【二章】21
―― 二章 ネコと和解せよ ――
1
走っていた。
私達は、必死に走っていた。
逃げていた。
怪我をした妹。
怪我をした私。
口から漏れる荒く白い息。
銀世界の凍える寒さの中、目的地もなく、妹の手を引いて駆けて行く。
捕まるわけにはいかない。
捕まれば、終わりだ。
「おねぇちゃ……もう……だめ……」
「あきらめないで! このもりをぬければ、きっと……! ――あ」
前を見ていなかったせいだ。
木の根っこに足が引っかかった私は、その勢いのまま、妹諸共つんのめるように倒れてしまう。
雪が積もっているおかげか、衝撃は少ない。
けれど、もう、お互い、立つ気力など残っていなかった。
このまま……終わってしまうのだろうか?
このまま……いや……せめて、妹だけでも『当たり前な幸せな日常』へと送り届けてあげたい――。
「おや。こんな日にボロボロになるまで雪遊びとは、田舎の子はわんぱくだなぁ」
声が、聞こえた。
柔らかく、可愛らしい、冷たさの混じる優しい声。
追っ手、ではない。
こんな特徴的な声は、聞いた事が無かった。
力を振り絞り、顔を上げる。
そこに居たのは――玩具を前にした宝石のような目を見せる、嘘のような美少女。
「……、……、……」
畳の香りで、今自分がいる場所を思い出す。
久し振りに見たあの日の景色。
夢だというのに、寸分違わぬ寒さと痛さと衝撃と、温かさを思い出させた。
何故今更、あの日の事なんか……。
原因があるとするなら、昨夜『土産を持って』帰って来たあいつの所為だろう。
というか、私の悩みの大半はあいつ源泉だ。
トントン
部屋の扉がノックされ、「九魔さーん、起きてますかー」 家人がわざわざ来てくれたようだ。
「起きてるわ、プランさん」
「失礼しますねー(ガチャリ)おはようございます。……ふむ、珍しい。春休みとはいえ九魔さんがこんな時間まで寝ているとは」
現れたのはエプロン姿のとびきり美人なお姉さん【プラン・ドリアード・ユグドラシル】。
いつもニコニコと聖母のようで、スタイルも良く、ファンタジー世界の住人らしく緑髪ポニーテールも似合っている。
「時間って……え? あ。もう、八時前なんだ。ちょっと、長い夢見ちゃってね」
「そうですかー。皆さん、既に居間に集まっていますよ」
「すぐ行く」
プランさんが扉を閉めると同時にベッドから体を起こす私。
そそくさとパジャマを脱ぎ、動きやすい服に着替えて部屋を出る。
皆が待つ居間。朝食の為に皆が私を待っている。
今時古臭い考えだと思う。
家族みんなでご飯を食べるのがルールだなんて。
『あんな家主』に従う義理は……まぁ無くはないのだが……素直にそんなルールを守る心優しい妹の気持ちは無碍に出来ない。
私の意地や我儘で悲しませたくはない。あんな家主を慕う妹を、私はもう止められない。
ガラリ。
居間の戸を引くと、待っていた皆が顔をこちらに向ける。
「おはよ。遅くなって悪かったわね」
「別に構わんぞ。我はもう始めとるし(ポリポリ)」
胡座をかきつつパクパクと長芋の漬物とご飯を口に運ぶのは一人の少女。
透き通るような長い銀髪と小柄な体、西洋人形のように精巧な造りの容貌は、まさにお姫様。
プランさん同様明らかに日本人な容姿ではないのにその器用な箸づかいと胡座姿はどこかアンバランスで、何年と見て来たが飽きない。
【グラヴィ・ドラゴ・クイーン】。
そんな格好良い名前の彼女は、プランさんと一緒に『私達よりも早く』この家に住んでいた。
彼女は、私達の命の恩人でもある。
「あ、姉さんおはようです」
隣の部屋、つまり台所から鍋を持って現れたエプロン少女は私の妹、笛子。
桜のような薄いピンクの特徴的な髪色と庇護欲を誘う気弱顔。
私同様可愛くて出る所も出ている見た目は完璧な女の子。
しかし当然寄り付く輩も多く、人見知りなこの子はいつでも困り顔だ。
まぁ。
一番困った存在がこの子の近くにいるのが、一番の困り事なのだが……。
「おはよ、フエ。悪いわね、朝ご飯手伝えなくって」
「大丈夫です、プランさんが手伝ってくれたですし」
「全くこの寝坊助め。どんなエロい夢見てたんだ」
「あんたには言ってないわよ黙ってみんなのご飯よそってなさい」
「ふえぇクマ子がイジメるよフェネ子~(抱きっ)」
「うふふ、糸奇さんかわいいですぅ……(なでなで)」
コレだ。
この家の家主にして一番の問題児、五色糸奇。
私達姉妹と同い年だというのに学校にも行かず、毎日何処かにフラフラと向かっては、決まった時間に、決まって厄介ごとを土産に帰って来る。
結果的に家を支えている大黒柱で、お金にも困らぬ生活を保障してくれてはいるが……精神的に休まる日は無い。
別に私は、糸奇の心配はしていない。
糸奇の心配をしている妹を心配しているのだ。
「さ、ご飯にするよープランさんも座ってー。はい、いただきまーす」
毎度のように、家主の声掛けから始める食事。
基本作るのは私や妹やプランさんで、糸奇とグラは手を出さない。
糸奇は作れば上手いのだが台所に立つ機会は滅多になく、グラはそもそも包丁すら握った事がない。
「あーやっぱ朝は味噌汁だねぇ。とろろとアオサは味噌汁の具にも最高だ」
「近所の方に沢山山芋貰ったから暫くは続くと思うです」
「私は山芋、食べたら痒くなるんですよねぇ。心苦しいですが、消費に貢献は出来なさそうです」
「我はなんかお好み焼きが食いたくなってきたわい」
「……そういえば糸奇。昨日連れて来た【赤髪の子】は?」




