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どうやら俺は己自身と己の過去に向き合う必要がある模様 ~その5~

      ■



「うーん、先輩のにほい……」

「汗臭いだけでは?」

「オスの匂いですかね……」

「なんかエロい……」


 ミズハが俺の胸に顔を埋め、そんな事を言った。

 俺達はベッドの中で抱き合いながら、こうやって他愛の無い会話に興じていた。

 布団の隙間からチラリと見える白い肩が艶めかしい。

 ……どうしよう。

 時折、ミズハが哀しそうにする原因を聞きたいのだが、タイミングが掴めない。

 養子であることが原因なのだろうか……いや、あまり不用意に踏み込んで良い話題でもなさそうだ。これは勘だが、もっと別の理由がある気がする。そしてその理由を聞くのが怖い。

 俺が少し難しい顔をしていたのか、ミズハが俺の目を覗き込んだ。そのまま、俺が何か言うのを待っている


「何か聞きたい事あるよね?」


 俺が黙っているとミズハはそう切り出した。

 気付いてたのか……。

 俺は意を決して口を開いた。


「ミズハ……何か不安とかあるんじゃないのか?」

「……どうしてそう思ったんですか?」

「極たまに……なんだけど、哀しそうにしてるのが気になって……」

「あ……」


 ミズハの表情が一瞬で昏く落ちる。これを見たくなかったから――いや、見るのが怖かったから今まで言えなかった。


「私は……先輩が……レイジが好きです。大好きです。どうしようもないほど好きです。これだけは本当です。それだけでいられたら……どんなに幸せだったか……」

「俺が……ミズハを苦しめてる?」


 ミズハは全力で首を左右に振った。頬に光るものが一瞬だけ見える。


「そんな事ない! それだけは絶対にない! 先輩に出会えて、私は本当に幸せにしてもらってる! だけど……私は……」

「俺を幸せにできない?」


 ミズハは俺の背に回した腕に力を込めると黙ってしまった。


「……この間駆け落ちって言ってたことに関係ある?」

「うん……」

「話せない?」

「……全部話したら……先輩はきっと私を嫌いになるから……」


 俺は言葉の代わりに強くミズハを抱きしめた。ミズハの胸の双丘が俺の腹部に強く押し付けられる。ミズハは少しだけ身を離してまじまじと俺の顔を見つめた。

 俺は顔を近づけ、そっと口づける。


「……言葉で言ってよ……」


 不満げな言葉とは裏腹に、ミズハの顔にはほんの少し笑顔が戻っていた。

 ミズハの頭に手を回し軽く撫でる。


「愛してる……この手を離さない……」

「うん……絶対だからね……」


 抱き合ったまま、しばしの間言葉を交わさずにいた。

 お互いの存在を確認するように何度もキスをし、その手で何度も愛撫した。

 炎の様な情熱の溶け合いの時が終わると、ミズハはベッドに横になったまま大きく深呼吸してから語り始めた。


「私が養子なのは以前に言いましたけど、その理由を言ってなかったですよね……私、産まれた家から必要ないって追い出されたんです……」

「――ッ!」

「必要なのは男の後継者だって……だから女はいらないって……何時の時代だよって感じですよね……それで今の家に引き取られました」


 ミズハの告白に、かける言葉が見当たらない。

 俺も父からは必要とされなかった人間だ。祖父母から虐待もされた。

 それでも俺には母がいた。

 完全に家族から――しかも女だというだけで見捨てられるなど、どんな気持ちだろうか。


「なのに何故か私は……私を捨てた家の為に教育を受けたんです」

「え!?」

「私を引き取った家――倉志摩家は代々警護を生業とする家系でした。そこで私は……私を捨てた家の人間を護る為だけに育てられたんです。いざとなったら命を捨ててでも対象を護る警護人として……」


 なんだよそれ?

 自分を捨てた人間を護るために?

 いや、自分達の子供を自分たちを護る道具にするって、どういう神経してんだ?

 流石に理解が追いつかない……。

 とても現代日本の話とは思えない。


「なんだよ、それ? 現代にそんな話あるのか?」

「古い家にはまだあるんですよ。仕来しきたりとかそういうのが……」


 ミズハの声には諦めと同時に、僅かに吐き捨てるような感情が込められていた。

 ミズハ自身もそれに気付いたのか、軽く咳払いして話を続けた。


「最初はそんな事も知らず、ただひたすらに警護人としての教育を施されました。私は普通の小学校ではなく警護人専用の私学に通ってたので、当時はそれが不思議とも思っていませんでした。同級生もいなかったですしね。今になって考えれば、六歳児に格闘術や捕縛術を教えてる時点でおかしいんですけどね。まあ、そのおかしさに気付く事無く十四歳まで育てられました。そして、そこで私は真実を知らされたんです」


 ミズハはそこまで言うと一旦俺に背を向ける。そして俺の右手を取って自分の胸元に引き寄せた。柔らかい感触が手に伝わるが、その身体が震えていた。俺はそっと抱き寄せた。

 ミズハは子猫の様に後頭部を俺の胸元に擦りつけ甘えてきた。


「私が倉志摩の人間では無いこと。本家を護るために育てられたこと。本家に跡取りとなる男の子が最近生まれたこと。将来はその子――つまり弟ですね――を護るためだけに生きるなければならないこと……それらをそれまで母と思っていた人に教えられました。それを聞いた時は『ああ、そうなんだ』としか思わなかったんですけどね……」


 それって……心がまともに形成されてなかったんじゃないのか?


「警護人になることは小さい頃から言われ続けていたので、その時の私は特に疑問に思わなかったんです」


 俺の考えを察したのか、ミズハはそう続けた。


「その少し後――中学三年の春になったときに一般常識を学ぶという名目で一般の中学校に通い始めました。まあ、実際には学校という環境において、警護対象を確実に護る術を身につける修行の一環だったのですが……」


 ミズハが遠い目をして天井を見つめた。

 諦めにも似た笑みをため息と共に零す。


「当然、私には馴染めなかったんですよ。もう、同級生との接点なんか皆無で……笑っちゃいますよね。同級生は恋バナとか昨夜のドラマとか芸能人の話とかしてるのに、私は恋どころかテレビ番組を見たことすら無かったんですから……ハハハハハ……」


 ミズハは自虐じみた笑い声を上げた。

 その瞳には何時も消える事の無かった覇気が見えない。この時、俺の腕の中にいるのは仕来しきたりとやらに翻弄された、か弱い女の子でしかなかった。


「この頃になって私はやっとその異常さに気付きました。何故私は、顔も知らない両親の子供を……会ったことも無い弟を護るために人生の全てを費やさねばならないのか……。かといって、私には他の生き方を選ぶ自由はありませんでした。そもそも世の中にどんな世界があるのかすら教えられていない私には、他の生き方という選択肢すら与えられていなかったのですから……」


 ミズハの目尻に涙が浮かぶ。今まで俺の前で泣いたことがないミズハが――。

 哀しさと悔しさ、情けなさが溢れた様な涙を、俺は指先で拭った。


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