どうやら俺はアリィと出かける模様
「今日は随分と晴れたな。あちこち見て回るにはうってつけだ」
「そうですね。冬が近いとは思えぬほどに暖かいので助かります」
俺は街の大通りで頭上を見上げ、眼を細め太陽を見上げる。俺の隣でアリィはまるで全身で太陽の恩恵に与るように伸びをした。
リルデンを出立して七日後の昨夕、俺達はリルドリア領の地方都市であるグーデルに到着した。当初は今日にもレーゼンバウム領に向かう予定だったが、ここ数日は満足に宿に泊まれずに皆の疲労が溜まっていたことから、急遽このグーデルで二泊することに決めた。
そこで俺は以前アリィと交わした約束――メリエラより先に二人で食事をすること――を果たすため、二人で都市見物兼外食と洒落込んだ。
幸い、今日は市場が開かれており街が活気づいている。程よい温かさもあって、物見遊山に興じるにはおあつらえ向きと言えた。
アリィも普段の祭服ではなく、今日ばかりは清楚なワンピースを身に纏っている。
俺も《神の肉体》に憑依した上で、一般的な町民の服を身につけていた。
今日はアリィは《聖女》ではないし、俺も《天使》や《聖人》、ましてや《幽霊》とかじゃない。只のアリィとレイジとして休日を謳歌するつもりだった。
ちょっと浮かれているのは気のせいだ。
「夕べは良く休めた?」
「おかげさまで。久しぶりにベッドで休めましたからね」
アリィは耳元の金髪を軽く掻き上げると、涼しげな笑みを浮かべた。
実際、よく休めたのかアリィからは疲労の色が消えている。
「最近は野宿が続いたからなぁ」
リルデンを出発時に、アリィが『リルドリア領の治安回復に少しでも助力したい。治療が必要な人も居るだろうから立ち寄っていない村を訪れたい』と言いだした。アリィの意思が堅いと察した俺達は街道から外れた村々を訪れることにした。
だが、街道から離れた村には人の往来が殆ど無いので当然の如く宿屋がない。それどころか教会すら無い村も多く――礼拝の日は教会のある村や町まで馬車で出向くらしい――俺達が泊まれるような場所は皆無だった。
時期によっては倉庫を片付けての寝泊まりが可能らしいが、収穫を終えた今の時期、倉庫は満杯でそれも叶わない。
なのでこの一週間は村の広場に張った天幕と馬車での寝泊まりが続いていた。
「食事には困らなかったのは幸いでしたけどね」
そう言ってアリィは俺の顔を見た後、少し視線を上げてから苦笑した。
「何を思いだしてる?」
「いえ、ただ村人達が皆、レイジの食べっぷりをいたく喜んでいたので……」
「いや、食べっぷりというか、泣きながら喰ってたのを珍しがられてただけじゃないか?」
《神の肉体》を手に入れて以降、食事が出来るという当たり前の事が嬉しくて反射的に涙が出てしまうのだ。《神の肉体》を上手く扱えずに感情を隠せないことも理由だろう。
ここ数日、よううやっと泣かずに食事出来るようになったが、それでも俺があまりに「美味い、美味い」と言って食うからか、村人達が喜んでアレもコレもと料理を差し出してくれた。
裕福ではない村の料理だ。豪勢なものはなく大概は野菜スープと幾ばくかの燻製肉、そして黒パンが殆どだったが、それでも俺は料理一つ一つに大袈裟なほど感謝をして頂いた。元の世界にいた頃は、これほど食に対し感謝したことは無い。
そんな俺を村人達は大層気に入り、余裕など無いだろうに、次々と料理を提供してくれたのだ。
生きることに食が関係ない――幽霊なので食事を必要としない――俺としては、逆に申し訳なくなって「もう充分ですから」と何度も頭を下げるはめになった。
勿論、お金は余分に置いていった。
リルドリアの前公爵と、ウォード爺さん――レーゼンバウム大公閣下から霊獣の森の件で報酬を貰っておいて良かったと心から思う。
「私もあちこちの村に立ち寄ってますが、あれほど料理を勧められたのは初めてでしたよ?」
「いや、なんかすまん」
聖女一行が大食らいだと噂が立ったらどうしよう……。
「いえ、私こそレイジに感謝したいです」
「俺に? 何で?」
「心から美味しいと相手に伝えることは、とても喜ばれるものなのですね。今まであれほど嬉しそうに笑う村人達に、私は出会った事がありませんでした」
「うん? 今までだって感謝してたじゃないか?」
アリィの言葉に俺は少し疑問を憶えた。
俺が《神の肉体》を入手する前も、アリィは食事を頂く度に、村の人達に感謝を告げていたし、ちゃんと「美味しい」と感想を述べていた。
「いえ、今思えば私は《聖女》としての有りように拘りすぎていたと思うのです。《聖女》らしく振る舞う事ばかり優先して、自分の素直な気持ちを表に出さなかったのではないかと……ですがレイジに対する村人達の反応を見て、もっと改めようという気持ちになりました」
「いや、ただ俺は久々の食事に感極まっていただけで……」
「その感動を相手に伝えることが《聖女》らしい所作より大事だと、私は初めて理解したのです。だからレイジ……ありがとうございます」
「え、あの。どういたしまして?」
突然のアリィの感謝に、俺は困惑しながら挨拶を返す。
「それに今まで、皆さん私に何処か遠慮しがちだったのですが、ここ数日の旅はそんな事がなくて……私、とても楽しかったです」
「楽しかった……か……うん、そうだね。広場にテントを張って、竈や石窯で料理して……何かキャンプみたいで楽しかった」
この世界の村は、大抵その中心部に大竈と大きな石窯が設置されている。
毎朝、夜も明けぬうちから村人によって火がくべられ、陽が昇る頃、それぞれの農家からパン生地が持ち寄られ、石窯で一斉に焼き上げる。各家で石窯を準備するより効率が良いのだそうだ。
大竈ではスープなどが作られ、村人で分け合って食べる。
昼食や夕食も、基本この大竈と石窯で作られて各家に分配される。言わば村全体が一つの家族のようなものだった。
そういった地域ぐるみの繋がりが希薄になった日本人の俺からすると、何処か羨ましくも感じてしまう。
「ところでレイジ? 今日は食事中に泣き出したりしないですよね?」
「あー……えと。そうならないよう可能な限り努力します……」
あんまり美味いもの食べた場合は無理かも……。
「ふふふッ、頼みますよ? 道端で食事しながら泣き出したりしたら、他人の振りをしますからね?」
アリィは俺を見て相好を崩した。
美しくも微笑ましい姿に、俺はほんの少しだけ見惚れる。
いや、可憐な美少女が自分に向けて微笑を浮かべているのだ。見惚れない方がおかしい。
俺じゃなきゃ心臓が高鳴って紅潮してたね。間違いない。心臓無くて良かった。
「さあ、今日は何処に行きましょうか?」
「そうだなぁ……って、俺この街は初めてなんだけど、えらく難易度の高いエスコートを求められてる?」
「私も初めて訪れた街なんですから、何処に何があるかなんて分かりませんよ?」
「おっと、これは想定外……」
このグーデルはリルドリア領の街としてはかなり大きい。四方を一辺が三キロメートルほどの城壁に囲まれ、内部には商業施設がひしめき合っている。
現在はリルドリアの交通の要所として栄えているが、一〇〇年前はリルドリア公爵が暮らした直轄地の一つだったらしく、街の方々に古い城壁の跡が見てとれた。要塞としての機能もあったのだろう。侵入者を迷わせるための路地も多く、一部には治安の悪い場所もあるようだ。
うっかりそのような場所には近寄らないようにしないと……。
「どれ?」
俺は目を瞑り首を項垂れた。数拍ほどの間を置いた後に目を開けて北の方を見る。
「ああ、こっちに行けばミートパイの美味しい店があるのか」
「ええっ!? 何故分かるのですか!?」
俺が当然の様にエスコートを開始すると、アリィは肩を跳ね上げて一驚し何度も目をしばたたいてから俺に尋ねた。
「今、街中の声を聞いて危ない場所や人気の店に関する会話を拾い上げた」
「はい?」
「いや、ほら。霊体で直接耳をすませばこの街全体の音は聞き取れるし……」
それを聞いたアリィは右手を額に当て、天を仰いだ。
「ああ、そうでした。レイジはそう言う規格外だったんですよね。このところ大人しかったので忘れていました」
「それ、褒めてないよね?」
「呆れの方が大きいですね」
むう、と俺は少し不満げにアリィを見た。
アリィは何か可笑しいのかクスクスと笑う。
「じゃあ、折角ですからそのミートパイの美味しいお店を訪れましょうか。こっちですか?」
アリィが路地へと向かうのを俺は慌てて止める。
「確かにそっち方面なんだけど、そこの路地は迂回した方が良いかも。下卑た男の声が幾つもするから、治安があまり良くないと思う」
「レイジを待ち伏せするのは、至難の業ですね……」
待ち伏せされるような状況にはなりたくないんだけど……。
「一旦東の通りに出て北上する方が良さげだな……まあ、『君子危うきに近寄らず』とも言うし、必要ないならわざわざ行くことはないだろう」
「……くんし?」
「あ、ゴメン。俺がいた世界のことわざでさ。教養と徳のある人は言動を慎むから、自ら危ないところに近づいて災いを招くような馬鹿な真似はしないって意味だったかな」
「こちらで言うところの『大賢者は隠遁しても敵を作らず』と同じような意味なのですね」
「成る程、こっちじゃそう言うのか……憶えておこうって、そろそろ行かないと混雑しそうだな。では参りましょうか、我が麗しの聖女」
そう言って俺はアリィに手を差し出した。
「ば、ばかッ! 何を言ってるんですか!?」
アリィは耳まで赤くして俺のキザったらしい台詞に抗議する。
「エスコートを頼んだのはそちらだよね?」
「普通にしてくれれば良いんですッ! 変に畏まったりせずにッ!」
意外にもアリィはこういったのは苦手だったようだ。畏まられるのは慣れてると思ったんだけどな?
「それじゃ畏まらずに行こうか。折角のデートだし」
「デッ……まあ、そうですね。折角のデートですしね。じゃあ行きましょうか」
アリィがやっと差し出した手を取った。一旦、確かめる様に手の平に触れてから改めに握り直す。
――先輩!
不意にそんな幻聴を感じた。今の手の握り方に忘れかけていた記憶を思い起こさせたのかもしれない。
「どうしたのですか?」
「あ、いや……何でも無い。じゃあ行こうか」
「はい!」
そうして俺とアリィは並んで歩き出した。
折角だから今日は浮かれよう。
そんな風にも思った。
因みに、ミートパイ食べたら我慢出来なかった。