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「ひ、糸奇! 一体これは!」
「そう騒ぐなよ。兄さんの代わりに説明するから落ち着け」
僕は口を開く。
お兄さんがここに来た経緯を。
彼が思い出すより先に知っていた真実。
とは言うものの、そこまでドラマティックな話でもない。
世界のどこかで、日に一度は起きていそうなありふれた悲劇だ。
――ある所に、仲の良い兄妹がいた。
その日も、兄妹はバイクで仲良く買い物に向かった。
……そしてその途中、事故に巻き込まれた。
兄妹は大怪我を負い、特に妹の方は酷いもので、一命を取り留めはしたものの、あの幸せだった日常生活には『時間でも戻さない限り』戻れるわけが無くって。
意識を取り戻した兄は、後悔した。
自分を責めた。
この世に居る事すら申し訳なく思って……そして。
「あ、あんなに可愛かったあいつを……俺は! 俺は……生きてちゃダメな奴……!」
「お、落ち着け! ッッ!! 糸奇! お前こうなると分かっていたな! 分かっていて! 何故鏡を見せた!」
「遅かれ早かれ結果は変わらんでしょや。あと、ちょっと時間も押してたし。これ以上一人のお客さんに肩入れしてると、後がつっかえるんだよね」
「そ、そんな事務的に……こいつを見てお前は何とも思わんのか!!」
「悲劇度合いでいうならよっぽど君の方が酷い目に遭って来たろう? 彼みたいな悲劇は誰にでも起こりうる天災みたいなものさ」
「グッ! お前を少しでもまともな奴だと思った私が馬鹿だった……! おい! 兎に角今は落ちつけ!」
地面に伏して震えるお兄さんに何度も励ましの言葉を掛けるオウカだったが……ふと、お兄さんの、慟哭が止まる。
そして、伏したまま、口を開いた。
「……糸奇さん」
「はい何でしょう」
「俺は、これからどうなるんでしょう?」
「そうですね。まだギリギリ現世にも戻れますし、希望があればこれも何かの『縁』、幽世も案内しましょう。しかし、その幽世ですが」
「行き先は地獄、ですか?」
微塵も恐れを感じさせないその返答に僕は少し拍子抜け。
「そうですね。宗教や宗派によりますが……自殺、という行為は基本、地獄行きです。こう言った場合、お客様のご実家が関わる宗教の基準に則りますので、えっと……はい。問題なく地獄へ向かえますよ」
「仕方がないですよね。それだけの事を、俺はしたんだから」
諦観。
最早本人に、迷いは無い。
「寧ろ、最後にこんな素敵な時間を過ごせたんです。悔いは無い」
「な、何を納得している! 諦めるな! 逃げる気か!」
「うっ!? オ、オウカ、さん?」
しかし、諦めの悪い女が一人。
客の胸倉を掴み、叫ぶ。
「逃げるな! まだお前は現世に戻れるし! まだ妹も生きてるんだろ!? ならば逃げるな! 罪に向き合え! お前は……贅沢過ぎる!!」
「え、えっと……これ、は……?」
困惑。
涙目で訴えるオウカに、お兄さんは助けを求めるように僕を見た。
「この子、色々あって妹を亡くしてまして」
「ああ……それで……、……オウカさん、ありがとうございます」
「な、なら!」
「でも、ごめんなさい」と、お兄さんはオウカの手を外し、
「俺は憶病者です。これ以上、妹の側には居られない。例え妹が望んだとしても……俺はこれ以上辛い思いをしたくないんです。もし、俺が元の世界に戻ったら……確実に、妹に手を掛けてしまう。そして、またこちらに戻って来るでしょう。俺は、これ以上アイツを傷付けたくない」
「っ……」
「本当に、お二人共、ありがとうございました。またどこかで会えたなら、嬉しいです」
お兄さんは深々と頭を下げ、僕らに背を向ける。
これから自分の向かうべき先を、何となく分かっているのだろう。
遠ざかるお兄さんを見つめたまま、ギリリとオウカは歯噛みして、
「くそッ! 何とか! 何とかならないのか糸奇!」
「何ともならんよ。時間ってのは、運命ってのは不可逆なものだ。誰だって、やり直したいと思っても、諦めて、先だろうが後ろだろうが進んでかなきゃならない。君だって、そうして来ただろ?」
「だとしても! あんな奴をこの先何人も見送って行けというのか!? ふざけるな! お前、神なんだろ! 何とかしろ! 奇跡でも起こせ!!」
「んな無茶苦茶な」
僕はため息をつき、
「けれどもまぁ、君の初めてのお客様だしね。連れて来た手前、僕にも責任がある。だから――」
贔屓してやるよ。
「へ?」
僕は右腕を振るい、 数メートル先に居たお兄さんを『両断』。
へ? と、本人も何が起きたか分からぬ状態のまま、霧のように消えた。
「…………え? し、糸奇? お前……今、何を」
僕は何も言わず、ただ、鏡を指差す。
反射的に、そちらに顔を向けるオウカ。
鏡が映す場所は変わっていない。
病室には白いベッドがあって……しかし、その上で眠っているのは……先程までそこにいた【お兄さん】。
タイミングを見計らったように、お兄さんは閉じていた瞼をゆっくり開く。
鏡から、声が聞こえて来る。
『あ……れ? ここ、は?』
『お、お兄ちゃん!? お、お兄ちゃん!!』
『わ! お、おま! い、いたた! 抱き着くな!』
『うえええええよがっだよおおおおおお!!』
『ぅ……何が、あったん、だ?』
『覚えてないん!? ウチら! バイクで事故ったんやで!? でもほら! お互い奇跡的にちょっとした擦り傷で済んだんよ!! バイクはおじゃんだけどもな!』
『そ、そんな……本当、に? 夢じゃ……イタタ! 抓るな!』
『お兄ちゃん全然起きないから心配したんよ! 脳やられちゃったんじゃないかって!』
『俺は……いや……何か、夢を見ていた気が、する。何か、とんでもない美少女二人に……ご奉仕して貰ってた……よう、な?』
『ああ。コレは脳やられちゃってますわ。アハハハ!!』
病室には笑いが響いている。
ハッピーエンドがそこにはあった。
「何が」
「ん?」
「何が……何が起こ……し、糸奇……? お前、何を、した?」
「見ての通り。奇跡を起こしたよ。神様だからね。これで」
少しは、信じて貰えたかな?




