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どうやら俺は己自身と己の過去に向き合う必要がある模様 ~その1~

 生前の俺の一番古い記憶は、幼稚園に上がる少し前の事だと思う。


「レイジも春には幼稚園に行くのよねぇ……ホント、あっという間だったわね」


 幼稚園の制服を着た俺を見て、母は感慨深そうに笑った。

 この頃は、まだ母の笑顔を見る機会は何度もあった。

 ただ、笑顔の中に寂しさがが見えることがあり、その度に俺は母の手を握っていたのを憶えている。この時も、俺は母に近付いて、その手を握った。


 父親の記憶は無い。

 後に聞いた話だが、母が俺を身籠もった時に父は既に家同士が決めた相手と婚約をしていたのだ。しかも母が身籠もった事で、父は逃げるようにその相手と結婚した。

 父方の祖父はその事を知らず、母の両親――つまり俺のじいちゃんとばあちゃんが父の会社に乗り込んで文句を言いにいった時に初めて母のことを知ったらしい。

 自分の息子がまだ未成年だった母を妊娠させ、あまつさえ何の保障もせず逃げ出したことを知った父方の祖父は猛烈なまでに激怒し、父を叱責したそうだ。

 祖父は大企業グループのトップであり、いわゆる名家と呼ばれる一族であった為、そう言ったスキャンダルには特に厳しかったと、後で当人自身から聞いた。

 子供に聞かせる話では無いように思うが、多分俺が父の事を聞きたくて祖父にせがんだのだろう。知るべき事として敢えて俺にも話したのだと、そう思えるのだ。


 結局、父は一度も俺に姿を見せることは無かった。一度だけ写真を見たことがあったが、見た目だけは良かったのを憶えている。ただそれだけだ。あとは鞍馬崎カズヤという名前だったことしか父については知らない。


 代わりに祖父は年に数回程度だが、俺たちの様子を見に来たていた。妊娠が発覚し学校を中退して子育てに専念した母の為にと、生活費も殆ど祖父が出していたらしい。


 かつてウォード爺さん――レーゼンバウム大公爵との謁見の際、俺がギリギリの所で天使としての対応を誤らなかったのも、祖父からの教えがあったからだ。

 まだ小学校に上がったばかりの俺に、祖父は色々な話をしてくれた。当時の俺には難しく、話の半分も分からなかったが、それでも俺は祖父の話を聞くのが好きだったし、その時の言葉は不思議と記憶に残った。

 祖父が俺の為に何かを残そうとしているのが、感じられたのが嬉しかったのかもしれない。

 ある意味、祖父こそが俺の父親だった。


 だが、それもすぐに終わることになった。

 俺が小学校五年に上がった頃、祖父が急死したのだ。


 それ以降、鞍馬崎家から――正しくは父の正妻が主導していた嫌がらせが続くようになった。

 しかも名家の力を使った社会的な嫌がらせだ。

 

 まず、母が突然解雇された。

 祖父の紹介で勤めていた会社だったので、鞍馬崎家の意向には逆らえなかったのだろう。

 次にじいちゃんが閑職へと追いやられた。解雇されずに済んだだけマシなのかも知れないが、給料は下がったとぼやいていた。

 そういったことから収入が減った我が家は、次第に生活が厳しくなった。

 時を同じくして近所の人々からの風当たりも強くなっていた。

 今まで親しくしていた人が、急に距離を取るようになった。

 俺が住んでいた街は、鞍馬崎家のお膝元と言っても過言では無いほど、鞍馬崎家の影響が強かった。鞍馬崎家に関わりのない企業など殆ど無かったし、個人の商店でさえ、流通などで鞍馬崎家の関連企業との関わりがあった。

 住み慣れた街は、あっという間に居心地の悪い街へと変貌した。

 人々に白い目で見られるようになった。


「あんたら、もうウチで買い物しないでくれ」


 駅前の商店街にある八百屋でそんな事を言われたこともある。

 店に入ろうとして止められたこともあった。


「あんた達に関わると、ウチが迷惑するんだよ!」


 なんてことも言われた。

 警察に言っても、民事不介入だと言って突っぱねられた。

 当時の俺はそんな大人の言葉も分からず、ただ大人の悪意だけが向けられていることに恐怖していた。


 母は中々次の就職先が見つからず、パートで何とか凌ごうとしていたが、それも長くは続かなかった。母の素性を知るや、何かしら理由を付けて解雇された。

 母は大人しい性格で和を乱すような人ではない。なのに人間関係を理由に不当に解雇され続けた。かなり酷いセクハラを受けたこともあるらしい。酒の誘いを断ったら解雇されたなんてのも茶飯事だった。

 暗い部屋で一人泣く母を、俺は何度慰めただろうか……。


 俺自身の回りにも次第に変化が現れた。

 仲の良かった友達が、次々と離れて行ったのだ。


「向日島君と遊んじゃ駄目だってお母さんに言われたから……」


 何故、そんな事を言われなければならないのか、小学生だった俺には分からなかった。

 離れて行った友人の何人かは、俺をいじめるようになった。


「お前ならいじめても良いんだって父さんが言ってた」


 その時のいじめっ子の言葉は忘れることができない。

 物を隠す。

 机に落書きされる。

 鞄に汚物を入れられる。

 石を投げられる。

 数人に囲まれて、殴る蹴るの暴力を受ける。

 反撃したら、一方的に俺が悪人扱いされた。先に散々手を出したのは向こうなのに……。

 教師も俺の味方をしなかった。

 お前が悪いと理由も聞かずに頭ごなしに怒鳴られた。

 いじめは収まる気配がなかった。

 ある日、どうせ俺が悪いと怒鳴られるならと、俺を暴行してきた連中を相手に徹底的にやり返した。三人相手の大立ち回りを演じた所為か、以降いじめの数は減った。

 代わりに周囲の人間に一層距離を取られ、無視されるようになったが、暴行されるよりはマシだったと思う。


 この頃になって、今度は家族から暴行されるようになった。


 最初に、ばあちゃんの性格が変わった。

 穏やかだったのに、すぐ怒鳴り散らすようになった。

 父や母の事を何度も悪く言うようになった。

 反論すれば生意気だと引っぱたかれた。

 当時の俺は、ばあちゃんが何故そうなったのか理解出来なかった。

 そんなばあちゃんが一年ほど経った頃に突然倒れた。脳梗塞だった。

 性格が変わったように感じたのもそのせいらしい。脳に血液が送られず感情のコントロールが出来なくなったとのことだった。

 結果、ばあちゃんは片脚に麻痺が残り、介護が必要になった。精神的にも病み始めたのか、益々気性が荒くなった。

 更に半年経った頃、ばあちゃんは亡くなった。

 ドアノブにストッキングを掛け、首を吊って死んでいた。遺書は無かった。


 じいちゃんはかなりのショックを受けていた。

 この日を境に、じいちゃんの飲酒量が増えた。さらに酒に酔うと俺に暴力を振るうようになった。

 全てお前が悪いのだと。

 お前さえ産まれなければと、母の目を盗んでは俺を殴った。

 元々酒を飲むほうではあったが、ここまで酷くはなかった。恐らく、この頃にはアルコール依存症になっていたのだろう

 当時の俺は、身内が相手ということもあり、誰にも相談できずただ為す術なく殴られ続けた。

 じいちゃん――いや、ジジイの暴力が母にバレてからは、母にも当たり散らすようになった。

 母が殴られるのを見たくなくて、何度も母を庇って俺が殴られた。

 児童相談所に相談するという方法があるなんて、小学生だった当時の俺は知らなかった。ただ、相談出来たとして何かが変わったかは分からない。市の行政にだって鞍馬崎家の影響が強かったのだから……。

 そんな生活が三年ほど続いた。

 お陰で中学の頃は友人と言える人物が一人もいない。

 あの家には関わるなと親に言われたことだけが原因ではない。年がら年中何処かに青あざを作っているヤツを友人にしようなんて酔狂な人物はいなかった。

 学校の教師達も俺の事を心配するような人はいなかった。教師ですら、俺とは極力関わらない様にしていたのだ。酷いのになるとあからさまに見下す態度を取る教師すらいた。


 学校には俺に声を掛ける人はいない。

 助けを求めたって、誰も関わろうとしない。

 家に帰ればジジイに暴力を振るわれる。

 だが、早く家に帰らないと母が暴力に晒される。

 この頃には、俺はすっかり他人に対して距離を取るのが当たり前になっていた。

 それどころか自分自身のことすら他人事のように捉える様になっていた。

 一つ痣が消えれば二つ痣が出来るような日々の生活に自分の心が持たなかったのだ。

 頼れる人が誰もおらず、傷付いた母を守るため、俺自身が我慢を重ねるしかなかった。

 そんな自分の有り様が認められず、故に自分自身をまるで他人を見るような感覚で、数歩下がった位置から己を観察するような見方をする癖がついていた。


 こんな生活を続けていたので、他人に対して期待をしなくなった。

 優しさとは余裕のある人間が行える行為なのだ。自身の生活が脅かされるとなれば、人は余裕をあっさりと失う。

 余裕を失った人間は優しさを失い、時には攻撃的になるのだと、当時の俺は思っていた。


 ――だからアリィの強さには惹かれるんだよな……

 アリィの優しさにはある意味で際限がない。死霊である俺にすら優しさを示せるのだから相当なものだ。しかも自身の立場や状況とは関係なく、優しく有り続けられるのだから感嘆しかない。

 コレは流石に本人を前に口には出来ない。

 それに……俺には――幽霊だからとかではなく、人としてもっと根本的な理由によって――アリィに思いを寄せる資格はなかった。


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