どうやら俺は己自身と己の過去に向き合う必要がある模様 ~その9~
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四年後。
母が亡くなった。
心不全で倒れて、あっという間だった。
まだ四十を超えたばかりなのに……。
それだけ、心身共に負担をかけ続けていたのだろう。
棺に入っている母は、やけに小さく見えた。
殆ど身内がいなかったので、この時ばかりは近所の人の力を借りて葬儀を行った。
普段は距離を置いている人達も、この時ばかりはお悔やみの言葉を述べつつ、色々と手伝ってくれた。村八分って残りの二分が火事と葬式だったかと益体のない事を考える。
通夜をつつがなく終わらせ、翌日の告別式もスムーズに進み喪主として最後の挨拶を述べようとした頃、見たことの無い女性が葬式に訪れた。
俺と母はから他者との接点が少ない。煙たがられていたから当然だ。
だからこそ、明らかにこの街の住民ではない、見知らぬ人物が弔問に訪れることに違和感を憶えた。
年の頃は母と同年代くらい――恐らく四十代前半と思しき女性は、豪奢な外国車――俗に言うリムジンだろう。車種については詳しくないので分からなかった――から《表面上は》上品に見えるたたずまいで降りてきた。
表面上はと付け加えたのは、その女性が放つ雰囲気や他人を見る目に高慢で傲慢な気配を幾つも感じたからだ。
対外的には上品を演じつつも、本人に気品が感じられない。身につけすぎた装飾品の趣味にも、本人の品の無さが見てとれる。
その女性は、芳名録に記載することもなく、ただ真っ直ぐこちらにくるといきなり悪態を吐いた。
「やっと死んでくれたのね。あの女」
一瞬、我が耳を疑った。
わざわざ他人の通夜に来て、そんな暴言を吐く人間がいるとは思えなかった。
周囲の人間も、その発言にざわめく。
白い視線に晒されるが、その女は気にした風もなかった。
女の連れ――黒服にサングラスの女性らしき二人を連れていた――も女を窘めるでもなく、ただ黙って突っ立っていた。
その時、母にそんな悪態を吐く人物が一人だけ思い浮かんだ。
そうか!
コイツがそうか!
コイツが全ての元凶か!!
間違いない!
コイツこそが鞍馬崎現当主の妻――父が結婚した相手なのだ。そしてコイツこそが俺達家族に嫌がらせを続けた張本人だと、俺の直感がそう告げていた。
その事実に気付いてしまったこと、そしてコイツが先ほど口にした言葉の意味を理解した俺の胸の奥から、それこそ沸騰して溢れそうな程の怒り湧き上がった。あまりの怒りに、視界が真っ赤に染まる程だ。
一瞬、父がいないかと視線を巡らすが、車の中に少年がいることが認められるだけで他には誰もいなかった。
多分、他人に殺意を覚えたのはこの時が初めてだったと思う。
それを実行に移さなかったのは捕まるのが怖いとかそう言う理由ではない。この時の俺は捨てるものや守りたいものなんか無かったのだから。
ただ、気付いてしまった。
連れの黒服の一人の正体に……。
髪は短く切ってショートボブになっているし、サングラスもしているが見間違うなんてあり得ない。
そこにいたのは間違いなく倉志摩ミズハ本人だった。
よく見れば、もう一人の女性にも既視感がある。母が倒れた時、病院で見かけた顔……確かミズハが『義母様』と呼んだ女性だ。考えてみれば鞍馬崎の人間が来ているのだから、警護人としてミズハが同行するのは当然だった。
ミズハを見た俺の中から急激に怒りが小さくなっていく。
代わりに内を締めるのは後悔。
そして、いまだ謝ることすら出来ていない、臆病な自分に対する情けなさ。
それらの感情がない交ぜになり、まるで棘のように俺の心に刺さる。息が詰まりそうだ。
どうやってその濁流のような感情を制御できるのか見当もつかない。
呼吸が荒くなるのを必死に抑え表面上は平常心を保てる様になるのに、俺はどの位の時間をかけたのだろう? 数瞬だと思うが……もしかしたら何十秒もかかっていたかもしれない。
どうにかして平静を取り戻すと、俺は顔を上げ相手を見て言った。
「弔問の方でしょうか? 芳名録にお名前をご記載ねがえますか?」
「はあ? なんでアタシが香典出さなきゃいけないのよ?」
いきなり会話が噛み合わない。香典を要求した憶えは無いんだが。
会話をするつもりがないのか、会話する能力に乏しいのか……。
「アタシはただ、あの女の死んだ顔を見に来ただけなのよ! 道を空けなさいよ!」
いちいち癇に障る言い方に、俺は再び怒りに満たされるのを感じた。だが、ここで挑発に乗っては相手の思う壺なので、大きく深呼吸してから慇懃に返答するよう勤める。
「そうですか、そのような要望にはお応え出来かねますので、今すぐお引き取り下さい」
慇懃にとか無理だった。言葉の端々に怒気が混じってしまう。
頭も下げてないし。
というか、こんなヤツに下げる頭は持ち合わせていない。
「はあ!? アタシがわざわざ来てやったのよ?」
「こちらは招いてはいません。故人に対する最低限の礼儀すら持ち合わせていない品位の低い人に、母と対面して欲しくはありません」
女は顔を真っ赤にし、目を吊り上げて俺を睨んだ。
こちらも負けじと睨み返す。
他の参列者も迷惑そうな顔をして女を見ていた。
「アンタ、私を知らないの!? あの女の息子でしょ!? あの女から……」
「貴女のような下品な人など存じませんし、知りたいとも思いません。お引き取り下さい」
俺の言葉に女の顔は赤からより赤黒く変色した。
下品と言い切られたことで相当に気分を害したのか、歪んだ般若のような顔になる。
それを見て、いい気味だと思ってしまう。
「アタシは鞍馬崎ミチヨ! あの鞍馬崎の人間なのよ!?」
ミチヨ……ね。まあ、知りたくもなかったけどな。
「だから何です? そもそも本当に鞍馬崎の血族なのですか?」
「――ッ! ア……アアアアァアンタッ! 言ってはならないことを言ったわねッ!」
逆鱗にでも触れたのか、鞍馬崎ミチヨが無数の青筋を立てて口端から泡を立てて怒鳴り散らした。
ああ、そうか。そういうことか。
ミズハは鞍馬崎の次期当主として認められていなかった。古い因習にて男のみが当主として認められているからこそ、ミズハの弟が次期当主として育てられている。つまり男系血族が重視されているのだ。そういう考え方が根強いなら、当然血族関係にない当主の配偶者は一族内での扱いが良いとは思えない。
それが鞍馬崎ミチヨの劣等感に繋がっているのだ。