ミズハ……もう一人の転生者の想い ~その1~
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私は物心つく頃から鞍馬崎家の警護人として育てられた。
警護と言えば多少聞こえが良いが、実際に仕込まれたのは殺人術だ。
小さい頃から言われていたことは「お前は鞍馬崎家の為に生きるんだよ」という一言だ。
何度聞いたか憶えていない。
耳タコとはこの事だが、私にとってタチが悪いのはそれが刷り込み――いや、洗脳に近かった事だ。
私は一般的な学校には通わせて貰えなかった。
代わりに通っていたのは鞍馬崎家が所有する私学だ。
生徒が殆どいない私学だったので、有人どころか同級生すら存在していなかった。
マンツーマンによる勉強は特段楽しくも苦しくもなかった。
ただ、黙々と知識と技術を叩き込まれた。
格闘術や捕縛術、それにナイフの扱いや銃器の扱いまで……それがおかしい事に気付く事もできず、ひたすら鍛練の毎日だった。
娯楽と言えばスポーツくらいで、玩具やゲームなど触ったこともない。それどころか小説やテレビにすら触れる事はなかった。
そんな生活が一四歳になる頃まで続いた。
一四歳となったとき、私は私の生まれの真実を知った。
私が元は鞍馬崎の人間であること。
女であるから家を継げないこと。
それで倉志摩家に養子に出されたこと。
弟の為に警護人として育てられたこと。
それらを聞いても「ふうん」としか思わなかった。
世間から隔離されすぎて、私は感受性というものが育っていなかったのだ。
他人との関わりが殆どないのだから、誰かを羨ましいと思うことすらなかったし、普通であることがどういうことかも知らなかった。
一四歳になった次の春に、私は外の中学校に通うことになった。
あまりに世間から離れていたため、世間を知るためにそういう措置が取られたと聞いた。
そして、そこで私は初めて世間に触れ、そして愕然とした。
回りの人達が何を言っているのか分からなかったのだ。
好きな人の話題――いわゆる恋バナが出た時、何を言えば良いのか全く分からなかった。
テレビとは何かと聞いて、驚かれた。それ以来、会話が減った。
自分が生きていた世界とは全く異なる世界に、戸惑いしかなかった。
何より私は、その世間一般の人達をとても羨ましいと感じた。
それまで感じた事のない感情に、私は大きく心を揺さぶられた。
何であんなにキラキラしているんだろう?
好きな人がいるからか?
そのテレビ番組というものや、ドラマというものが彼女達を輝かせているのだろうか?
それに比べて私はなんとくすんだ存在なのか。
それを倉志摩家に報告したところ、初めてテレビだの小説だの漫画だのに触れる事を許された。ただ、私はそれらをどう楽しんだら良いか分からなかったのだ。
登場人物に共感できないのだ。
あまりにも自分とかけ離れ過ぎて、登場人物の生い立ちに共感できず、またその行動原因も理解に苦しんだ。
パズルゲームだけは何とか楽しむことができた。理解や共感する必要がなかったから……。
それでも幾つかの作品に触れるうち、今まで知ることのなかった知識だけは身についた。
そして、いつしか私は恋愛してみたいと思うようになった。
恋愛している人達がとても眩しく思えたから……。
だが、他人に共感できない私に誰かを好きになるなんてできるはずもなかった。
友達すらまともにできないのだ。恋愛なんてハードルが高すぎた。
結局中学最後の一年間は友人と呼べる人は一人として作れなかった。
世間に揉まれた――揉まれたという程、他人との関わりも持てたかは甚だ疑問だが――一年の間に私にできるようになったことは、取り敢えず興味はなくとも相手の意見に同調するという、またなんともレベルの低いコミュニケーションだった。
更に悪いことに、適当に相づちを打つばかりのコミュニケーションでは他者の印象に残るはずもなく、存在しないかのような扱いを受けることになった。
実際、何処かに出かけようと誘われたことなど一度もなかった。
結局、最初の一年は普通の年頃の女の子としての知識を集めるだけで手一杯であり、実践したり応用したりするには至らなかったのだ。
高校に入る頃になって、私はやっと物語やテレビ番組を多少は楽しめる様になっていた。
回りの人間をみて、登場人物たちの行動理念について多少の理解ができるようになったからだ。とは言え、共感に至るにはまだ遠かった。
高校に入ってからも、何とかして友達を作ろうと思ったが、やはりコミュニケーション下手である私には中々に難易度が高い。何故神様は私に高いコミュニケーション能力を与えなかったのだろうか。
自分から会話を振れない。
他人との距離感が分からない。
グイグイ来られるのも苦手。
他人と一緒にいることがただ疲れるだけで、楽しいとは思えない。
まだ勉強が足りないのかと、私は学校の図書室に度々足を運んだ。
そんなときだった。
窓辺の席によく座っている一人の男子生徒――ネクタイの色から上級生だろう――を見つけたのは。
最初は話し掛けることもしなかった。
ただ、何か気になった。
その人も私と同じで友達がいないようだった。
少なくとも、図書室にいる間、誰かと話しているのを見たことがない。
毎日はいない。割と決まった曜日に――特に月曜日と金曜日は必ず同じ窓際の席で本を読んでいた。
正直、ちょっとパッとしない人ではある。
というか、何処か影がある。
ただ、不思議なほど親近感を憶えた。
気付けば何時も図書室でその人の姿を探していたし、見つけたら少し離れた席から観察するようになった。
その窓際の席に座った横顔が見える位置――テーブルを二つ挟んだ席に座って本を読む振りをして、幾度も観察を続けた。
読む本は多岐にわたるようだった。
内容が合わなかったのか最後まで読まずに次の本を手に取ることも度々あった。
勉強しているときもあるが、どちらかというとただ時間を潰しているようにも見えた。
その頃の私も似たような理由で図書室を利用していたので、親近感は湧いた。
初めはその距離が心地よかった。
ただ彼が窓際で本を読む。
私もそれを確認しつつ、本を読む。
その空気がたまらなく好きだった。
なのに、何時しか――いや、割とすぐにそれだけで我慢出来なくなった。
話し掛けたい。
もっと近くにいたい。
そう思うようになった。
そしてそう思っている事に心底驚いた。
私は気付いてしまった。
あの人に、恋しているんだって……。
そう自覚したら止められなかった。
次にその人を見かけたとき、私はそれこそ何も考えずに声をかけた。
何か考えてしまったら、きっと声なんてかけられなかったに違いなかったのだから。
「いっつもここにいますね。先輩!」
あの時の私は上手く噛まずに言えただろうか?
いや、きっと大丈夫。噛んでない、噛んでない……筈だ。
『ここに』を『こここに』と言いかけた気がするが、きっと気のせいだ。
ただ、先輩からのリアクションがなかったのは、当時の私を不安にさせていた。
やっぱりいきなり過ぎたか?
私はやはり人との距離感が掴めていないのか?
そんな思いがグルグルと脳内を駆け巡っていた。
って早く何か返事してくださいよ!
そろそろ沈黙に耐えられないんですが!?
なんて事を考えていた時だ。
「あ、ここ図書室なので声はもう少し抑えて……」
それですかッ!?
散々待たせておいて、返す言葉はそれですか!?
もうちょっと何かあると思うんですが!?
「私と先輩以外、誰もいないじゃないですか」
この時、私も既に心がパッツンパッツンで、正直なんて返したか定かではない。
自分から話し掛けるのってこんなに怖いんだって、思っていた。
同時に、これまで私に話し掛けてくれた人達は凄いなぁって思い直していた。
こんなに心臓バクバクで、頭の中グルグルで、返事を待つ間がこんなにも苦しいなんて思いもしなかった。
この後の記憶はかなり曖昧だ。
いや、あまりに会話が酷いので、思い出したくないのが正解かもしれない。
「私、先輩のストーカーなんで」
「何それコワイ」
いやあああああああッ!
なんでこんなことだけしっかり思い出すんですか!?
もうホント!
当時の私はもう少し考えて会話すべきです!
いや、同年代との会話なんてちゃんと出来てたことないんですけどね!? ないんですけどね!?
この後、何とか自己紹介までこぎ着けたんだけど……。
――友達ってどうやってなるんだろう?
いや、最終的には恋人になりたいって思ってるんだけど、それはまだ先だよね?
まずはお友達から始めないと……。
「じゃあ、先輩。早速ですが私は先輩が好きなので私を彼女にしてください」
終わった……。
いや、何を言ってるんですか?
もうこれ駄目でしょう?
完全に変な女じゃないですか?
「良いよ」
「って駄目ですよね。まずはお友達から……って良いんですか!? なんで!?」
どうしてこうなった?
てか本当に良いの?
いや、私で良いって言うなら、もう止まりませんよ?
もう勢いで行っちゃいますよ?
この後、多少の紆余曲折がありましたが、私と先輩は付き合うことになりました。
「そもそもなんで俺なの?」
「一目惚れなんですが……そうですね。DNAにビビッと来た、みたいな?」
本当の意味では一目惚れではないですね。
何度か見かけて、何度も見つめて、いつの間にか好きになってました。
DNAかどうかはともかく、感覚的にビビッと来たのは本当です。
好きになるってきっとそういうことだと思います。
そして、それはとても素敵なことだと、私はこの時初めて知りました。
例えそれが、抱いてはならない想いだったとしても……。