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盟約のトリスアギオン  作者: 神希
第6幕
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光降る丘で-3

 すべて話し終えたことで落ち着いたか、アッシュローズが息をついた。空を見上げてひとりごちる。


「そろそろ帰らなくてはな……」


 太陽は完全に木々の向こうに隠れてしまった。空の色も東のほうは濃いブルーだ。確かにそろそろ家に帰るべき時間だろう。


「そだな」


 頷いたら、アッシュローズが思い出したように振り返った。


「フェリスがお前に逢いたがっているのだ。お前さえ良ければ、今夜は屋敷に泊まっていかないか?」

「それは、まぁ、構わねえけど……」


 一度は口ごもったものの、やはり言いたいことを飲み込むのは性に合わない。GRはアッシュローズに体ごと向いた。


「俺がいなくても大丈夫なのか?」


 唐突に彼の息が止まった。そんなに驚いたのか、三対の翼まで萎縮してしまっている。


「どうした?」


 訊くと、アッシュローズはしばし視線をさまよわせ、それから不機嫌と不安の中間のような表情を向けてきた。


「どういう意味だ」

「どうって……そのまんま。てっきりまた一緒に仕事……でいいのか? うん、まぁとにかく、一緒にやる気でいたんだけど。じゃなきゃ何度でも止めてやるなんて言わねーし」

「………………」

「でも『今夜は』ってことは、俺は明日帰らされるってこったろ? だからさ、一人で大丈夫なのかなってさ」


 アッシュローズは、前髪で顔全部が隠れるほどうつむいた。


「……いい、のか……?」


 風が翼を細かく震わせる。


「いくら天使に戻ったとはいえ、……いや、だからこそ地獄の炎は私の本質のひとつだ。いつまた感情に飲み込まれ、再び断罪者として力を振るってしまうかわからない……。それでも、お前は手伝ってくれると?」


 考えるまでもない。


「前言撤回なんざしねーよ。暴走したらぜってぇ止めてやる。それに手伝うも何も、お前がやンのは獣人族の解放だろ? 俺のいちばんやりてぇことなんだから、協力だ」


 アッシュローズが顔を跳ね上げた。

 驚きをあらわにする彼の目をまっすぐに見据える。


「その代わり約束しろ。二度と死にてぇなんて言うな。絶対にあきらめンな。……忘れンなよ? お前は独りなんかじゃねえ。今度馬鹿なまねしたら赦さねえからな」


 そうだ。アッシュローズはけっして孤独などではない。案じる者たちがいる。待っている者たちがいる。彼らの気持ちを突き放し、見捨てることのほうが、堕天よりも大罪ではないだろうか。彼にはそんな裏切りをしてほしくない。

 GRの思いが伝わったか、白皙の頬が緩んだのはすぐだった。


「わかった。魂にかけて約束する」


 GRも笑う。


「っし、そうと決まったら早く帰ろうぜっ。俺、腹減ってしょうがねえよ」


 言って、アッシュローズと肩を並べて歩き出した。


「そういやぁメイの飯もひさしぶりだなぁ。あっ、急に行っても俺のぶんあっかな」

「作っているとは思えんが、ないならないでどうにかしてくれるだろう。それだけの腕はある」

「そっか」


 これで最大の心配事が消えた。嬉々として尻尾を振る。


「今日のメニューはなんだろうなぁ。デザートもあるかなっ」

「本当に甘いものが好きなのだな」

「おうっ。しかもメイの作るもんってなんでもうまいからなー。ウチの料理長といい勝負なんじゃねえ? …………あ」


 ふと、気になった。大丈夫だとは思うが、念には念を入れておいたほうがいいかもしれない。


「アッシュ、お前さ。俺が言ったことちゃんと覚えてるよな? 呆けてましたーなんて理由で忘れてねえよな?」


 横の白い体が、びくっ、と震えた。


「えっ、あ、ああ」


 髪の隙間から覗く頬がうっすらと色づいて見えるのは、夕焼け空のせいだろうか。


「うん……覚えている。……一人で無理しないで、頼る」


 何にしても納得のいく答えが返ってきた。GRはよしと頷き、視線を前に戻す。


「だったら、それっぽい対応してやれよな。きっとメイも喜ぶしっ」

「………………」


 即答が返ってくると思ったのに、いつまで経っても声が聞こえてこない。しかも横を向いたらアッシュローズ自身がいない。


「あれっ? えっ? あ、いきなり立ち止まってどうしたんだよっ」


 離れた場所でアッシュローズが眉をひそめていた。


「…………それっぽい、とは、なんだ」


 どうやら考えすぎで歩くのを忘れたようだ。

 仕方がないので彼のいるところまで戻る。


「メイが飯を作ってくれて助かるとか、メイの飯を食うのが楽しみだーとか。あとは食いてぇもんを言うとかさっ。世話してくれることにちったぁ甘えろってことだよ」


 戻りながら、すっかり考え込んでしまっている彼に笑いかける。


「難しく考えなくてもいいんだって。メイがやる気になるような言葉をかけてやりゃあよ。どうせお前、今まで何にも言ってねえんだろ」


 アッシュローズが固まったままうなった。


「それは否定できんが……そうではなくて……、今の話のどこからメイが出てきたのだ」

「は?」


 彼の目の前まで戻ったはいいが、自分こそが首を傾げたくなった。


「どこって、もっとみんなに頼れって話に決まってンだろ?」


 奇妙な沈黙。

 わずかに冷たい風が通って、服と髪をふわりと揺らす。


「…………………………()()()?」

「おう。フェリスにメイに、あと村の奴ら。みんな無理ばっかしてるお前のこと、すげー心配してンだぜ? 駄目だろ、特にフェリスとメイに心配かけたら。遠慮すンのと気づかうってのは違うんだぞ。ちゃんと助けあえって。それがほんとの家族ってもんだぜ」


 ふう、と鼻から息を吐く。


「ぶちキレてるときはしょうがないとしたって、ここに来てからもまーだぼけっとしてやがったんだな。ったく、人の話はちゃんと聞──……っ!?」


 声が途中で詰まった。原因は目の前の男だ。

 肩を急斜面にしたアッシュローズから、怒りなのだか苛立ちなのだか、もはやどちらでもいい気配が爆発的に膨らんだ。袖がぶわりとなびく。


「フッ」


 嘲笑と同時に、腹に衝撃が。予測不可能な事態に耐え切れず、GRは倒れて腰を打った。たいしたダメージではないが、驚愕のせいで混乱に陥る。


「なっ、なっ、なっ、なんで殴られなきゃなンねーんだよっ!」

「うるさい黙れお前が悪いっ!」


 大きく振り上げた足の裏が、顔めがけて落ちてきた。

 寸前で受け止めることに成功するも、さらにわけがわからない。


「足蹴かっ? いきなり足蹴なのかっ? ってか、冗談抜きでなんでいきなり怒ってンだお前はぁっ! 俺が何したってンだよっ!」


 アッシュローズがさらに怒りの温度を上げて踏みにじってきた。


「わからんか。そーかそーかわからんかっ。お前は正真正銘の馬鹿犬だなぁははははは」

「だぁぁもうっ、犬呼ばわりすンな! 俺様は狼だっ!」

「ふんっ、何が狼だ! お前など犬で充分だ!」


 ──げしげしげしげしっ!


「馬鹿犬、馬鹿犬、馬鹿犬っ! 何度でも言ってやるぞ馬鹿犬めっ!」

「でっ!」


 何回も踏まれた挙句、蹴り飛ばされてしまった。

 転がったGRを尻目にアッシュローズが踵を返す。


「あぁくそっ、最悪だっ!」

「ちょ、お、おいアッシュっ」


 慌てて立ち上がって追いかけるものの、どうにも怖くて隣に並べない。


「なーって、なんで怒ってンだよぉ。なーなーっ」

「うるさいうるさいうるさーいっ! 絶対にお前にだけは頼らんぞ! あぁそうだとも死んでも頼らんっ。頼ってたまるものかっ! くそっ!」


 なぜこの男はいきなり怒り出した上に、こんなにも怖いのだろう。


「待てよ、待ってってばっ。なぁアッシューっ」

「私に触るなっ! それ以上近づいてみろ! 殴るぞっ、蹴るぞっ、踏むぞっ!」

「なーんーでーだーよーっ」

「訊くなぁぁぁぁっ!」

「うぅぅぅ、マジでなんで~?」


 心底泣きたくなりながらGRは、それでもアッシュローズを追いかけ続ける。

 うっすらと覗く彼の真っ赤な耳に、なぜか、この先腐れ縁のように続きそうな何かの予感がしたのだが──その理由と意味を知るのは、また別のお話。

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