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問1 (1) 高校

 絶体絶命だ。


「はい次は、加藤!」


 時間を戻したい。できることなら、入学した4月に。


「正解、さぁすが加藤だなぁ!」


 5月の穏やかで生ぬるい風が窓を吹きぬける。昼下がり、5限目の教室。

 ここは、県立藤澤東高校。1年C組の教室。

 そして今行われているのは、校内でも屈指の人気教師、内進(ないしん)大次郎(だいじろう)先生による、英語の授業である。

「いいねぇ! 皆よくできてて、先生は嬉しいぞ……じゃあ次の問題な。これも正解できちゃうんだろうなぁ、嬉しいなぁ」

 嬉し泣きのジェスチャーとおどけた口調に、教室内からくすくすと笑いが起こる。テンションの高い教師だが、教え方は丁寧で、ユーモアたっぷりの授業は有名予備校講師に匹敵する……との、もっぱらの評判だ。少なくともクラスメイトの間では。



 でも……。

「じゃあ次の(9)の問題は……あれ、これは小学校の問題かな。作問ミスかな。こんな問題、簡単すぎる……よねぇ? ははは! はい、基本ですね! じゃあ次は出席番号5番の……あぁ……久留主か」

 明らかに失望の色をにじませながら、僕の名前を指名してきた。正解できる自信は全くないが、答えなければそれはそれで激しく詰められる。



Q. 『彼は去年の秋に京都を訪れた』という意味になるように、単語を並べ替えよ

 ≪ last / Kyoto / visited / fall / he ≫。


 うーん、まぁ、全くわからないということはない。

 僕は選択肢の単語を並べ替えて、できた英文を読み上げた。



「He…… last fall…… Kyoto visited.」


 教室内に、一瞬の静寂。なんだ、皆どうしたんだ?


「……うん! 0点だ」

 クラスのあちこちで笑いが起きた。

「そりゃあ、日本語の語順通りに英単語にしていっただけだろう! いいですか、【日本語と英語は語順が違う】と思っておいてください。英語には英語の言葉の順番があってですねぇ……」


「せんせー、久留主君が言うんだから、ネイティブの人はそうやって言うこともあるんじゃないですかぁ」

 先生の説明を遮って、クラスメイトの黒岩がニヤニヤしながら皮肉を言ってくる。

「あっ! もしかして、今ってそうやって言うのが海外で流行ってるんじゃない? 久留主君、かっこいい~!」

 帰国子女の高崎さんだ。とんでもないマウントポジションから振り下ろされる一打。僕は心の中で吐血した。


「さすが天才・久留主くん。5歳で英検2級だもんね~!」


 嗚呼……やっぱり、黙っていればよかった。

 5歳で英検2級に合格。「元」神童。それが僕だ。

 黙ってさえいればよかったのだが、4月の入学間もない頃、新しいクラスメイトとの話題に困ったときにそのことを明かしてしまった。(自慢したい気持ちがなかったとは言い切れない)。しかし、5歳当時の知識をさっぱり忘れ、その経歴に見合わない現在の英語力を徐々にさらけ出した僕は、深い墓穴を掘ってしまったことを痛いほど実感するようになっていた。


「はい、お前ら茶化すな。言語ってなぁ、誰だって初めは喋れないんだ」

 内進先生が割って入る。

「赤ちゃんだって喋れない。でも、喋れるようになる。そうだろ? ……ねー、久留主ちゃん、君もきっと喋れるようになりまちゅからね」

 クラス全体が再び沸いた。うん、まぁ仕方ないことだな。これは「イジり」だ。波風を立てたくない僕は「ははは……」と笑ってその場をやり過ごそうとする。

 しかし、内進先生はまだ言い足りないようだった。

「噂だと君は……幼稚園のときに英検2級に合格したそうだねぇ」

 ⋯⋯触れてほしくない話題が来た!

「嬉しかった? それで天狗にでもなっちゃった?」

 いつにも増して棘のある……いや、悪意のこもった、嘲る口調。

「先生にはわかるんですがねぇ、5歳の子供の能力なんて、自分の努力じゃないですよ。100%、親の教育ですよ。君が努力したんじゃない。それで君、入試の時の英語は何点なの? ねぇ、高得点取れたわけないよねぇ。入試はね、久留主君。高校入試は、努力なの。99%は受験生の努力の結果なワケ」

 先生の、不機嫌をにじませた口調に気づいたクラスメイト達は、もう全員静まり返っている。

「君は、努力しなかったんだよ。英語に関して。苦手に向き合わなかった。大人からしたらね、それは『逃げた』って言うんですよ」


 授業終わりのチャイムが鳴った。先生は明るい調子に切り替える。

「……ハイ! 運で英検に受かってしまう人なんて、たっくさんいますからね。そこで満足してしまうと、本当の英語力は身につきませんからね。いいですか? クラスメイトのみなさんは……」

 教室全体を一瞥する。

「あっ……みなさんは優秀だから、大丈夫だった! 失礼しました!」

 おどけた口調に戻った先生は、冗談を言って再度クラスを沸かせた。僕の方を一切見ずに。



 この屈辱、晴らさでおくべきか……。

 あのあとの6限の授業中も、ホームルームの間じゅうも……内進大次郎に復讐を果たす方法を考えていた。

 あれが教師の言うことなのか? 生徒の鼻っ柱を折って楽しいのか? 不満がとめどなく出てくる。

 しかし実際、彼は人気があるのだ。教え方はわかりやすい(らしい)し、彼の指導のおかげで早慶、旧帝大に行った生徒も数多いという。勉強ができる生徒にとっては強い味方だ。

 一方で、できない生徒は敵視する。徹底的にイジりの対象にして、生徒の間に価値観を創り出す。勉強ができないのは、しないからだ。しない奴は駄目な奴だ、と。やり玉に挙げられる側にとってはたまったもんじゃない。じゃない、けど……。できない僕にも、原因があるのか。


 終業のチャイムが鳴った。復讐の方法は思いつかない。胃の中に鉄の玉があるみたいだった。

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