どうやら俺は己自身と己の過去に向き合う必要がある模様 ~その8~
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母は年明けまで入院することになった。
入院費もかさむので、俺はバイトのシフトを増やして年末年始を過ごした。
ミズハと一緒に居ることも出来なくなった。その事実から目を背けるようにバイトに勤しんだ。何かしていないと、気持ちだけが沈んでいく。それを誤魔化すように、がむしゃらに働いた。日雇いの仕事も幾つか入れた。
おかげで母の入院費については何とか払うことが出来た。
気持ちが晴れないまま、三学期の始業式を迎えた。
ミズハにどんな顔をして良いか分からなかったが、それは余計な心配でしかなかった。
始業式の日、俺は職員室に呼ばれ……担任に自主退学するよう言い渡された。
「な……何故でしょうか?」
「倉志摩ミズハが妊娠したそうだ……」
「…………え?」
流石に想像していなかった言葉に動揺が隠せない。
俺自身がミズハやミズハの義母から何も聞かされていないので、真偽の程が分からない。
本当に妊娠した可能性もあるが、今は確かめる手段もない。
「倉志摩はそれを理由に退学した。倉志摩の母親から相手は向日島……お前だと聞いていのだが、知らなかったのか?」
「はい……初めて聞きました……」
担任が困った様な顔をして大きなため息をついた。
本来なら俺や母に連絡があって然るべきだ。
それがないとなると、いち教師としては一方だけの発言を信じる訳にも行くまい。
「ところで……そう言った行為に憶えはあるか?」
憶えがあるかと言われてしまえば返答に詰まってしまう。
避妊はしていたが、失敗してないという保証はない。
俺が黙っていると担任は沈黙を肯定と捉えた。
「倉志摩からはお前に乱暴されたと主張しているが……」
「ミズハ……倉志摩さんからそう言われたんですか?」
「いや、これも母親からだ。本人とは倉志摩の担任の先生も話していないそうだ。で、どうなんだ?」
ミズハが直接言っていないことに、ミズハに恨まれていると思っていた俺は少しだけ安堵した。……恨まれてる可能性も無くなってはいないのだが……。
ミズハの義母が勝手にそう言ったのか……もしかしたら鞍馬崎家がそう言うように要請したのかもしれない。
「乱暴は……していません……」
何とかその一言だけ絞り出したが、別に否定しなくても良かったんじゃないかとも考えてしまった。ミズハを傷付けたことは本当なのだから。
担任は訝しげな目を俺に向けた。
俺の言葉はあまり信じては貰えてなさそうだ。
この目はよく知っている。
以前、何度もこんな目で見られた。
関わりたくない。
信じられない。
そういった感情が瞳の奥に揺らいでいる。
関係を否定して、卒業まで居残ることも可能かもしれない。
でもそんな事を言ったら目の前の教師はどんな顔をするだろうか?
――すっごい嫌がるだろうなぁ
そんな事を考えていると、何か察したのか先方が口を開いた。
「倉志摩が妊娠を理由に退学している以上、お前を処分無しには出来ないんだが……」
「先生は、俺が倉志摩さんを暴行したと思っているんですか?」
「い、いや……そうでは無いんだが……せ、性行為はしたのは事実なんだろう? ウチの学校は生徒の恋愛を禁止してはいないが、節度ある交際を求めている。妊娠したとあれば……」
「診断書による確認はしたのですか?」
「い、いや……それは……」
担任の発言がしどろもどろになる。
必要なことは何も確認していないのに自主退学を要請してきたことに、少し呆れた。
「分かりました。では診断書の確認を行って下さい。診断書が確認された場合には自主退学することとします」
俺はそう言うと「失礼します」と会話を切って職員室を出た。
あそこであれ以上の問答を繰り返しても時間の無駄だったし、騒ぎが大きくなるだけだ。
だったら先に落としどころを提示した方が良い。
母をあまり心配させたく無かったので、いきなり自主退学するという選択肢は避けたかった。とは言え、家に帰ったらこの話をしなければならないだろう。気が重い……。
その日は帰ってから母にその話をした。
退院直後の母に心労をかけるのは心苦しかったが、話さない訳にも行かなかった。
ただ、母も何か感じていたのか、少なくとも表に出すような動揺はしていなかった。
そして翌日。
再度職員室に呼び出された俺は、そのまま自主退学手続きをすることになった。
高校卒業資格を失ったので大学の推薦も取り消しとなった。
特にショックはなかった。というより、この時の俺は相当に自暴自棄になっていたと思う。
きっと、誰かに罰を与えて欲しかったのだ。
「そう言えば……泣いてないな、俺……」
校門を出て、最初にでた言葉はそれだった。
きっと二度とくぐることのない校門を見返すが、これといった感情が湧いてこない。
良い思い出もいっぱいあったのに、その全てが霞がかかったように曖昧だった。
家に帰って、退学したこととミズハを妊娠させたかも知れないことを、母に報告した。
母は少しだけ目を見張ったが、すぐに小さく息をはいて「相手の子には連絡は取れたの?」と言った。
その問いに対し、俺は首を左右に振った。
「メールもメッセージも届かなかった……電話しても『現在使われておりません』ってアナウンスが流れたよ……」
「そう……」
そんなに連絡して欲しくないということだろうか?
それとも別に事情があるのだろうか?
どちらだとしても、ミズハに連絡する手段がほぼ無くなったことに変わりはない。
いや、一つだけ方法があるにはあるが、不確実に過ぎる上、母に余計な負担をかける。
それだけは今はしたくなかった。
「母さん……」
「何?」
「退学して……ゴメン……」
母は首を左右に振っただけで何も言わなかった。
そんな母を見るのも心苦しくて、俺は早々に自室に向かった。
少し窮屈になっていた制服を着替え終わって、ハンガーに掛けると思わず「もうこれを着ることもないのか……」と独り言ちた。
殺風景な部屋にくすんだ制服。あとは少量の本と通学のための鞄。机の上にノートパソコンが一つ。他にはクローゼットに少量の服があるくらいで荷物は少ない。
それ以外は部屋の片隅に置かれた紙袋が一つ。
ああ、そうか。
ミズハに貰ったクリスマスプレゼント……。
家に帰ってから見てくれと言われたのだが、あれから今まで開けてもいなかった。
俺は力なくその紙袋を引き寄せると、口を閉じていたテープをゆっくり剥がす。
中には……
「マフラー……手縫いの? それに……封筒?」
封筒は少しだけ膨れていた。開けてみると……。
「これは……USBメモリ?」
俺はそのUSBメモリを机上のノートパソコンに挿す。
中にはたった一つのファイル。
「動画ファイル?」
俺は震えながらそのファイルをクリックした。
『あーっと、これで撮れてるのかな?』
画面にはちょっと戸惑ったようなミズハが映っていた。
『先輩? 見えてます?』
画面の中のミズハが俺に手を振った。
『っても、レスもないから意味ないですね』
笑いながらそう言ったミズハは頬を赤らめつつも本当に楽しそうだった。
『良いですか? 今から大事な事を言いますよ? ……ゴホン。まずこの動画は見たら削除してください。後で見ると絶対恥ずかしいので。と言うか、今になって酷く恥ずかしくなってきましたよ。何してるんですかね? 私は』
真っ赤になって身を捩るミズハは、何処にでもいる普通の少女で……鞍馬崎の警護人だと言われても信じることは出来なかった。
『先輩……いえ、レイジ……うぅ……あの、私と出会ってくれてありがとうございます。私はレイジに会えて本当に幸せです。大好きです。好きすぎてどうにかなってしまいそうです。でもちょっと不満もあります』
軽く身体を捻りながら落ち込んだような姿を見せるミズハに、俺は小さな不安を覚えた。
付き合い方に問題があるんじゃ無いかと一瞬考えたが、それももう今更だ。
ところが、ミズハが次に発した言葉は俺の予想とは大きく違っていた。
『先輩はもっと私に甘えてください。もっと私を求めてください。もっと私にメロメロになってください。私だけメロメロになっているのはズルイですってまた先輩呼びに戻ってるうぅぅぅぅぅ……』
盛大に赤面しつつもミズハはそう強く言い放った。
その姿が急激に歪む。
「あ、え? あ……あれ?」
目頭が熱い。頬を熱いものが伝った。
『うー……もういいや先輩で。あー、コホン。えっと……どうしても今言っておきたいことがあります。でも直接言うのは恥ずかしいので動画で言いますね。あと、必ずこの動画は消すように!』
「あ……あぐ……ぅ……」
言葉が出ない。いや言葉にならない。
『先輩……私に出会ってくれてありがとうございます』
『……私を好きになってくれてありがとうございます』
『私と付き合ってくれてありがとうございます』
『私を受け入れてくれてありがとうございます』
『……先輩! 大好きです! 大大大好きです! 離れている時間に耐えられず狂おしくなるほど大好きです! だから先輩! これからも一緒にいて下さい! 来年も再来年も……十年後もよろしくお願いします!』
最後に宣言されたミズハの本音。
決して偽りなんかじゃなかった、ミズハの俺に対する想い。
遂に俺は堪えきれなくなって、大粒の涙を零す。そして大声を上げて泣いた。
「ミ……ミズハ……う、うわああああああああああああッ! ミズハぁ! うああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
それは、ミズハと会えなくなった哀しみか、ミズハに謝罪できなかった後悔か……はたまたその両方によるものか……。
いずれにせよ、クリスマスから二週間近く経ったこの日、止まっていた感情が動き出したかのように俺は大声を上げて泣いた。
ただ、それでもミズハに対する謝罪の言葉は最後まで出なかった。
今それを出しては駄目だと、そう思った。