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どうやら俺は己自身と己の過去に向き合う必要がある模様 ~その2~

 そんな生活にひとまずの終止符が打たれたのは、中学三年の秋にジジイが死んだからだ。

 アルコール依存症による肝硬変が肝臓がんへと進展し、それが全身に転移したことが原因だった。金も無いのに酒ばかり飲んで病院にも行かなかったのだから当然だ。

 六十になったばかりに発症した癌は進行が早く、それこそあっという間にあちこちに転移した。手の打ちようがなかったという医者の言葉は、当時の俺の頭には殆ど入って来なかった。


 ジジイが死んで、胸中に溢れたのは哀しみでも喪失感でもなく、ただ「ああ、これで開放される」という安堵感だった。


 俺は母と相談し、中学卒業と同時にこの住み慣れた住み難い街を離れる事にした。

 やっと俺と母は鞍馬崎との関わりが無い地で、誰かに蔑まれることもなく、安んじて暮らすことが出来るようになったのだ。

 とは言え、すぐに新しい生活を滞りなく行えるなんてこともなかった。

 何せ、五年間もまともな人付き合いも出来ていなかったのだ。

 母にしても俺にしても、失った物を取り戻すにはまだ暫くの時間がかかると思われた。

 実際の所、人との距離を置きまくっていた俺は、高校に入ってからも人付き合いが苦手なままだったので、禄に友人も作れずにいた。

 いや、この頃の俺は、すっかり他人に関わるのが怖くなっていたのだと思う。

 他人を恐れるあまり、人前でまともに話す事も出来なくなっていたのだから……。


 生活のため、母を支えるためにバイトなどもして、少しずつそういった己の性質を改善しようとしていたが、普通に人と話せるようになるのに、一年ほどの時間を要した。

 とは言え、話せるようになっただけで、友人を作るような積極的な行動は取れずにいた。


 それが大きく変わったのは、高校二年生になって二ヶ月近く経った頃、ある人物と関わってからだった。

 当時の俺は、放課後は一人で図書室にいることが多かった。

 これまで本とか読む機会に恵まれなかった――中学の頃は学校に長居できなかったし、家にいても本を読むだけの余裕なんてありはしなかった――こともあり、この頃の俺はバイトまでの時間を本を読んで過ごすことが多かったのだ。


「いっつもここにいますね。先輩!」


 その少女は、突然俺にそう声を掛けてきた。長いツインテールがくるりと跳ねる。

 幼さを残す顔立ちと、同年代女子に比べやや小柄なその少女に見覚えは無い。先輩と言うからには一年生なのだろう。胸元のリボンもそう主張している。

 勿論高度なぼっちである俺に、一年生の知り合いはいない。

 明朗快活という言葉を具現化したような少女だったが、何処か鋭さを秘めた目が印象的で、俺はその瞳に吸い込まれるように魅入ってしまった。

 いきなり見ず知らずの少女に話し掛けられ、人付き合いレベル1の俺は内心かなり動揺していたのを憶えてる。


「あ、ここ図書室なので声はもう少し抑えて……」

「私と先輩以外、誰もいないじゃないですか」


 この頃は五月の学力試験が終わったばかりで、図書室を利用する生徒も少ない。それでも他に誰も居ないのは珍しい。


「司書の人はこっち睨んでるよ?」

「うーん。確かに怒られるのは本意じゃないですね。じゃあ、ちょっとだけ声のトーンを落としましょうか。では改めて『いっつもここに《一人で》いますね。先輩』」


 何故『一人で』を付け加えつつ強調までした?


「『いっつも』じゃないよ。バイトがあるときは真っ直ぐ帰ってる」


 一人でいることは否定しない。

 否定出来なかったんじゃない。俺は確固たる意思で以て否定したのだ。……ホントだとも。


「なるほど。月金はバイトが無いんですね」

「なんで俺の行動把握されてるの?」

「私、先輩のストーカーなんで」

「何それコワイ」


 彼女はニパッと笑って「冗談です」と続けた。

 あの時は冗談に思えなかったっけ……。


「私ってぼっちの人をみるとほっとけないんですよね~~」

「初対面でしれっとディスるの止めてくれる? ただ人付き合いが苦手なだけだよ」

「奇遇ですね、先輩! 私もです!」

「呼吸するように嘘つかないで。あとまた声大きくなってる」

「おっとと…………嘘じゃ無いですよう。大勢でワイワイやってるグループとかには話し掛け辛くて……いっつもぼっちの先輩なら声掛けられるかなぁって……」

「練習台!? 若しくは踏み台!? というか、そもそも君誰?」


 そこで彼女はあっと開いた口を右手で覆う。軽く咳払いをしてからその右手をこちらに差し出した。


「《倉志摩(くらしま)ミズハ》って言います。ヨロシク先輩!」

「《向日島レイジ》だ。よろしく」


 そう言って俺はミズハと握手した。


倉志摩くらしまって珍しい名前だな?」

「そういう先輩はよくある名前ですね!」

「ほっといて下さい」


 …………そうだ。

 この時、もっと彼女の名字についてちゃんと調べてれば、あんなことにはならなかったかもしれない。

 いや、無理か。

 そんなことをする必要性も感じなかったし、何か気を回したりする余裕も無かったものな。

 それに他人の事情に立ち入るような真似を避け続けた弊害が、色濃く出ていた時期だし……。

 当時、可愛い女の子に話し掛けられた俺は、内心かなりあっぷあっぷしていた。

 数年間、他者と禄に会話していなかったのだから、些細な返答でも言葉に詰まる事など茶飯事だったので、せめて言葉に詰まらないよう脳ミソをフル回転させていたのだが、それでも返答のテンポは悪かった筈だ。

 でもミズハは俺を急かすこともなく、テンポの悪い俺の会話を辛抱強く待ってくれていた。

 そのおかげか、次第にミズハとの会話で詰まるような事は無くなっていった。

 会話に慣れてきた頃、唐突にミズハが発した言葉を、俺は一生忘れないと思う。つか一生終わってるけどまだ憶えている。

 俺にとってはそれ程までに衝撃的で、そして大切な一言だった。


「じゃあ、先輩。早速ですが私は先輩が好きなので私を彼女にしてください」

「良いよ」


 この時、俺は何故か一拍も置かずに返答した。


「って駄目ですよね。まずはお友達から……って良いんですか!? なんで!?」

「……断ったら勢いで刺されそう?」

「最低の理由だった!?」

「…………すぐにヤれそう?」

「別ベクトルに最低の理由が来ましたね!?」


 そこまで話して、俺はフフッと笑った。

 多分、緊張がほぐれたんだと思う。

 不意に、最後にこんな風に笑ったのは何時だったかと思い巡らす。だが、靄がかかるほど遠い記憶だったため、思い出すことは出来なかった。


「冗談だよ。まずはお友達からで……」

「いえ、恋人にしてくれないと刺します」

「やっぱり刺すんじゃないか!?」

「先輩はさっき『良いよ』って言いました」

「うむぅ……軽率な発現発言でござった」

「何ならこの場で私にエッチなことして良いですから」

「流石にここじゃ出来ないよ!?」

「ここじゃ無ければ出来るんですね?」

「……じゃあ、とっとと出てけ。このバカップル共!」

「「あ……」」


 この日俺とミズハは司書の先生に散々説教され、図書室を叩き出された挙げ句、一週間出入り禁止になった。


「今日まで大人しく平凡な人生だったのに……」

「今日から彼女付きの楽しい人生の始まりですよ! やったね先輩」

倉志摩くらしまのせいで俺の憩いの場所を叩き出されたんだけど?」

「先輩も結構声大きかったですよ?」

「む……」

「あと、《ミズハ》です。レイジ先輩!」

「え?」

「恋人なんだから名前で呼んで下さい」

「え? 恋人それ確定なの?」

「『良いよ』って言ったじゃないですか……それともアレは嘘だったんですか……酷い、か弱い乙女の心を弄んだんですね!? チラッチラッ」


 ミズハが上目遣いで眼を潤ませて訴える。

 こういう所、計算でやってるのを隠さないのな……。


「俺が本当に身体目当てだったらどうするんだよ?」

「それならこの身体を使ってメロメロにするからいーんですぅ」

「寄せても谷間が出来る程ないだろ?」

「先輩それ失礼です! こう見えて脱げば結構凄いんですからね! つか謝って下さい!」

「ごめんなさい」


 俺はミズハに向かって深々と頭を下げる。

 そんな俺の頭を、ミズハはポンポンと叩いた。それも結構失礼な行動だぞ?


「素直に謝って大変よろしい。ご褒美に週末は結構凄いところを見せてあげます」

「展開早いな! そもそもなんで俺なの?」


 その質問にミズハは顎に手をあて、うーんと呻る。


「一目惚れなんですが……そうですね。DNAにビビッと来た、みたいな?」

「ミズハの遺伝子情報間違ってる」

「酷くないですか!? ……ってアレ? 今もしかして『ミズハ』って言いました?」


 俺はツイと視線を外す。


「……言ったよ?」

「人が油断してるところにブッスリ来る様なことを……そう言うとこだぞ、先輩!?」

「じゃあ、もう名前で呼ばない」

「いや、それは駄目でしょう。て言うかもっとちゃんと呼んで下さい。ワンスモア! プリーズ!」


 ミズハは両手で来い来いと挑発するプロレスラーみたいなポーズを取った。

 そんなポーズをしてるのに可愛いとかズルいと思う。


 …………可愛い?

 ああ、そうか。もう俺は……。


「分かったよ……『ミズハ』。因みに週末はフルタイムでバイト入ってるから無理」

「もうレイジ先輩ったらいきなり呼び捨てで……ってなんで人の歓喜とか覚悟を粉砕するようなことを言うんですかね? てか、なんでそんなにバイトしてるんですか?」

「ウチ貧乏だから少しでも稼いで家に金を入れないと……バイトのない日に図書室に入り浸ってるのも家に帰って光熱費を無駄遣いしないためだし……」

「……バイトの理由というより図書室にいつもいる理由が思ってたより重いです、先輩……。来週はどうです?」

「日曜なら丸々空いてる」

「じゃあ、その日、私とデートしましょう! 彼女の安全日を把握して初デートセッティングするとか童貞の癖にやりますね、レイジ先輩!」

「把握してねぇよ!? あとうら若い娘が童貞とか口にしない!」

「先輩、女の子に夢見すぎですよ?」

「なにか経験豊富そうな台詞が出てきた……」

「経験豊富ですよ! 来週の日曜からですけど!」

「ええっ!? ……って、それ経験豊富じゃないじゃん!」

「あはははははははっ! バレました?」

「一瞬騙されかかったわ……」

「嬉しいですか? 彼女が処女で」

「いや、そこは別に」

「別にっ!?」

「初めて彼女が出来た事実の方が嬉しいし」

「くううううううううううううッ……またそうやって下げてから上げるう……って私、寮住まいなのでここで……」

「素に戻るの早ッ! って最後まで送らなくて良い?」

「今日はここで良いです。じゃあ先輩。また明日」

「うん。また明日」


 そう言ったものの、お互いちょっと名残惜しそうにその場から動かない。

 やがてトコトコとミズハは俺に近付いて、上着の襟を掴むとちょっと背伸びして顔を近づけた。左耳にミズハの吐息がかかる。


「来週から私を経験豊富にしてくださいね」


 そう言って俺の頬に何かが触れた。


「今日はここまでです」


 ミズハが真っ赤になってはにかんだ。


「じゃあ、今度こそまた明日」

「………………うん」


 そう言ってミズハは振り向いて走り出した。

 そして数メートル進んだ所でくるりとターンして全力で持っていたバックを俺に叩きつけた。


「ぐげふうッ!」

「その前に連絡先を交換するべきでしょう!?」

「忘れてたのはお互い様なのに理不尽!」


 こうして俺とミズハは付き合い始めた。

 それから一年半あまりの間が、俺にとっては最も幸せな時間だった。



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