どうやら俺は己自身と己の過去に向き合う必要がある模様 ~その10~
となると数々の嫌がらせは父がやっているのか? いや、当然この女も関わっているだろう。
俺に対する悪意というか憎悪がそれを物語っている。俺という《存在そのもの》が煩わしいのだ。
前当主である祖父は、俺の事を鞍馬崎の一族と認めていた節がある。祖父との会話に、一族として生きる心得のようなものがあったのは、恐らくそういうことだ。
きっと俺自身にも鞍馬崎家の後継者たる資格があったのだ。
無論、絶対に御免こうむるが……。
「あの女の子供だけあって生意気ね! 忌々しい! アンタら母子なんかとっとと心中でもすれば良かったのよ! なのにどんなに追い詰めてもゴキブリみたいにしぶとく生きて! やっとあの女が死んだのに何でアンタは生きてんのよ! 早くあの女みたいに死になさいよッ!」
もう駄目だ。我慢できない。
全身の血が沸騰して怒りに支配されそうになったその時、なんとも言えない……しかし以前にも感じた事のある感覚が俺の全身をざわりざわりと這い回る。
その感覚が、怒りに囚われそうな俺の心を引き留めた。
恐らくは静かで小さな……敵意。これは……ミズハ!?
今回、先に動いたのは俺だった。
俺は鞍馬崎ミチヨを殴りつけようと、踏み込む。
俺の横合いでミズハが拳を繰り出す気配がした。
ミズハの拳が俺に迫る。
ああ。
これで良い。
俺はミズハに殴られるべきなのだ。
正面切って謝罪できない臆病者には手酷く殴られるくらいで丁度良い。
俺はチラリとミズハに視線を送った。
お互いの視線が重なり合う。
サングラス越しにミズハの目がうっすら見えた。
なぜか……その目は哀しみに歪んでいた。
(なんでそんな顔を……)
それが分からないまま、俺はミズハに殴られた。
かなりの衝撃に意識を飛ばしかけ、俺はその場に倒れ伏す。
ミズハが小さく「どうして……」と呟いたのを聞き取ったときに、俺は理解した。
俺はまた間違えたのだ。
ミズハはそんなこと望んでいなかった。
――レイジ先輩……もしその時が来たら……私と駆け落ちしてくれます?
あの時、言われたじゃないか。
あの言葉は冗談なんかではなかった。
ミズハは今なら全てを台無しにしても良いと思ったのだ。
鞍馬崎ミチヨを殴りつけ、警護人をクビになってでも鞍馬崎家と決別しようとしたのだ。
それなのに俺は……また臆病な選択をしてしまったのだ。
ミズハの気持ちを、酌んでやることが出来なかった。
旧家の警護人ではなく、前科はあるが普通の女の子になる……そんなミズハの決意すら、俺は邪魔をしたのだ。
俺が殴られて地面に倒れたのを見て、参列者から悲鳴が上がる。
流石にこれ以上は放っておけないと思ったのか、参列者達は次々俺に近寄って手を差し伸べたり、声をかけたりしてくる。
鞍馬崎ミチヨは「そ、ソイツが先に殴りかかって来たのよ! 私は悪くないわ!」と言っているが、それまでの態度と発言からか、誰も彼もが彼女には冷たい視線を送っていた。
「憶えていなさいよ……」
さしもの鞍馬崎ミチヨも参拝者の無言の圧力に耐えられなくなったのか、悪役みたいな捨て台詞を残して立ち去った。
ミズハともう一人の警護人らしき女性も後について立ち去る。
車が立ち去った後、俺は参列者に深々と頭を下げて騒ぎを起こしたことを謝罪した。
参列者たちは「大変だったね」などと声をかけてくれていたが、実のところそれらの言葉はあまり頭には入ってこなかった。
ただ、一度車の去った方を振り向いて……。
(ごめ……)
心の中でミズハに謝罪しようとして、止めた。
直接伝えるべき言葉を口に出来なかった……そんな男が心の中で謝罪などする資格は無い。
折角、ミズハに再会出来たというのに心は晴れない。
むしろ自己嫌悪が募るばかりだ。
何が《将来のこととか考える》だよ。
ゴッ!
参列者がいなくなった頃、俺は自身の額を全力で壁に叩きつけた。
ミズハと別れた当時の自分の事も殴りつけたい。その思いの分だけ、何度も壁に頭を叩きつけた。ヌルリとしたものが額から流れ落ちるが、それでも何度も叩き付けた。
俺は将来どころかミズハのことを何も分かっていなかった。知ろうとすらせず、ただ初めての恋人という事実に甘えていただけだった。
結局のところ俺は、相手のことなど何も考えていない利己的な人間でしかなかった。
これでよく他人を非難できたものだ。
何が余裕を失った人間が優しさを失うだ。
今の俺は余裕を失った訳じゃない。ただ自分が傷付きたくないから、他人に優しくできなかっただけだ。
只の臆病者で……卑怯者だ……。
多分、この日から俺は……自分を許せなくなったんだと思う。
心の奥底では、自分が呪わしいとすら思っていた。
同時に、他者への興味を失った。
期待もしなくなった。
それが、俺の本質だ。
それが、俺の全てだった。
「これが、俺の話せる俺の過去……俺の罪なんだ……」