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「来ましたね」
ロビーで待っていたカアラさんは顔を上げ、「お客様がお待ちですわ」と予想通りの言葉を告げる。
「やっぱりね。で、どんな人?」
「人間の方ですわ、日本のね。糸奇さんと同じか少し上くらいの年齢かと」
「あー、そっちかぁ。いきなり面倒臭い客だなぁ。いや、逆にありか?」
「おい……糸奇」
クイクイと、置いてけぼりなオウカが僕の服を引っ張って、
「私は、どうすればいいんだ?」
「ん。さっきも言った通り、これから客を相手にして貰うよ。大丈夫、初回だから僕も手伝うし。――カアラさん」
「ここに」
「流石、用意が良いね」
彼女の手には、一着の浴衣。
僕が『使っていた』桜色の浴衣だ。
この彼岸花の刺繍を見るのも久しぶり。
と、いうわけで。
オウカのデビュー戦である。
「失礼します」
「あっ……どうも」
腰を低くし丁寧に客室の襖を開けると、そこ居たのは一人の爽やか系お兄さん。
見た感じ、大学生くらいか。
「糸奇、と申します。この度は、当旅館桃源楼へとおいでいただきまして……」
「い、いやっ、そのっ、こっちもありがとうございます!」
逆に感謝された。
この焦りようは童貞だな?
「(くすっ)そう畏まらないで。ここはお客様を癒す場。肩の力を抜いて頂きたいです」
「い、いえ、こんな綺麗な人達を前にして、肩の力を抜くなんて……」
「あら、お上手ですね。だそうですよ、オウカ」「せ、世辞だろう?」
童貞にお世辞言う余裕あるわけないでしょ。
「……あ、あの……それで、そもそも、ここは一体? 俺、気付いたら森の中を歩いてて……そうしたら女将? って名乗るお姉さんが門の前で待ってて……というか、俺自身名前以外の記憶も曖昧で……」
ここに迷い込んだ人間によくある状態だ。
神々や妖達と違い、人間は神奈備という空間ではまともじゃいられない。
人間が桃源楼に来る『条件の一つ』に神隠しがある。
突然行方不明になったかと思えばひょっこり出て来る有名なアレだ。
人が、神や妖の気まぐれで幽世に引っ張られるのが神隠しの真相なわけだが、被害者の体験談に『前後の記憶が曖昧』というのをよく見る。
一般的な人間の魂は、現世以外ではとても不安定なのだ。
僕は適当に話を合わせ(でっちあげ)て、
「ここは不思議な旅館で、来た人間は殆どの記憶を忘れるのです。その方が蟠りもなく解放的なれるでしょう? そう重く、深く考えないで下さい。記憶は、いずれ戻ります」
「なる、ほど……」
微妙に納得してない様子なお兄さんだが別に納得して貰う必要はない。
どうせ二度目の来館などないだろうし。
「では早速、と、その前に。オウカ、いつまでも後ろに立ってないで、隣に座りなさい」
「さっきから何だその改まった口調は……」
「いいから隣来いっ」
首根っこ掴んで座らせて「オウカ、と申します。なにぶん、この子も今日が初めてなもので失礼な部分も多いと思いますが……どうか温かい目で見守って下さい」
「あ、はい。あの、見守る、とは?」
「桃源楼は、基本一人のお客様に一人の店の子がつき、癒しサービスを施します。出来る限りお客様の希望に沿った店員を部屋に寄越すのが常ですが……今回お客様はここが初めて、と言う事で、勝手ながらこちらも初仕事のオウカを遣わせてました。お互い、初めて同士ですね」
「変な言い方をするな!」
「な、なるほど。し、しかし、癒しサービスとは一体……?」
「ふふっ。エッチなサービスを想像しました?」
「い、いえ! そんな!」
「店員の子に強要はいけませんよ? ウチの子達はみんなこわーいので。……ですが、まぁ。店員自身の意思であるならば、止める者はおりません。ここは自由恋愛可ですので」
「ごくり……」
生唾を飲むお兄さん。
「い、いや、私にそんな気は無いぞ?」
客のテンションを上げる為の方便だってのに空気の読めないオウカだ。
「では早速ですが。衣服をお脱ぎ下さい」
「「えっっ??」」
驚きの声を上げる二人。
オウカは驚くなよ。
「先ずはお風呂からです。体を清めて頂き、その後本格的な癒しサービスへと参りましょう。お望みとあらば、二人でお背中を流し致しますが?」
「い、いえ、結構ですっ」
それは良かった。
僕だって野郎の裸なんぞ見たくない。