大体起きないよ。あとは『文法を意識』したり、『正しい英語』であることが必要なの。この世界の人たち、君の元いた世界より、みんな英語がヘタなんだよ」
彼女は意外にもちゃんと説明してくれた。
しかし、自分も「英語がヘタ」の部類に入る自負があるので、耳が痛い。
「ほら、そんなことより、何とかしなきゃ魔述が解けちゃう〜!」
英語……。
その時、脳裏にとある映画の一場面が浮かんだ。何度も見てきたその映画のセリフが、自然と口から出てきた。
映画では、主演のデカプリオが、このセリフを言われて後ろを振り返る……。
『Turn around.』
目の前で口をパクパクさせていた店主が、頭の中の映像と同じように、後ろを振り返った。
僕とグラミは口を開けた顔を見合せた。そして、二人で魔述書を握りながら、
『Run!』
叫ぶやいなや、店主は僕たちとは反対方向に思い切り走り出した。50m走なら5秒台くらいのダッシュ。そのまま商店街の反対側までたどり着く……かと思いきや電柱にぶつかってひっくり返り、動かなくなった。
「うわ、痛そ〜」
そう言うグラミの声は、喜びを隠しきれていない。
大丈夫か……。さっきは恐ろしい形相の店主だったが、動かなくなると同情心が湧いてくる。結局、彼は偽造通貨で買い物をした客を咎めただけだったのだ。むしろ、不正を正そうとした。何も悪くない。うーん……でもまぁ、仕方ないか。
周りにいた数人の買い物客が、倒れた店主の元へ集まり出した。僕とグラミは何も言わず、足早にその場を離れる。
「やっぱり、ここは魔法の使える世界……ってコト?」
「だから、さっきからそう言ってるじゃないか。君は元いた世界から、わたしの魔力で転移されてこっちに来たんだってば」
「うはぁ……マジですか。 でもまた、なんで?」
「だって君が、本を手に取って、願ったじゃないか。英語力がほしい、って。その呼び声が聞こえたからさ」
「え、それだけ? もっとこう、実は僕には高貴な血が流れてるとかないの?」
「ないよ」
「⋯⋯」
「……」
ショックだ。僕にも何か生まれつきの才能のようなものがあると期待したのに……。
しかも、魔述が英語とは⋯⋯。
せっかく異世界に来たというのに。
ここでも苦手な英語に苦しめられるのか⋯⋯。
そして何よりも不満なことがある。呪文が……呪文がダサい⋯⋯。なんだよ、「Walk」って。もっと、こう⋯⋯かっこいい異世界に呼ばれたかった……!
「このッ……なんてことをしてくれたんだよ……ッ!」
「……ん? あぁ、ごめん……何だって?」
「なんていう世界に……! ……グラミ……?」
様子がおかしい。グラミは眉を八の字にしながら、目を閉じて、パチっと開け、また閉じてを繰り返している。精霊(自称)である彼女は、地面から10数センチ浮かんでふわふわと移動しているのだが、上下動がなくなり、歩いていたスピードで等速直線運動をし始めたのをそっと止める。
「おい、どうした?」
「うっ……魔力が……尽きた……みたいだ……。あげたから……」
「あげた? もしかして、僕に魔力を? それで……?!」
さては、さっきの魔述のときか。異様に効果が高かった店主への魔述。その前に触れたていたグラミの手。その手から魔力が流れ込んできたのか? そういえば僕の方には、さっきの立ちくらみもない。
それよりも、どうする? こんな訳のわからない世界に放り込まれて、チュートリアルもない。水先案内人がこんな状態になってしまったら、詰むのは確実じゃないか……!
「おい、おい、どうなっちゃうんだよ……? まさか消えたりしないよな? おーい!」
焦って呼びかけるが、返事が来なくなった。目はうつろなままだ。
「ドラミちゃーーーん!!」
その時、どこからか音楽が聞こえてきた。商店街の端まで来ていて、目の前は大通りだ。開けた場所に出て、遠くの音が風に運ばれてくる。どこかでライブ演奏が行われているみたいだ。
それは間違いなく、僕が先刻学校を出る間際に「元の世界」で聞いたのと、同じ曲。そして、同じ歌声だった。