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音なき空

 森の中に、その丘はあった。深緑色の海に浮かぶ孤島のような場所だった。吹き抜ける風を邪魔するものも陽光をさえぎるものもない。草の上に座れば大地と空が繋がってみえる。天空が近づいたように感じる。そんな場所だった。

 しかし、どこよりも明るい場所であるはずなのに、暗い。ひどく陰鬱な雰囲気をまとっている。痛いほどの静寂に満ちている。

 なぜなのか。

 そんなことは考えるまでもない。わかりきっている。


「………………」


 男は丘の中心で、静かに周囲を見渡した。

 やや不規則に石の群れが並んでいる。かつては肉体が宿していた名を内に刻んだ、大小さまざまな石たち。沈黙を余儀なくされた、それは墓標。

 一面に広がる石たちへ──その下で眠る者たちへ、男は言葉を絞り出す。


「…………すまない……」


 生きたかっただろう。誰一人として死にたくなかったはずだ。本当ならば死ぬ必要はなかった。理由もなかった。けれど現実として彼らは殺された。寿命でも病のせいでもなく、与えられた傷によって。最期の一瞬まで苦しみながら。


「すまない」


 男は天を仰ぐ。そして、祈る。肉体を奪われた魂が天界で安らぎを得ているように。絶望から解放され、心から微笑んでいるようにと。


「神よ、迷える魂をお救いください。そしてどうか、世界にこれ以上苦痛が満ちぬよう、我が道に導きの光を──……」


 男はすべてを出さないうちに唇を引き結んだ。苦笑を刻む。

 自分が何も言わなくとも、罪なき魂には必ず救いの手が差し伸べられる。疑うべくもない事実(こと)だ。しかし大いなる神の慈悲は、けっして地上までは届かない。否、届けられることはない。

 祈ったところで、天は何もしてくれない。そこにあるだけで何もしない。応えない。

 よく、知っている。

 男は視線を草に落とす。


「それでも……」


 滴る、(こころ)


「それでも、神は見守っていてくださると思ってしまうのは、私が弱いからだろうか」


 呟いて────


(……駄目だ)


 己が口にした言葉に心の深い部分を傷つけられた。男は耐え切れず、両手で顔を覆う。


(駄目だっ)


 自分は強くあらねばならないのに。

 護りたいものを護りきるために、誰よりも強くなければならないのに。

 道の途中で倒れるわけにはいかないのに。


(どうして……どうして私の心はこんなにも弱い……っ!?)


 感情が氾濫する。

 激しさに、息が詰まった。

 呼吸ができない。

 男は咳き込み、膝を折った。下草に倒れ込む。

 右手で胸元を鷲掴みにし、力を入れて発作を止めようとする。が、止めようとすればするほど苦痛は増し、胸を締めつけていく。


「ゴホ、ゴホッ、かは……──っ!」


 ひときわ強い咳と一緒に嘔吐した。衝撃でうつぶせのままの体がふたつに折れる。

 口から吐き出された、色のついた液体──血の塊。

 男はたまらず目を閉じた。顔を伏せ、眉間に力を込める。


(まだ何も成し遂げていないのに……まだ何も変わっていないのにっ……私はこのまま朽ち果てるのかっ? 終末を待つことしかできないというのかっ!)


 地面を掴む。

 土が爪の中に食い込んだ。流れる血に濡れた土が。それをすがるように握りしめて、男は涙する。


(神よ、これは罰か? エゴにまみれた願いを──欲望を抱えた私への罰なのかっ? 神よ……!!)


 絶叫は、声にならない────。





 そこは、口を持たない空と大地と墓石しか存在しない場所だった。

 世界で最も天に──死に近い場所だった。


「あぁ、神よ……すべての父よ」


 男が目には見えない天界へと手を伸ばす。


「どうか……どうか……────」


 しかしその手が何かを掴むことはなく、男の意識とともに、地に落ちた。

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