どうやら俺はついに至福の瞬間を手に入れる模様
「うんめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!! ふえッ! うぐッ! むぐううああああああああッ!」
串に刺さった肉を頬張りながら、俺は全身を駆け巡る感動に打ち震える。
歓喜の叫びと嗚咽は、リルデンの片隅にあった酒場に響き渡り周囲の目を一斉に集めたが、当の俺はその視線を気にする余裕もない。
今はただ、目の前に出された料理を、心ゆくまで堪能すること以外に興味は無いのだから。
いや、もうご飯だけあればいい。
「ちょっと、レイジ? もう少し落ち着いて……」
アリィが冷や汗を流しながら、両手を前へ突き出して俺の行動を窘めようとする。
けど……。
「無理~~~~~~~~~~~~~…………えぐ、うぐっ!」
止まんない。
「ていうか、泣かないで下さいよ!」
「周囲の人が何事かと、こっち見てるで?」
慌てるアリィに同調するようにレリオも居心地悪そうに呟くが、俺は心の奥底からあふれ出る感情を止められずにいた。つか《神の肉体》って涙流せるんだな……。
「まあ、気持ちはわかるのですが……」
「ご主人様、そんなに美味しいの?」
ミディがハンカチを俺に差し出しながら、同情混じりの苦笑を浮かべると、モモがそのハンカチで俺の涙を拭いた。そんな彼女達に、俺は禄に声も出せず何度も頷く。
「ここ一月あまり、皆が食事しているのを、ただ黙って見続けていたのじゃからな。そんな苦行を乗り越えた後では、感動にむせび泣くのも仕方あるまいよ」
「リーフェン殿? 周囲に誤解を与えるような言い回しはやめて欲しいのだが」
リーフが目を細め俺の食事風景を眺めつつ呟いた言葉に、ラグノートが困惑気味に自制をうながした。自制と言っても口で言っているだけで、ラグノートも直後には革製ジョッキを美味そうにあおった。
以前ならそんな皆の平和そうな遣り取りを温かい目で見守っていただろうが、今の俺は視線と心を色とりどりの料理に奪われていた。
ちなみにメニューは、肉と野菜の串焼き。赤いスープで煮込まれた鶏肉とバゲット。くすみ一つ無く鮮やかな色彩を放つサラダ。数種類のチーズ。魚のパイ。飲み物は二種類のビール――ホワイトエールにブラウンエール――が並べられていた。
鶏肉の煮込みはその色からトマト煮込みかと思ったが、違うようだ。香りからして異なるそれを、俺はひと匙すくって口に運ぶ。酸味がトマトほど強くない。逆にクリーミーな味わいが鶏肉の味を程よく引き立てる。香辛料の香りが鼻腔をくすぐるが、強い辛みも感じない。
一緒に煮込まれているのは刻んだタマネギだろうか。煮込まれた際に出る特有の甘みが、この料理をより滋味あふれるものにしている。
あれ?
でもこの味は……どこかで……。
……そうだ。
子供の頃、母が作ってくれた料理に似ているのだ。
まだ、母が元気だった頃、よく作ってくれた料理に……。
「どうしたんですか?」
「――え?」
「先ほどから固まってますけど……?」
心配そうな顔で声をかけてきたアリィに、俺は我に返る。
その直後、堰を切った様に涙が溢れた。それはポロポロと頬を伝って顎から滴り落ちる。
皆が何事かと一斉に俺を見て固まった。
「レイジ……」
「あ、いや……何か懐かしい気がして……」
俺は、もう一度涙を拭いて掠れかかった声でそう答えた。
頭では、それほど似てないとは分かっている。
きっとどこか、ほんの一部に共通点があるだけだ。
それでもこの料理はお袋の味ってやつを――二度と味わえない筈の料理を俺に思い起こさせた。
そして、いつしか見ることのなくなった、母親の笑顔も……。
不意に、心の奥が締め付けられるような感覚を覚え、鼻の奥がじわりと湿り気を帯びる。
「――うっく……」
嬉し泣きとは違う涙が再び溢れそうになり、俺は上を向いて目頭を押さえた。
「本当に大丈夫ですか?」
「……大丈夫、ちょっと昔を思い出しただけだから」
アリィの言葉に俺は言葉を濁しながら応えると、涙を拭いて改めて料理を口にする。
「ほら、皆も食べようぜ! 折角の料理が冷めたら作ってくれた人に申し訳ねえよ!」
「そ、そうですね」
「うむ」
「その通りや」
「頂きましょう」
「うん!」
「初めて全員そろって食を囲んだのじゃ! センチな気持ちは無しに楽しもうではないか」
俺の言葉に、アリィ、ラグノート、レリオ、ミディ、モモがそれぞれ答えると、リーフが最後を締めた。
「ホントこれ、メチャメチャ美味いよ」
俺は涙声を隠さず、それでも出来るだけの笑顔を浮かべてそう言った。
因みに、料理人と思しきオバちゃんが厨房から出てきて俺を見るなり「泣くほど美味いかい! 嬉しいねぇ」と言って色々サービスしてくれた。
鶏肉の煮込みにはパスタが合うといって、結構な量のパスタも出してくれた。
ただ、俺を除く全員が、後で腹を押さえて動けなくなったけど一応内緒の話だ。
特にアリィは「食べ過ぎなど、聖女にあるまじき行いです」と、相当に落ち込んでいた。
■
「ふんッ! はッ! つぇあッ!」
リルデンの宿屋。その裏庭で俺は《神の肉体》を使って訓練を行っていた。訓練といっても大したものでは無い。《憑依》の状態に慣れるため、まずは自在に動かせるか再確認しているに過ぎない。
気休めなのは分かっているが、先日の戦いで自身の能力を把握しないまま戦ったことが、俺の中に小さな棘のように残っており、少しでも扱いに慣れたいと感じていた。ある種の焦りから来るものなのは分かっているのだが……。
(早速、その為の訓練ですか。精が出ますね)
セレステリア様?
いきなり頭に声が響くのは、やっぱり慣れないなぁ?
「ええ、まずはこの肉体を自在に扱えるようにならないと」
思わず声に出して応えてしまってから、それが奇妙は独り言にしか見えない事に気付き、俺は慌てて周囲を確認する。
幸い、殆どの宿泊客は宿屋に併設された酒場で飲んだくれているのか、裏庭に出てくる者は居なかった。
(いや、レイジに馴染みのある格闘技の技術は《神の肉体》にダウンロードしただろう? しかも最適化までされているのに、まだ不安が?)
確かにオグリオル様の言うとおり、技なんかは一つ一つが丁寧に決まる。だが、それだけ。
まだ《神の肉体》に対する馴染みがないからか、ズレを感じるのだ。技に対し、意識が遅れているというか……自分のイメージとややブレているというか。
戦闘状況においては、一瞬の遅れが命取りになることは、先日の戦いで自覚した。
只でさえ俺は戦闘に関しては素人だ。戦闘勘といったものを得られるほどの経験はないし、戦術や一瞬の状況判断など出来るはずも無い。
ならばせめて……。
「せめて確実に《神の肉体》を操れるようになりたい……」
(なるほど、そういうことでしたか……でしたら視界内に仮想敵を出現させましょうか?)
セレステリア様の言葉に理解が追いつかず、俺は一瞬だけ呆けた。
(いえ、その神の肉体の視界にだけ、訓練用に敵を出現させるのです。ただ闇雲に技を出すだけでは訓練にはならないでしょう?)
そ、そんな事できるの?
(造作もありません)
キッパリ断言するセレステリア様。
それが出来るなら、確かに見よう見まねのシャドーより余程良い訓練になる。
あとは……。
(仮想敵に一撃食らったら、《神の肉体》に衝撃が伝わるようにすることもできるぞ?)
俺の希望を先読みしたのか、オグリオル様がそう添えた。
「じゃあ、早速お願いできますか?」
(良いでしょう。まずは一対一の状況から……難易度は一般兵士レベルで……)
言うなり、目の前に鎧に身を包んだ兵士が現れた。
勿論、現実として出現しているのではない。俺の視界に居るように見せているだけだ。だが、その兵士は充分すぎる程のリアリティがあった。
聴覚にも作用しているのか、相手の息づかいまで聞こえる。ちょっとしたVR気分だ。
相手は長剣を装備している。素手の俺とはリーチが違いすぎる。
「せやあぁぁッ!」
虚像の兵士が裂帛の気合いを放って、大上段から剣を振り下ろす。
俺は相手の気合いにビビってしまい、一瞬回避が遅れた。
「くそッ!」
俺は咄嗟に腕を上げてしまった。愚かしくも、剣の一撃を両腕でガードしようとしたのだ。
固い金属がぶつかり合う音と共に、両腕に強い衝撃を感じた。《神の肉体》で無ければ、そして虚像で無ければ俺は両腕を失っていただろう。
あまりの素人っぷりに、自分に対して悪態を吐きたくなったが、なんとかそれは堪えた。悪態など口にしたら弱音に繋がるように思えたのだ。
「これほどの衝撃を感じるのかよ……」
自分の心を押さえ込んだ代わりに、俺はこの仮想戦闘への感嘆を漏らした。
同時に俺は自分の弱点にも気付いてしまった。これまで戦いで上手く立ち回れたのは、俺自身が痛みやダメージを受けない幽霊であるからだ。
いざとなれは、幽体に戻ればどうとでもなるという思いが俺の根底にあり、それが油断に繋がっているのだ。今までだって幽霊の身でありながら咄嗟の時には両手で頭を庇うような動作をしていることは何度もあった。リーフ――というかドラゴンゾンビと初めて戦ったときもそうだ。
大体、元の世界でだって喧嘩とか殆どしたことが無い。基本平和主義者だったし、殴り合いなんぞもってのほかと思っていた。
それだけに場数が少ない。
肝心な時に竦んでしまうようでは、この後必ず皆の足手纏いになってしまう。
「オグリオル様、もう少し衝撃を強くする事はできるかな?」
(出来るが……これ以上強くすると痛みにも似た感覚を得るかもしれないぞ?)
オグリオル様の言葉には、俺を心配する様子は感じられない。ただ、試すような気配が微かに感じられた。
「……お願いします。少しでも戦闘に慣れておきたいんだ」
(分かった)
オグリオル様の声にこれまで感じた事の無い気配を感じる。
まるで、兄か父のような立場で俺を見守る様な、そんな温かな気配だ。
(じゃあ、手加減しなくて良いな?…………ニチャァ)
「はい? って……ぎゃあああああああああ――――――――――――ッ!」
宿屋の裏庭に絶叫が炸裂したのは一瞬のこと。その後は悲鳴すら上げる余裕も無いような特訓が数時間にわたって続いた。