廻る歯車-7
入浴後に案内された部屋は、家の規模から考えると比較的広い客室だった。セミダブルのベッドと三人がけのソファーがひとつずつに、小ぶりのテーブルセット。ベッドの横には引き出しつきのサイドテーブルがあり、小さなランプが乗っている。けっして少なくなく小さくもない調度はバランス良く、洗練されたものばかりだ。絨毯の感触も心地良い。製作者だの手法だのといった難しいことはわからないが、少なくとも一般民が手を出せる金額の品々ではない。リュンデンの前で見せた態度や国王と面識があることからしても、アッシュローズはこの国の貴族なのだろう。
周囲を眺めつつ考えていたら、後ろから入ってきたメイがてきぱきと支度を整えながら声をかけてきた。
「お兄さんのほうはそのままの姿で寝るの?」
「着れる服がねえだろ。いくら春になったっていってもまだ寒ィからな。いくら俺でも裸で寝たら風邪引く」
「それもそうね。じゃあ床に上掛けを敷いて、そこで寝てちょうだい。ベッドは女の子優先よ?」
「あったりめーだろ。当然じゃねえか」
メイが軽く目を見開く。
「へー、意外。文句が返ってくると思ったのに……ちょっとは考えてるのね」
「ンだとっ?」
入浴のおかげか、借り物のため少々大きいけれどまともな服を着たためか、落ち着きを取り戻したミューイがいつもの彼女らしい笑い声を立てた。
「お兄様は、私の知る男の方たちの中でいちばんお優しいですわ」
「そうなんだ?」
メイがガルシアから視線を外し、テーブルの前に立つ。
「馬鹿っぽいから自分のことしか見えない単純くんかと思ったわ」
筒型の保温カバーを外して鍋を出し、手馴れた様子でシチューをよそう。
いい匂いがしてきた。
考えてみれば、昼から何も食べていない。おまけに長距離を走った上に派手に暴れたおかげでかなり空腹状態だ。食事をもらえるのはありがたい。この際、毒を盛られることへの警戒心は捨てよう。
誘われるようにテーブルに近づくガルシアの背後で、ミューイが小さく吹き出す。
「否定するのは難しいかも」
テーブルの横に腰を下ろしたガルシアを軽く見下ろし、メイが苦笑する。
「そうみたいね」
そして二人、顔を見合わせて笑った。
間に挟まれたガルシアは首をひねることしかできない。初対面なのにやけに打ち解けた妹とメイドを交互に見やり、眉根を寄せる。
「ンだよ。なんの話だよ?」
「あんたには関係ない話ですー。さ、ミューイちゃんもこっちにどうぞ。お腹空いてるでしょう?」
ミューイはいきなりちゃんづけで呼ばれたことに驚きの表情を見せたが、すぐ嬉しそうに頬を染めると小走りで近づいてきた。メイに促された椅子に腰掛ける。
「お食事までいただけるなんて……ありがとうございます。いただきます」
「どうぞ。お口に合うといいんだけど……」
シチューをひとくち。
ミューイが、ぱっと表情を明るくした。
「おいしいっ! メイさん、お料理がお上手なんですねっ」
その褒め言葉はまんざらでもなかったらしい。メイが目を糸のように細める。
「ほんと? 嬉しいな~。どんどん食べてねっ」
「はいっ」
「お兄さんもどうぞ。パンはこれくらいの大きさで大丈夫?」
わざわざ切ってくれたらしい。パンがこぶし大になっていた。
ガルシアは前に置かれたパンの皿とスープ皿に改めて向き直り、軽く頭を下げる。
「おう。いただきます」
「あ、うん。どうぞ」
なぜか驚き気味な返事だった。
気になったものの、空腹には勝てない。ガルシアは聞き流してシチューに口を寄せた。
(……ほんとだ、うまいや)
鋭敏な獣の嗅覚と味覚でかかっても素直に賛辞を贈れるほどに美味だった。城の専属料理人に匹敵するほどの腕前かもしれない。下手をしたら料理長と互角だ。
(いるとこにはいるもんだなぁ、すげー奴って)
そんなことを思いながらメイを上目づかいに窺ったら、いきなり視線が合った。軽い吃驚のあと、彼女が気まずそうに口を尖らせる。
「何?」
メイを見た理由を答えればいいのだろうが、なんとなく面倒くさい。
ガルシアはすぐに目を伏せて食事に戻る。
「なんでもねえ」
「……何よ、はっきりしない男ね」
返ってきた声はかなりの量の棘を含んでいた。
「短気で乱暴で口悪くって、おまけに言いたいことも言えない意気地なし? サイテー」
先ほどの罪悪感も手伝って気分が落ち着いていたガルシアも、これはさすがに我慢できなかった。伏せていた上体を起こし、うなり声を出す。
「女だからって大目に見てやってりゃあ……馬鹿にすンのも大概にしろよこらァ」
一瞬なりとも怯えるかと思われたがしかし、メイは鼻で笑って見下してきた。
「女だからって馬鹿にしないでよね。ちょっと脅せば怖がって引くとか思ってるわけ? 程度低すぎじゃない?」
「ンだとっ? やるってぇのか、このアマ……っ」
「お、お兄様っ。メイさんも、喧嘩は────」
慌ててミューイが間に入ってこようとするその前に出て、ガルシアは胸を張る。
「俺様はリンディアの王子だぞっ。次期国王相手に態度でけーんだよ、馬鹿女!」
さすがに予想外の発言だったらしく、メイが毒気の抜けた目をしばたかせた。
「……王子? ……次期国王?」
「おうよっ。わかったらもっと敬意を払いやがれっ!」
ガルシアがさらに胸を張った途端、メイが吹き出した。さらには腹を抱えて大笑いし出す。
「や……やぁだっ。なんの冗談よ、おかしすぎぃ~っ!」
「なっ、冗談じゃねえっ! 本気で言ってンだ!」
「あははははははっ。ミューイちゃんがお姫様って言われたら納得できるけど、あんたが王子ぃ? ──……ぶっ。駄目、笑える~っ!」
「お前……そんなに笑うことねえだろーっ?」
「そ、そうですよっ。国のみんな、お兄様を誇りにしてくださってるんですからっ」
ミューイのフォローで、ようやく真面目に受け入れる気になったらしい。メイが涙をぬぐいながらこちらに向く。
「じゃあ、ほんとのほんとに王子様なんだぁ」
「さっきからそう言ってンだろーがっ」
「だーって……ねぇ?」
「ねぇ? じゃねーよ。わけんわかんねえし」
「あっそ」
わずかな間。
気を取り直して、ガルシアは半眼になる。
「ンじゃあ、ちったぁ態度改めようって気になっただろっ。敬え、ボケっ」
「嫌に決まってるじゃない、馬鹿男」
「なぁーっ?」
毛を逆立てる巨大な狼を前にして、彼女はそっぽを向いた。鼻を上に向ける。
「あたしが敬愛する方はただ一人よ。あの方が愛された方と信頼なさった方、それとあの方の恩人にしか敬意を払うつもりなんてないわっ」
「ないわって……仮にも獣人だろうがっ。王者に対する忠誠心てもんはねーのかっ?」
「ないっ!」
いっそすがすがしいまでの即答であった。完璧すぎて口が塞がらない。
硬直しているうちにメイはガルシアからミューイに向き直って、あちらこちらを指差しながら話し出す。
「そっちのサイドテーブルに櫛とかの小物が入ってるから自由に使ってね。明日着る洋服はあちらのクローゼットに入れておいたから。ちょっと大きいかもしれないけど……たぶん大丈夫だと思うわ」
「あ、ありがとうございます」
相変わらず、メイのミューイを見る眼差しは明るく優しい。ガルシアに向けるそれとは明らかに違った。
確かにミューイは礼儀正しいし、メイよりずっと幼い。数時間前に起きた事件を察して、彼女の精神を刺激しないよう穏やかに接しているとも考えられる。けれどそれだけが理由とも思えなかった。何か、根底にまったく別の原因があるような気がするのだ。
具体的な言葉は出ないけれど。
ただの勘だけれど。
(なんか……この家の連中はみんな、妙な奴らばっかだ)
内心で呟いて、ガルシアはこっそりため息をついた。
「それじゃあおやすみ。ゆっくり休んでね」
そんな彼の様子を気に止めもせず、メイはミューイにだけ挨拶をして部屋を出て行った。
完全にドアが閉まったところで、ガルシアはひとこと。
「ゆっくりって言われてもなー。無理だろ」
なにせここは未知の場所である。自分一人ならばどうとでもなるが、ミューイを危険にさらすわけにはいかない。警戒心を解けるわけもないのだ。
それをわかってだろう。ミューイはこちらを見て、けれど何も言わずに苦笑した。
彼女に向かって肩をすくめると、ガルシアはさっさと食事を平らげた。空の皿をくわえてテーブルに戻す。そしてベッドに近寄り、上に乗っている上掛けを一枚引きずり降ろした。口で咥えて傍らに広げる。
少々しわが寄っているものの伸ばすことに成功すると、ガルシアは踏んで寝心地を確かめ、気が済んだところで足を投げ出して横になった。
「……ふあぁぁ……」
いきなり眠気が来た。
時間的にはまださほど遅くはないはず。とすると、こんなに眠いのはきっと疲労のせいだ。今日はいろいろあったから、体だけでなく精神的な部分から疲れているのだろう。
あくびをもうひとつして、ガルシアは前足に顎を落とした。目を閉じる。
「お兄様? ……もう寝てしまいました?」
食事を終えたのだろう。近づいてくる足音と気配と一緒にミューイの声がする。
ガルシアは目を瞑ったまま、口角を上げた。
「いくらなんでも、ンな速く寝れねーよ」
答えたら、くすり、と微笑の音が。けれど、ミューイはそこから何も言ってこない。無言だ。傍にしゃがんだのはわかるが、身動きする物音も様子もない。常と違う態度に、ガルシアは首を傾げた。頭を上げる。
ミューイは座った体勢のまま寝間着の端をいじっていた。そしてガルシアと目が合うなり、首をすくめるようにしてうつむいてしまう。何かをためらっているようだ。
「どした?」
促してやったら、観念したのだろう。ミューイは視線を落としたままずいぶんと小さな声を出した。
「……お兄様」
「ん?」
「………………。あの……こちらで一緒に寝ても、いいですか?」
なるほど。要するに怖いのだ。ガルシアは赤くなっている妹に笑みを返す。
「上の明かり消して、上掛け持ってこい。風邪引くからな」
ミューイが顔を輝かせて立ち上がった。明かりを落とし、上掛けを持つ代わりに獣化して駆け寄ってくる。小さな狼はガルシアの腹に額を押しつけるようにして横になった。
「あったかい」
「…………。わざわざ獣化することねえだろ」
「床で寝るなら、こちらのほうが寝やすいですもの」
そう言って丸くなるミューイに何も言い返せず、ガルシアは彼女を囲むように体を曲げた。再び足の上に顎を置く。
サイドテーブルに置かれたランプの明かりは、強くなく、冷たくなく、辺りを優しい色で包んでくれる。けっして眠りを邪魔しない光の中、小さな妹が眠るまでは起きていて見守ってやろう。そんなことを考えながらミューイの丸い背中を見つめていたら、彼女がわずかに鼻先を動かした。
「お兄様……」
「んー?」
耳を刺激しないように囁きで応じると、
「最初は怖いと思いましたけど……優しい方たちですね」
ミューイがほんのりと微笑みに染まった声で呟いた。
「この家、穏やかで、温かい雰囲気に包まれていて、とても落ち着くんですもの。……きっと、いい方たちなんだわ……」
「……そう思うか?」
「はい」
「…………そっか」
長い尻尾を毛布代わりにミューイの体に掛けてやる。するとその下で、彼女が小さく身じろぎした。
「事情が、あるみたい。……助けていただいたお礼に、何かできることがあれば、いいのだけれど……、…………」
いきなり呼吸が深いものになった。眠ったのだ。やはり疲れていたのだろう。まるで幼い子供のような寝入り方に思わず微笑んで、ガルシアもまた目を閉じる。
────……
気のせいかと思うほど小さな音が、耳をくすぐった。
(…………子守歌、か?)
言葉まで届かない。空気の揺れる様に似ているほどかすかだけれど、ガルシアは不意にそんなことを思った。
誰が歌っているのか、それすら判然としない、けれど優しさが伝わるメロディーをなんとなく聴きながら、まるでその歌に誘われるように訪れたまどろみに意識を任せる。
(そういえば……)
思い出したのはたぶん、半分夢の中でのこと。
(ミックが言ってた天使様って、もしかして、あいつのことなのかな……)
白く、長い髪の、顔を隠した魔法使い。人間に捕らわれた獣人を助け出している謎の人。
アッシュローズは、少年が言っていた話の内容にすべて合う気がする。間違いないと、頭のどこかが確信してしまうほどに。もし、本当にそうなのだとしたら────
(やりたいことをやってるだけだから、か……。何だろうな。あいつのやりたいことって……)
思索は、そこまで。
ガルシアもまた、静かに眠りの世界へと入っていった。




