その1
渋谷駅。
井の頭線の西口改札を出てすぐの雑居ビルの2階に、焼き鳥が自慢の小さな居酒屋がある。
入り口の扉を開けると、藍色の作務衣に身を包んだ粋な店主が元気な声で迎えてくれる。女性の一人客でも入りやすい、しゃれた造りの店がまえ。鶏料理には定評があり、値段も手ごろでなかなか繁盛している。
その店主が、実は元ハードコア・バンドのヴォーカリストだったということはあまり知られていない。
レギュラーのライヴ活動は何年も前に停止していて、今はメンバーのタイミングが合った時にだけ、何年かに一回程度のペースでライヴを行っている。
手に職をつけて独立し、バンドはできる範囲で楽しむ。ある意味では、バンドマンの理想的なアフターライフかもしれない。
そんな彼の店には、やはりバンド関係者が飲みに訪れることが多い。現在進行形のバンドマンも、彼と同じセミリタイヤ組も、みんな彼に会いにやって来る。
彼らは仕事の邪魔はせず、ひっそりと酒と肴を楽しんでは、店が静かになった時だけ店主と昔話に華を咲かせるのだ。
今日も開店して早々、まだ客も少ない店内に、アンバランスな女性二人組が入ってきた。
一人はガーゼ・シャツに身を包み、タータン・チェックのスカート、Dr.マーチンを履いて、ウェーブのかかった赤い髪にベレー帽を乗せた、正真正銘のパンク女。
もう一人はグレーのカーディガンにスキニーなブラックジーンズを履いて、大きなフープ・ピアスをつけた、ショートボブのOL風女子。
かもしだす雰囲気の全く違う二人は、しかし仲良くそろって店主に声をかけてきた。
「マスター、久しぶり。」
「横さん、ごぶさた。」
店主はにこやかに言葉を返す。
「いらっしゃい。へー、二人とも知り合いだったんだな。」
「実は、そうなの。」
「知り合ったのはホント最近だけどね。」
二人は店の一番奥、二人掛けの小さなテーブルに落ち着いた。店主はそれ以上、あえて声をかけないことにする。
一人はパンク・バンドのヴォーカリスト。一人はロックDJ。生業は違えど、二人とも音楽が無ければ生きていけない、筋金入りの“ロック界隈の住人”。
そんな女の子二人が腹を割ってサシ飲みなんてのは、何とも気分がいいじゃないか。
邪魔することはない。
その代わり、腕によりをかけて、うんと美味い肴をこしらえてやろう。