嘘と真-2
──不意に、緑を背景にして純白の光が浮かび上がった。光は見る間に人の形を取り、空から大地へ舞い降りる。
「あしゅっ!」
完全に人の形になったところで、フェリスが光色の男──アッシュローズに駆け寄った。膝をついて迎える彼に抱きつく。
「おかえぃなさいっ。あのね、ぼくね、じーゆとおはなししてたんだよっ。じーゆ、やさしくって、おひさまみたい!」
「お日様?」
「うん、おひさまっ。ぽかぽかなのっ」
「……ふむ……そうか」
頭を撫でてもらっている少年は、後姿だけでも充分すぎるほど幸せそうに見えた。翼が興奮気味に開いているためだろうか。アッシュローズはそんなフェリスの体をわずかに離すと、彼の顔を覗くようにして口を開いた。
「フェリス、私はまた出かけなくてはならないのだ。メイと二人で留守番をしていてくれるか?」
「……じーゆは?」
「GRは私と一緒に仕事だ」
「そっか……」
淋しげにうつむいたフェリスだったが、すぐに顔を上げた。明るい声を出す。
「うん、わかった。ぼく、いいこにしてゆ。だかや、はやくかえってきてねっ」
「あぁもちろんだよ」
アッシュローズがフェリスを大きな袖で包むように抱き寄せ、頬にひとつキスをした。そして立ち上がり、こちらを見てくる。
「GR」
声が違う。フェリスに向けるそれと自分に向けるそれとでは。そのあからさまな差に苛立つ。しかしいちいち突っかかるのも面倒だし、心の狭い男のようで気に食わない。GRは片目を細めるだけでこらえた。
「ンだよ」
「昨夜泊まった部屋を自室として使うといい。今から預かった衣類を送るから着替えてきたまえ」
「この格好じゃ、なんか問題でもあンのか?」
アッシュローズはわずかな思考に時間を費やしたのち、杖を握り直した。
「体が大きいしけっして愛らしい外見ではないから、怯えさせてしまうやもしれん。自分でフォローできるならば別に構わんが」
言うだけ言って視線を外した。魔法の詠唱に入る。
「風よ。何者にも阻まれぬ者よ。門を開き領域を操りて、我が望みを届けよ」
わかったのは、呪文の詠唱が終わった直後にひときわ強く風が鳴ったことだけだ。何がどうなったのかすらもわからない。が、アッシュローズは成功したと信じて疑うことなくこちらに顔を向けてきた。
「私も着替えてくる。人の姿で行くのならば早く支度したまえ」
そしてフェリスの頭をひとつ撫でて、リビングの窓から室内に入っていった。
(あいっかわらず……)
どうにもこうにも、こちらを完全に突き放した物言いが癇に障る。なぜこんなに刺々しいのだろう。
深い嘆息をして、GRは体を起こした。
「きがえゆのっ?」
小走りで戻ってくるフェリスを一瞥してからリビングに足を向ける。
「この格好のほうが都合いい場合もあっけど、なんだかんだで人型のほうができること多いからな」
「あ、じゃあ、ぼく、おてつだいすゆっ」
「着替えくらい一人でできるって」
「おかたづけ! めいにもね、おかたづけじょうずってほめやぇたんだよっ。だかや、やってあげゆっ」
「おぉ、さんきゅー」
室内に入ると、さっさとリビングを抜けて廊下に出る。
昨夜泊まった部屋は一階、リビングの傍である。いくらリビングの面積が広いといってもすぐにたどり着く。後ろをぴったりとついてくるフェリスにドアを開けさせると、GRは中に体を入れた。
ベッドの脇に大きな衣装箱が置いてある。起きたときにはなかったから、きっとあれがそうだろう。
「フェリス、ちゃんとドア閉めろよ」
「はぁい」
扉の閉まる音を耳の端で聞きながら、GRは箱の前で腰を下ろした。
集中する。
全身に走る、風が毛を波打たせる感覚。それに続いて周囲の音がわずかに小さくなり、嗅覚が鈍り、視界の高さが変わり、そして露出した肌が空気を直に感じる。
何もかもが鈍化したように思える、獣から人への変化。しかし失うものばかりではない。代わりに色濃い視界と複雑な動きが可能な手足を得られる。どちらが優れているというものではないのだ。
GRは己の両手を見下ろすと、感覚を確かめるように数度握ったり閉じたりしてみた。
違和感はない。意識と馴染む。
「じーゆ、せ、おっきいね。……でもおおかみさんのほうが、ちょっとおおきい?」
振り返ると、フェリスがなにやら不思議そうに首を傾げていた。GRは顔を箱に戻し、蓋を開けながら言葉を返す。
「獣化したときの体のでかさってのは、自信とか精神力とか体力とか、いろいろ関係してンだとさ。よくわかんねえけど。でもま、よーするに俺様が本当に強いって証明だってこった。ふふん」
隣にやってきたフェリスが尊敬の眼差しを向けてくる。
「そうなんだぁ。すごいねっ」
「おうよ」
GRは胸を張り、しかし次の瞬間、春先だけあってまだ多分に色濃く残っている冷気に肌を撫でられて体を震わせた。急いで箱の中に手を突っ込む。
中身はすべて普段着だった。動きやすさを重視してくれたのだろう、機能的な物ばかりである。そこから服と下着と靴を適当に選んでひっぱり出すと、袖を通しながらフェリスに目をやった。
「ところでよぉ。お前、あいつがやってる仕事ってのが何か知ってっか?」
「……あしゅのおしごとのこと?」
「ああ」
するとフェリスはにっこりと笑った。
「んとね、じゅうじんのひとを、わゆいひとのとこかや、たすけてあげてゆの」
その笑みはどこか、哀しいのに無理して笑っているような笑顔だった。
(……こいつも助けられたクチ、か)
GRはフェリスの頭に手を伸ばすと、少々強く撫でてやった。びっくりしたか、両手で頭を押さえて固まった彼に笑みをひとつ落とす。
きっと今の話は間違いないだろう。アッシュローズはフェリスに偽ったりしないと、なんとなくだけれど思うから。では、なぜ彼はGRには正直に話さなかったのだろうか。もしも奴隷にされている獣人を助けているから協力してほしいのだと言われれば、自分は次期王位継承者として全面的に支援すると即答していただろう。そしてアッシュローズも、この答えが返ってくることは今までのやりとりから推測したはずだ。
信頼できないから言わないのだろうか。結局、彼も獣人と手を組むことを不名誉だ、野蛮だと思っているのだろうか。それとも────
(言ったら都合の悪くなることでもあるってのか? …………。どんなだ、そりゃ)
さっぱりわからない。いったい何を考えているのやら、だ。
GRは重くなった頭を掻くと、手早く服を着て立ち上がった。
──コンコンッ。
ドアを開いたのはアッシュローズだった。出かける前と同じローブを着た彼は、ちょうど着替え終えたGRを見るなり戸惑いがちに立ち止まる。
「……GR、か?」
「おう」
「ふぅん」
見せたためらいはそこまでだった。アッシュローズはわずかに首を動かしてGRの頭から足の先までを見、そして顔はそのままにつま先を廊下に向けた。
「行くぞ」
言葉はたったこれだけ。人のことをじろじろと見ておいて、次の瞬間にはまるで無視するかのような態度にむかっ腹が立ったとて誰が責められるだろう。出ていくアッシュローズめがけて、GRは大股で部屋を突っ切った。
「お前、いい加減にしろよっ。ゴシュジンサマ気取りか何か知らねえが、礼儀ってもんがあンだろっ」
追いついたアッシュローズの肩に手を伸ばす。
「おい、聞いて────っ?」
掴む寸前で白い服が消えた。否、横にずれることでかわしたのだ。
あからさまに魔法使い然とした格好で、確かに魔法の使い手である男に、油断していたからとはいえあっさりと手を流された現実を認識できず、混乱する。
「え、と……」
半ば放心状態のまま顔を横に振ったら、一段低いところにあるアッシュローズの頭が再び前を向いた。
「口ごたえは許さぬ。黙ってついてこい」
ぶつけられた言葉で我に返る。GRは再び歩き出した彼のあとを追った。
「ちょっと待て、少しは説明しようって気はねえのかっ」
「黙れと言ったはずだぞ。それとも、殴らねば言うことがわからぬ馬鹿犬か? お前は」
「誰が馬鹿だっ。しかも犬とか言うなっ、俺は狼だっ! つーか、話を逸らすなっ。説明しろ説明っ。だいいち人にもの頼むんなら、その前に事情を話すのが筋ってもんだろ!」
「フ……」
嘲笑。そして風切り音。
純白が舞い、続いて眼前に突きつけられたのはアッシュローズの杖。見えない眼光。
鋭さに息が止まる。
「説明だと? そのようなものは必要ない。お前の意思など知ったことか。言ったはずだぞ。お前は私のものだと。ものならばものらしく、おとなしく従え。ただ私の言う通りに動けばいいのだ」
「……な……っ」
横暴だ。理不尽だ。獣人を救出している人とは思えない発言だ。そして何よりフェリスとメイが慕う相手に見えない。
ますますアッシュローズという人間がわからなくなってきた。
フェリスの言っていたことは正しいのか? アッシュローズはフェリスに嘘をついたりしないと思ったあの直感から間違っていたのか? フェリスとメイに見せる穏やかな雰囲気自体が偽りなのか? それとも、獣人を助けるのには裏の事情があるのか?
何が真実で、どれが虚偽だ?
(いったい何考えてンだよ)
アッシュローズが杖を退いた。踵を返して歩き出す。前へと。その歩みに迷いはない。
(やろうとしてることを見ればわかンのか? この先に答えがあるってのか?)
「……じーゆ」
唐突に聞こえてきた声に顔を向けたら、フェリスが下方から見上げてきていた。眉間を悲しそうに寄せて、GRの隣にぴたりとくっつく。
「けんか、しないで」
シャツの裾を握りしめた少年の眼差しは、必死で、けれどあきらめを含んだ色をしていた。子供のする目ではない。こんな、見ていて切ない表情など──。
「そ、だな……」
GRは息を吐いた。そしてお日様のようだと思ってもらえそうな満面の笑みで、ウエスト位置にすら届いていない青い頭を軽く叩いてやる。
「とりあえず行ってくらぁ。片付け頼むなっ」
はたして、精一杯の励ましが届いたのかフェリスの頬に笑みが戻った。
「うんっ。いってゃっしゃいっ」
もう一度荒っぽく髪を撫で、GRは前を向く。アッシュローズの考えは何ひとつわからないが、今の自分にできることはきっとひとつしかない。
見て、知るのだ。現実を。
GRはまっすぐ進む白い背中を見据え、一歩、踏み出した。




