光降る丘で-3
すべて話し終えたことで落ち着いたか、アッシュローズが息をついた。空を見上げてひとりごちる。
「そろそろ帰らなくてはな……」
太陽は完全に木々の向こうに隠れてしまった。空の色も東のほうは濃いブルーだ。確かにそろそろ家に帰るべき時間だろう。
「そだな」
頷いたら、アッシュローズが思い出したように振り返った。
「フェリスがお前に逢いたがっているのだ。お前さえ良ければ、今夜は屋敷に泊まっていかないか?」
「それは、まぁ、構わねえけど……」
一度は口ごもったものの、やはり言いたいことを飲み込むのは性に合わない。GRはアッシュローズに体ごと向いた。
「俺がいなくても大丈夫なのか?」
唐突に彼の息が止まった。そんなに驚いたのか、三対の翼まで萎縮してしまっている。
「どうした?」
訊くと、アッシュローズはしばし視線をさまよわせ、それから不機嫌と不安の中間のような表情を向けてきた。
「どういう意味だ」
「どうって……そのまんま。てっきりまた一緒に仕事……でいいのか? うん、まぁとにかく、一緒にやる気でいたんだけど。じゃなきゃ何度でも止めてやるなんて言わねーし」
「………………」
「でも『今夜は』ってことは、俺は明日帰らされるってこったろ? だからさ、一人で大丈夫なのかなってさ」
アッシュローズは、前髪で顔全部が隠れるほどうつむいた。
「……いい、のか……?」
風が翼を細かく震わせる。
「いくら天使に戻ったとはいえ、……いや、だからこそ地獄の炎は私の本質のひとつだ。いつまた感情に飲み込まれ、再び断罪者として力を振るってしまうかわからない……。それでも、お前は手伝ってくれると?」
考えるまでもない。
「前言撤回なんざしねーよ。暴走したらぜってぇ止めてやる。それに手伝うも何も、お前がやンのは獣人族の解放だろ? 俺のいちばんやりてぇことなんだから、協力だ」
アッシュローズが顔を跳ね上げた。
驚きをあらわにする彼の目をまっすぐに見据える。
「その代わり約束しろ。二度と死にてぇなんて言うな。絶対にあきらめンな。……忘れンなよ? お前は独りなんかじゃねえ。今度馬鹿なまねしたら赦さねえからな」
そうだ。アッシュローズはけっして孤独などではない。案じる者たちがいる。待っている者たちがいる。彼らの気持ちを突き放し、見捨てることのほうが、堕天よりも大罪ではないだろうか。彼にはそんな裏切りをしてほしくない。
GRの思いが伝わったか、白皙の頬が緩んだのはすぐだった。
「わかった。魂にかけて約束する」
GRも笑う。
「っし、そうと決まったら早く帰ろうぜっ。俺、腹減ってしょうがねえよ」
言って、アッシュローズと肩を並べて歩き出した。
「そういやぁメイの飯もひさしぶりだなぁ。あっ、急に行っても俺のぶんあっかな」
「作っているとは思えんが、ないならないでどうにかしてくれるだろう。それだけの腕はある」
「そっか」
これで最大の心配事が消えた。嬉々として尻尾を振る。
「今日のメニューはなんだろうなぁ。デザートもあるかなっ」
「本当に甘いものが好きなのだな」
「おうっ。しかもメイの作るもんってなんでもうまいからなー。ウチの料理長といい勝負なんじゃねえ? …………あ」
ふと、気になった。大丈夫だとは思うが、念には念を入れておいたほうがいいかもしれない。
「アッシュ、お前さ。俺が言ったことちゃんと覚えてるよな? 呆けてましたーなんて理由で忘れてねえよな?」
横の白い体が、びくっ、と震えた。
「えっ、あ、ああ」
髪の隙間から覗く頬がうっすらと色づいて見えるのは、夕焼け空のせいだろうか。
「うん……覚えている。……一人で無理しないで、頼る」
何にしても納得のいく答えが返ってきた。GRはよしと頷き、視線を前に戻す。
「だったら、それっぽい対応してやれよな。きっとメイも喜ぶしっ」
「………………」
即答が返ってくると思ったのに、いつまで経っても声が聞こえてこない。しかも横を向いたらアッシュローズ自身がいない。
「あれっ? えっ? あ、いきなり立ち止まってどうしたんだよっ」
離れた場所でアッシュローズが眉をひそめていた。
「…………それっぽい、とは、なんだ」
どうやら考えすぎで歩くのを忘れたようだ。
仕方がないので彼のいるところまで戻る。
「メイが飯を作ってくれて助かるとか、メイの飯を食うのが楽しみだーとか。あとは食いてぇもんを言うとかさっ。世話してくれることにちったぁ甘えろってことだよ」
戻りながら、すっかり考え込んでしまっている彼に笑いかける。
「難しく考えなくてもいいんだって。メイがやる気になるような言葉をかけてやりゃあよ。どうせお前、今まで何にも言ってねえんだろ」
アッシュローズが固まったままうなった。
「それは否定できんが……そうではなくて……、今の話のどこからメイが出てきたのだ」
「は?」
彼の目の前まで戻ったはいいが、自分こそが首を傾げたくなった。
「どこって、もっとみんなに頼れって話に決まってンだろ?」
奇妙な沈黙。
わずかに冷たい風が通って、服と髪をふわりと揺らす。
「…………………………みんな?」
「おう。フェリスにメイに、あと村の奴ら。みんな無理ばっかしてるお前のこと、すげー心配してンだぜ? 駄目だろ、特にフェリスとメイに心配かけたら。遠慮すンのと気づかうってのは違うんだぞ。ちゃんと助けあえって。それがほんとの家族ってもんだぜ」
ふう、と鼻から息を吐く。
「ぶちキレてるときはしょうがないとしたって、ここに来てからもまーだぼけっとしてやがったんだな。ったく、人の話はちゃんと聞──……っ!?」
声が途中で詰まった。原因は目の前の男だ。
肩を急斜面にしたアッシュローズから、怒りなのだか苛立ちなのだか、もはやどちらでもいい気配が爆発的に膨らんだ。袖がぶわりとなびく。
「フッ」
嘲笑と同時に、腹に衝撃が。予測不可能な事態に耐え切れず、GRは倒れて腰を打った。たいしたダメージではないが、驚愕のせいで混乱に陥る。
「なっ、なっ、なっ、なんで殴られなきゃなンねーんだよっ!」
「うるさい黙れお前が悪いっ!」
大きく振り上げた足の裏が、顔めがけて落ちてきた。
寸前で受け止めることに成功するも、さらにわけがわからない。
「足蹴かっ? いきなり足蹴なのかっ? ってか、冗談抜きでなんでいきなり怒ってンだお前はぁっ! 俺が何したってンだよっ!」
アッシュローズがさらに怒りの温度を上げて踏みにじってきた。
「わからんか。そーかそーかわからんかっ。お前は正真正銘の馬鹿犬だなぁははははは」
「だぁぁもうっ、犬呼ばわりすンな! 俺様は狼だっ!」
「ふんっ、何が狼だ! お前など犬で充分だ!」
──げしげしげしげしっ!
「馬鹿犬、馬鹿犬、馬鹿犬っ! 何度でも言ってやるぞ馬鹿犬めっ!」
「でっ!」
何回も踏まれた挙句、蹴り飛ばされてしまった。
転がったGRを尻目にアッシュローズが踵を返す。
「あぁくそっ、最悪だっ!」
「ちょ、お、おいアッシュっ」
慌てて立ち上がって追いかけるものの、どうにも怖くて隣に並べない。
「なーって、なんで怒ってンだよぉ。なーなーっ」
「うるさいうるさいうるさーいっ! 絶対にお前にだけは頼らんぞ! あぁそうだとも死んでも頼らんっ。頼ってたまるものかっ! くそっ!」
なぜこの男はいきなり怒り出した上に、こんなにも怖いのだろう。
「待てよ、待ってってばっ。なぁアッシューっ」
「私に触るなっ! それ以上近づいてみろ! 殴るぞっ、蹴るぞっ、踏むぞっ!」
「なーんーでーだーよーっ」
「訊くなぁぁぁぁっ!」
「うぅぅぅ、マジでなんで~?」
心底泣きたくなりながらGRは、それでもアッシュローズを追いかけ続ける。
うっすらと覗く彼の真っ赤な耳に、なぜか、この先腐れ縁のように続きそうな何かの予感がしたのだが──その理由と意味を知るのは、また別のお話。




