国を出るまでのお話
主人公が国を追放されるまでのお話。
――さて、何から語ろうとしようか。
彼女はそう言って小首をかしげた。流れる金の糸のように艶やかで滑らかな髪は長く、少し考えるように細められた瞳は英知の青い瞳。透き通るような白い肌と、まろい頬は薔薇色に淡く染まり、朱を佩いているわけでもないのに唇は赤い。
今は服に隠れてはいるが、たわわな胸や、くびれた腰、小ぶりな臀部に、すらりとした手足。着ている服の色は黒で、露出なんかほとんどないドレス姿だというのに、美しさを具現化したら、きっと彼女のような姿になるだろう。そう感じさせるだけの魅力が、目の前の彼女にはあった。
ただし、彼女はひとの女だ。
この世界でもっと偉大で、強大で、恐ろしい男。魔王の妻。それが彼女の肩書き。
「そもそも始まりの物語は、ありきたりで、つまらない、どこにでもあるような話だ」
彼女はそう言って、悪戯好きの妖精のような笑みを浮かべた。
物語の始まりなんていうものは、そんなありきたりなものから始まるのだろう。そう返すと、彼女は「確かに」と笑った。
「サーシャ・ディヒガルドとの婚約を破棄し、新たに聖女である妹のローナー・ディヒガルドと婚約をする。
それが、はじまりの言葉。ニンゲンという種が魔族に支配されるに至る、はじまりの言葉」
些細な、愚かで、そしてなんとも的外れな言葉だった。
サーシャ・ディヒガルドはディヒガルド公爵家に生まれた長女だった。ただし、母親は正妻ではない。父親である公爵がたわむれに手を付けたメイドが彼女の母親だ。
彼女を出産後、母親は屋敷を追い出され、今は行方も知れない。ひょっとしたら生きてはいないかもしれないが、彼女に知る術はない。屋敷には徹底的にかん口令が敷かれ、顔どころか名前すら知らない相手なのだから仕方がない。
夫の戯れの結果生まれた彼女を、正妻は貴族の義務をもって育てた。愛情を向けられた記憶はない。そもそも両親の顔すらまともに覚えていない。名を呼ばれたこともなく、アレだの、コレだの呼ばれていた。
「お前の婚約者が決まった。第二王子のメルート王子だ」
婚約者が決まったと彼女に告げる時すら、父親は彼女の顔すら見なかった。彼女もそんな父親に対して特にリアクションもせず、ただ諾々とその言葉を受け入れた。
――ひょっとしたら妹までのつなぎだったのかもしれないけれど
彼女は思い出してそう言った。その時には二つ下の妹が生まれていた。こちらは正妻の子だ。
二人続いての女児に公爵は嫌気がさしたのか、遠縁から男児を養子に取ることにしたらしい。まぁそれは話の本筋には関係がない。
まともに顔を合わせたこともない義理の弟が今どこで何をしているのか、そもそも生きているか死んでいるかすら、彼女にはどうでもいいことだ。
――人間って、顔も声も名前も知らない相手に情ってわかないものだよ。
彼女はそう言って肩をすくめた。ちなみに彼女は両親の名前も知らないらしい。だって必要なかったからねぇ。と、彼女は言う。
プライベートな関りは皆無に等しく、呼びかけるときはディヒガルド公爵、または公爵夫人で事足りる。父や母と呼びかけたことすらなかった。
なるほど、確かに不要だ。
――では、婚約者であるメルート第二王子はどうだったのか。
「お勉強はできたけど、賢くはない」
無能ではないけれど、際立って有能というわけでもなく。実にそこそこで、ある意味で第二王子としては十分な能力の持ち主であったらしい。
煽てられると調子に乗りやすく、人からの忠告にはあまり耳を貸さない。そんな、ある意味でごく普通の、ただトップに立つにはいろいろと足りない。そんな青年だった。彼女はそう断じた。
ここで、何をもってそう判断したのか? などと聞いてはいけない。恐ろしいノロケが返ってくるからだ。
繰り返すが、彼女はこの世界でもっとも偉大で、強大で、恐ろしい魔王の妻である。
付け加えると、結構バカップルだ。
閑話休題。さて、そんな凡庸と言ってもいい第二王子の婚約者となったサーシャ・ディヒガルドであるが、彼との関係と言えば、これまた良くも悪くもなかった。
第二王子にとってサーシャ・ディヒガルドは自身の後見人となるディヒガルド公爵の娘であるという価値しか感じられなかったらしい。無碍にはしないが、それだけである。
思わず目の前の彼女をまじまじと見つめる。
この女を前にして、実家の権力しか目に入らなかったとは、その王子の目は節穴か? いや、人の好みは人それぞれだ。
ふくよかな女性が好きだったのかもしれないし、もっと言うなら醜女が好みだったのかもしれない。
信じられない。と、表情に出ていたのだろう。
彼女は苦笑いを浮かべた。「サーシャ・ディヒガルドはそのころ、栄養が足りなくてね」と言う。がりがりに痩せていたから胸も尻も出ておらず、細いというよりも枝のようだったらしい。
婚約者がそのような姿であることに何の疑問を持っていなかったのだろうか、その王子は。
「王子にとってもサーシャ・ディヒガルドは妹への繋ぎでしかなかったのだろう」
だから彼女がどれだけ痩せて病的だったとしても、王子の目には映っていなかったのだろう。やはり節穴じゃないか。
そしてサーシャ・ディヒガルドが十六のある日、魔王が復活したことが告げられる。魔王復活を告げたのは、王家に古くから仕えている女神の言葉を伝える預言者だった。
その預言者は言う。魔王に対抗するには勇者と聖女が必要だと。勇者の行方はわからないが、聖女はすでにこの国に生まれていることが分かった。
「わが娘、ローナー・ディヒガルドこそが聖女でございます」
ディヒガルド公爵はそう進言し、国王はそれを受け入れた。
根拠? そんなものは知らない。ただ彼女は人を癒やす力が使えたらしい。
その後、第二王子の宣言があったわけだから、聖女と言うのは婚約者を挿げ替える理由の一つでしかなかったのだろう。
その後、聖女の伴侶たる己こそが勇者であると第二王子は宣言し、国は大いに盛り上がったらしい。らしいというのは、その時にはサーシャ・ディヒガルドは国を出ていたからだ。
「育ててもらった恩はもう返したとみてよかったよね。そもそも、公爵に用済みだって言われたし」
彼女はそう言って、せいせいしたとばかりに国を出ると、名前を変えた。温室育ちの貴族の令嬢が、家を飛び出したところでまともに生きていけるはずがない。それはそうだろう。
だが、彼女には誰にも言っていない秘密があった。
「実をいうとね、サーシャ・ディヒガルドはもう一つの記憶があったの」
彼女はそう言って目を輝かせた。
サーシャ・ディヒガルドのもう一つの記憶。それはこの世界とは別の記憶だった。
その時の彼女は男で、しかも勇者だったらしい。数々の試練を乗り越え、冒険の果てに、勇者は魔王との死闘を制した。その時の記憶と経験、スキルは彼女に受け継がれていた。
王子や両親が自分に関心がないことをこれ幸いとして、彼女は自分の体を鍛えることとして数年。足りない栄養は自分で補給するなどした結果、旅立つ十六になる頃にはそのまま冒険者として身を立てるのに十分な状態になっていたという。
そこまでの変化を全く気が付かなかった王子が逆にすごい。あ、胸が大きくなったのは結婚してからですか、そうですか。
そして国を出た彼女はさっきも言ったが名を変えて、ついでに性別も偽って冒険者になったわけだ。
それが、彼女の、いや、元勇者の記憶を持つ少年、リオの冒険の始まりだ。
え? なんでこんな形式にしたのかって? そりゃ、この先の物語には毛の先ほどにかかわってこないバカな元婚約者と家族もどきの話なんて、長く語ったってしょうがないじゃないか。
――その後の彼らがどうなったかって? 本物の勇者はどうなったのかって?
まず、勇者は現れない。なぜなら勇者はすでに殺されているからだ。
言っておくが殺したのは魔族ではない。そもそも勇者が死んだのは生まれた直後だ。殺したのは人間の女。
引き延ばしても仕方がないからさっさと紹介するが、ディヒガルド公爵夫人その人だ。
公爵夫人は自分以外の女が産んだ男児が公爵家の跡取りになることを恐れて、生まれたばかりの赤ん坊を殺した。それから産婆に金を払って男児のことを口止めすると、夫を呼び出した。
まぁ、産婆も後で始末されたらしいけど。だからサーシャ・ディヒガルドは本当に生みの親についての手掛かりがなかったわけだ。
勇者が幼くして死んだからと言って、すぐに次が生まれてくるわけではない。神だってそこまで柔軟じゃないし、そもそも生まれてすぐ殺されることなんて想定してないだろう。
結論として、勇者は現れなかった。だから魔族がこの大陸を支配しているんだけどね。あぁ、別の大陸ではまだニンゲンが幅を利かせているし、なんなら貿易だってしてる。まぁそれはどうでもいいか。
馬鹿な王子とその婚約者に納まった愚妹は魔族に殺されてお終いだ。軍の戦闘で目立つ馬鹿笑いをしながら剣を振り回していたら普通に殺すよね? うん。魔族とか勇者とか関係なしに殺すよね?
第二王子とその婚約者があまりにもあっさり殺されたものだから、もう一度、預言者が伝えた女神の言葉を精査することになった。
女神の、というよりも神の言葉というのは非常に持って回った言い回しでね。どうとでも解釈できるようになっているものなんだ。まぁそれもまた神がニンゲンどもに与えた試練の一つって奴だろう。
連中はニンゲンの守護者を気取ってはいるが、実際のところそこまで手厚いわけではない。ヒントは与えてやったからあとは自力で頑張れ。っていうことの方が多い。
そんなわけで再度調査をしたところ、ディヒガルド公爵家の双子の男女が勇者と聖女であると判明した。
ディヒガルド公爵はびっくりしただろうね。自分には娘しかいないはずなのにってね。それで長女であるサーシャ・ディヒガルドが生まれた際に、自分より先に来ていた夫人を問い詰めた。そして先のことが発覚したわけだ。
公爵としては自分の血を受け継いだ跡取りを殺されるわ、しかもそれが魔族に対抗できる勇者だったはずだ。公爵は頭に血を上らせ、怒りのままに夫人を手にしていたステッキで殴り殺したと言う。
いやぁ、実に短絡的。なんという喜劇。思わず腹を抱えて笑ってしまったよ。
それで慌てて公爵と国王は聖女であるはずのもう一人の娘、サーシャ・ディヒガルドを探したものの、とっくに消息を絶っていた。そもそも屋敷には彼女の肖像画一枚、作成されていなかったから探しようがない。金髪に青い瞳の女は平民ではそこそこ珍しいが、いないわけではない。たったそれだけの情報で、彼女を見つけることはほぼ不可能だった。
さっきも言ったが、普通の貴族令嬢であれば着の身着のままで市井に降りてひと月まともに暮らせるはずがない。
その国は聖女と勇者をむざむざと殺したろくでもない国だと諸外国から突き上げを食らったそうだ。まぁ、その諸外国ももうとっくに国名を失ったけどね。
ともかく、サーシャ・ディヒガルドの両親も、腹違いの妹も、元婚約者ももういない。彼女を知るものはもういない。
だからこの物語は公爵令嬢であったサーシャ・ディヒガルドのものではなく、異世界の勇者の記憶がある男装少女、リオの物語なのだ。
短編なので、さくっと追放……いやほぼ奔出しました。




