どうやら俺はアリィとの約束を忘れていなかった模様
ふと妙な気配を感じてアリィの方を見ると、先ほどの笑顔が消え、半目になって俺を見ている。なんだろう? 嫉妬? 何に?
アリィは俺の困惑を認めた後、それはそれは盛大に嘆息した。
「レイジ……一体どれだけの司祭達が、神様からの御言葉を賜りたいと切に願っているか、判っていないですよね?」
「そうなの?」
「そうなの? じゃないです!」
「…………実はさっきまでオグリオル様に戦いの手ほどきをして貰ってたんだけど……」
「世界中の司祭が血涙流して妬み……いや、羨みますよ、それ……」
アリィが上を向いて目元を押さえた。何処か言葉が重い。
つか、妬むって言いかけたよね?
「……私が、そうでしたから…………」
少し間を置いて、俯きながら一言そう漏らす。桜色の唇が僅かに歪んだ。
それは《聖女》が周囲に見せない、見せてはならない苦悩。創造神の声を聞くことが出来るという同じ立場の俺の前だからこそ、見せた感情。アリィが聖女となってから隠し続けてた心の一部を垣間見て、俺は胸が苦しくなる。
きっとこの痛みは幻痛だ。俺に痛む胸は無いのだから。そう思っても、自身の内に湧いた痛みは消えなかった。
(実際、私の言葉を聞けるのはレイジやアリィを除けば、総司教くらいでしょうしね)
セレステリア様の少し沈んだ声が頭に響く。
こんなに神様が身近な世界なのに、大司教クラスでも声を聞いたことがないのか……。
(他の神々には大司教には言葉を与えることがありますが、私は総司教と聖女、聖人に絞っていますね)
もっと範囲を広げるのは駄目なんだろうか?
(昔、神々がもっと人間と深く関わっていた時期があったんだけど……それで人間が暴走したことがあってね……)
オグリオル様が珍しく気落ちしたように言う。
何をしたんだ? 昔の人間は?
(神々の声が聞こえない人達を、迫害したんです)
代弁したセレステリア様の声が重い。
つまりはカルト宗教が出来上がったのね……神々の声が聞こえない人を邪教徒呼ばわりしたりとか、そんなところか……。
そんな人間達を非難しようとは思わないし、そんな資格は無い。人は誰かより上であることを求める生き物であることを、俺は良く分かっている。そんな人ばかりではないと言う者もいるだろうが、残念ながら多数の人間は誰かより劣っていることに平静ではいられないのも事実なのだ。とは言え、俺が生きていた世界の話ではあるが……。でも今まで見てきた限りではこの世界の人間もそう変わらないだろう。
そして、多分きっと、俺もそういった人間だ……。
それが分かっているから、俺にはそんな人間達を非難できない。
(だから神々は皆、ある日を境に人々に答えるのを止めたのですが……それはそれで混乱が起こって……そう言う経緯もあって、総司教などの最高司祭クラスだけ、かつ聖域に限って言葉を与えるようになったのです)
それまで聞こえていた神々の声が聞こえなくなって、神に見捨てられたと考えたのかもしれない。神が身近だったからこその弊害か……下手をすると『神の声が聞こえる』と偽って好き勝手する人もいたのかもしれない。それを回避するために、特定の立場の人間のみに神の声が聞こえるようルールを設けたのか。
だからこそバンドア大司教は総司教の座に拘ったのだろう。神々から言葉を授かることが途轍もない栄誉となったんだな。
アリィも神の言葉を賜れる。故に妬まれたことも一度や二度じゃないだろう。そんなアリィにかつて幾つも向けられたであろう妬みがの強さと酷さが、アリィの沈んだ両肩から容易に想像させる。
俺は一歩、静かにアリィに近付いた。
アリィが気付いて顔を上げた。涙こそ流していなかったが、泣いているようにも見えた。
俺は彼女の背中にゆっくりと手を回す。
一瞬のフラッシュバック。
ああ。何処か似ている。…………昔、支えてやれなかった女性……ミズハに。支えるどころか俺はミズハから逃げ出した。傷つけた。忘れきれない過去の苦い思い出が全身を駆け巡る。
それがアリィを抱き締めようとした俺の腕を硬直させた。
近くまで寄って、彼女の背中に手を回したのに、両手をワキワキと動かすだけで、そのまま抱き寄せる事が出来ない。
「何をしようとしておるのじゃ?」
「ですの?」
「うわおっ!!」
一分近くそのままだった俺の背後から、リーフとモモが声をかける。
俺は音速で両手を身体の脇に戻し、そのまま気を付けのポーズで固まった。
「声が大きいですよ? レイジ? 夜中なのでもう少し押さえないと」
「あ、ああ、いや。すまん」
アリィがいつもの表情で俺を窘める。影のある表情は消え、いつもの聖女らしさを見せる。
一瞬で聖女の顔を取り戻したアリィの変化について行けない俺は、曖昧な返事を返す。
「で、思わず大声を出さなきゃならんような事をしておったのか?」
「ですのですの?」
軽蔑するようなリーフの視線が痛い。
いや、別に悲しんでいる相手を抱きしめる事はやましいことでもなんでもない。海外ドラマなんかじゃ普通にあるし。だからなんでもない……筈だ。
「レイジがオグリオル様からの手ほどきを受けていたそうです」
「フム、あれほど寄り添ってダンスか何かの手ほどきかの?」
「ちゅーするところでしたの?」
「「いや、それはないから!」」
俺とアリィは口を揃えて否定した。リーフがニヤニヤしてるけど、ホントだからね? 何もないからね?
「そろそろ明日に備えて休みましょうか?」
話を逸らそうとしたのかアリィがそう言った。リーフは何やらニヤニヤしてるけど、そう言う意味じゃないからな?
「そうだな。明日にはリルデンを出発しなきゃならないんだし……」
そうなのだ。
《霊獣の森》の一件が終わって明日にはレーゼンバウムに向け出発する。アリィがリルデンの人々を支援、救済に務めていた為、大公閣下やスフィアスに一週間遅れての出発になる。
最終的にはレーゼンバウム領の直轄都市シティヴァリィを経由して王都に戻る予定だ。王都に戻ったら、神託があるまで待機となる。
何かと忙しかったこの旅も、取り敢えず一息付けるという訳だ。
まあ、ここからシティヴァリィまでは真っ直ぐ向かっても約十日、王都までは更に十日かかるので、当面は旅が続くんだけどね。
「明日からまた長旅なんだから、もう休もうぜ? モモだってさっきから眠そうじゃないか」
「うん? 起きてるよ?」
いや、今寝てたよ、お前。
モモの様子をみてリーフも「そうじゃな、今日は休むか」と一応同意してくれた。何か言いたそうではあったが……。
つうても、自分は無理に寝る必要も無いんだけどね。
宿屋へ向かう時、ついと袖を引っ張ってアリィが俺を止めた。
「レイジ? そう言えば約束憶えてますか?」
「え? ああ。勿論憶えてるよ?」
「ふふ……良かった。楽しみにしてますね。おやすみなさい」
そう言って、アリィは小走りに宿屋に向かった。
心なし、はしゃいでいる様に見えた。
「…………シティヴァリィに戻る前に何処かデート出来そうな街に立ち寄れるかなぁ?」
そう言う自分の声も、ちょっと浮かれてる事に気付いて、俺は少しだけ恥ずかしくなった。
顔が赤くならないので、アリィにバレてはいないと思うけどね。
作者はこの間まですっかり忘れてた……