嘘と真-4
敵は多数。しかしさほど広くもない室内である。よほど連携に自信がない限り、二人以上が同時に斬りかかってくることはない。となれば、仮に攻撃の間隔が狭いとしても必ずタイムラグができる。そこを見極められるなら六人という人数は脅威ではない。そもそも、アッシュローズが自分で啖呵を切ってみせたのだ。まともに戦える自信があるに決まっている。でなければただの馬鹿だろう。
よほど危なくなったら手助けしてやることにして、GRは数歩後退した。戦闘領域から外れる。
視線の先で、武器を振り上げる男たちの中、嫌でも目立つ白服が空気を含んで揺れる。裾をなびかせ、アッシュローズが滑るように彼らの懐に入った。右腕をわずかに下げる。
閃く銀棒。
一筋の残像。
金属音。
アッシュローズの右側に振り下ろされる剣が途中で軌道を変えた。
先端で刀身を弾かれたせいだと気づいただろうか。どちらにしてもとっさに反応できなかった男にアッシュローズの動きを阻止することなどかなわない。
一足飛びで彼の背後に回ったアッシュローズがターンする。
「ぐぁっ」
動きの中で二人目の棍棒──否、手首を打ち据えた。
男があっさりと武器を落とす。
アッシュローズが転がる棍棒をつま先にひっかけて蹴り上げた。
「求めに応じ、変化せよ」
放物線を描いて飛ぶ棍棒が魔法を受けて、空中で盾に変形した。落下地点はアッシュローズの左手だ。
受け止めるのと盾の持ち手を掴むのとを同時におこなった直後には、彼の顔はまったく別の方向を向いていた。なおも回転する体の流れに逆らわずに身を任せながら、しっかと次の標的に視線を固定する。
──とん。
軽すぎる踏み切り音。うずくまる男をかすめてふわと舞う服は、まるで花園に踊る蝶の翅か春風に漂う花びらか。
あでやかにして、たおやか。しかし直後に走るのは柔和な印象とは真逆の烈しい一閃。
体重をかけた袈裟斬りで肩を打ち、一歩の踏み出しですれ違うなり返す刀で奥の敵を弾き飛ばす。二人とも一撃で昏倒だ。
抜群の威力。しかし強い踏み込みのせいで硬直が生まれた。
五人目が体ごと突きを繰り出してくる。
だが慌てない。顔も向けずに盾を上に振る。
跳ね上がる刀身。男は剣を手放す愚は免れたがしかし、体勢を整える間はなかった。音だけで痛覚を刺激される一撃が、がら空きの腹に突き刺さる。
刃のないただの棒が肉体を貫くことはない。だが同時に、体内に走る衝撃を外へ逃がせもしない。威力をすべて受け止めた体をくの字に曲げ、男はうめき声も上げずに悶絶した。
「…………」
ようやく立ち止まり、アッシュローズが直立姿勢に戻った。彼を追う長い髪が純白の服に舞い降りる。しっとりと。一部の乱れもなく。
髪と絹のこすれる音が室内に響き──そこで初めて、GRは場が静まり返っていることに気がついた。同時に我に返る。
敵も同じだったらしい。最初に剣を弾かれた男が慌てて柄を握り直す。
「こ、この野郎っ」
「やめとけ」
踏み出す寸前、リーダーが彼の前に腕を出した。制止された理由を問う部下の目を見て首を振る。
「返り討ちに遭うだけだ」
それから剣を鞘に収め、アッシュローズを見た。
GRの前にいるため男の表情は見えない。だが背中からは冷静な気配が感じられた。敵意はない。裏をかこうという様子もない。戦わずして相手の実力を読み、撤退を選んだということか。やはりそれ相応の実力の持ち主だったようだ。
アッシュローズも同様の判断を下したらしい。足の位置をずらして自然体に戻った。
「責任者を、呼んでもらいたい」
「いちおうブレーメルって貴族が管理者だが、ほとんど放棄してるも同然だから今じゃ俺が責任者みたいなもんだ」
男の弁を信じるか否か迷ったのだろうか。アッシュローズはしばしの間のあとで頷いた。
「では、ブレーメルとやらには、私のほうから通達しておこう」
「そうしてもらえると助かる」
言って男は、ポケットから鍵束を出した。アッシュローズの手元めがけて放り投げる。
「奥の鍵だ」
アッシュローズは盾を捨てると、目の前に落ちてきた鍵束を銀棒の先端で打ち上げた。天井近くまで飛んだそれに目も向けず、彼は銀の装飾部から手を離す。
が、離れたと思った次の瞬間には白い手は棒部分を掴んでいた。同時に、風切り音を立てて銀棒が手の中で回る。切っ先となっていた先端が下へ。柄となっていた装飾部が上へ。瞬きをしたらすでに銀棒は元の杖へと戻っていた。
寸分の狂いなく左手に収まった鍵束を袖ごと握りしめるとアッシュローズは、周囲に転がっている男たちをさらりと見やる。
「彼らと、必要な物を持って、敷地の外で待っていたまえ」
「わかった」
了解した男に向かって鷹揚な頷きひとつ。次いで、前髪のせいで見えない目を、それでも気配でそうとわかるほどはっきりとGRに向けてきた。
「行くぞ。ついてこい」
踵を返す。
(……わっかんねえ奴……)
アッシュローズの後姿を見ながら、GRはばりばりと後ろ頭を掻いた。
魔法使いならば呪文を唱える際の援護役にしようと考えたという線もあっただろうが、アッシュローズは明らかに剣士だ。それも卓越した技能の持ち主。ここまで見事な立ち回りをしてみせる男がGRの手助けを必要としているとは思えない。GRなど連れてこなくとも戦えたはずだ。現に、たった一人であっという間に四人を伸している。そんな男がなぜ、わざわざGRに戦わせようとしたのか。
ついてくれば多少なりとも彼の考えが見えるようになるかと思ったが、さらにわからなくなってしまった。
冷静、冷徹な人間かと思いきや、よくわからないところで感情を爆発させる男で。
馬鹿丁寧な口調や物腰から物静かなタイプなのだと思っていたら、かなり攻撃的な部分を持っていて。
言い分と態度と行動は、てんでばらばら。周囲の彼に対する印象と認識もまた、GRのそれとはどれもこれも違っている。優れた剣技を身につけているのに剣を持たず、普段は魔法を使っているらしいことも、疑問といえば疑問。謎は深まるばかりだ。
「……GR。何をしている」
遅ればせながら歩こうともしていないGRに気づいたアッシュローズが、振り返って抑揚のない声を出した。
時と場合と相手によってころころ変わる声質。
こういうところも、よくわからない。
「早く来い」
再度乾いた声が呼ぶ。
「…………。へいへい、今行きますよー」
GRは胸のもやもやをため息でごまかし、アッシュローズの背中を追った。