どうやら《魔国プレナウス》の魔人は俺より先に遺跡に到着する模様
森に獣の咆哮が木霊する。
憤りと悲哀の混じった咆哮は、聞いた者の胸を締め付けるような悲痛さを伝えた。
それを聞いたのが、感情のある人間であれば、だが。
そして他人を思いやる感情が希薄な者にとって、それは只の耳障りな遠吠えでしかない。
《白き風の森》で繰り広げられたのは、虐殺であり、力ある者による蹂躙だった。
普段は人間側がひれ伏す事しか出来ないほど、霊獣の眷属は強い。そんな存在が、二人の凶悪な魔人と、その配下によって次々と殺害されていく。
森が薙ぎ払われ、そこかしこで煙が上がる。
《白き風の森》が他者によって破壊されていくという、過去に例の無い光景を前に、霊獣の眷属達の間に怒りと絶望が止めどなく拡がる。
誰もが黙って見ていたのではない。
いや、混乱の原因たる魔人を前に、怯んだ眷属は一匹たりともいなかった。
故に、果敢に挑み、そして敗北した。
「チッ……次から次へと、うざったい」
「文句を言うのは構わないけどぉ、殆ど私任せで貴方は何もしてないじゃないぃ?」
「フン…………俺の力が必要なのは今では無いだろう」
《人形繰者》ラディルがぼやくと、かぶせるように《獣魔王権》メイフィスが反論する。
ラディルの言うように、彼の力が必要になるのは、しばし後――人の心を読むと言われる《読心猿》モードレットが出現した後、または《聖遺物》の入手後、改めてラディルの能力が必要になる。
その事はメイフィスも分かっているが、うざったいと言い出したいのは自分だと言いたいのだろう。
ただ、第三者から見たらメイフィスも率先して働いている様子は無い。
先ほどから全ての戦闘をこなしているのは、共に連れた二頭のサイクロプスと、森に入るときに捕まえた光狼であり、メイフィスは時折彼らに命令するだけなのだ。
よって彼女の不満も、彼女の身勝手な我が儘に過ぎない。
苛立っているのはラディルも同じだ。だからこそ、つい『うざったい』と口を突いた。
特に、この森は侵入者を阻むように、森の木々達すら邪魔を――獣道や沼地を隠したり、進行方向のツタを絡ませて塞いだり――するのだ。
当然、予定より行進速度が遅い。
更に霊獣の眷属が次々襲いかかるのだから、多少の不満が漏れるのも仕方ないと、ラディルは自身に言い聞かせた。
「替えの斧を持ってくるのだったわねぇ」
メイフィスの言葉に、ラディルは己の準備不足を悔やむ。
森に入ってから一時間も経たずに、単眼巨人が両手に持つ斧はボロボロになっていた。
進行の邪魔となる木々を伐採する為に持たせたのだが、単眼巨人達の斧の扱いが雑だったので、早々に刃こぼれを起こしていた。
更に襲いかかる眷属相手にも、その斧で応戦していたため、切れ味は殆ど無くなっていた。
だが、彼らにとって幸運な事に、斧が使い物にならなくなる直前に彼らは目的地――《聖遺物》が眠る遺跡――に到着した。
森の中にひっそりと立つ荘厳な遺跡。
その前には全身を白い獣毛で覆った巨大な猿が待ち構えていた。
『貴様ら、身勝手にも《白き風の森》に侵入し、思うまま我らが眷属を屠ったその罪……覚悟出来ているのであろうな?』
身の丈五メートルはありそうな白い猿は、威厳のある声でラディル達にそう告げた。
同時に何頭もの大型の猿がその場に姿を現す。
既にラディル達一行は森の守護者率いる眷属達に囲まれていた。
その数は四十頭に届く。
ラディル達の三倍を超える眷属達。それを率いるは読心猿モードレット。
二つ名の通り、人間の思考を読み取る能力を持つ霊獣。
人間ではかの霊獣には勝てないと評されている。それ程の存在。
だが、その存在を前に、ラディルは一向に動じた気配が無い。
寧ろ、モードレットがラディルを見て動じていた程だ。
『まさか、《魔国プレナウス》が《魔軍八将》……《人形繰者》と《獣魔王権》が直々のお出ましとは、これは全力で対応せねばならんようだ』
「あらぁ、ラディル……私達の正体ばれてるみたいよぉ?」
「お前のせいだろう」
モードレットの言葉に、メイフィスはおどけたように反応すると、ラディルが静かに断じた。
「あらぁ? 私のせいぃ?」
「俺の思考を霊獣如きが読める筈もないからな」
ラディルはそう言い切って、モードレットを見る。
その言葉が事実なのか、モードレットの顔が少しだけ歪んだ。
確かに、モードレットには《人形繰者》ラディルの思考は読めない。読もうとすると、明らかに今までモードレットが読んだ思考とは異なる邪心が伝わってくるのだ。明らかに思考があるにも関わらず、その内容を読み取れない。人でも魔族でも獣でも悪魔でもない。それとは別の『何か』にモードレットは少なからず動揺した。
相手が《人形繰者》ラディルだと知ったのも、本人が指摘したように《獣魔王権》メイフィスの思考を読んだからだ。
他にも思考が読めない存在が幾つかいる。
眷属の報告にあった《クリスタル・ゴーレム》もそうだ。
こちらは一切の思考が無い。
ゴーレムなのでそもそも意思がないから当然とも言える。
他にも数体、同様の存在がいるようだ。
相手はモードレットの能力を熟知した上で、戦力を整えていた。
それでも、指令を下す者の思考が読めれば問題無いとモードレットは考えていたが、相手はその考えを嘲笑うかのように対策をしてきたのだ。
ただ、相手が思考を読むのを何らかの手段で妨害してくるのを予想しなかったのは、モードレットの驕りと言えた。
ラディルが指を鳴らして合図すると、ラディルの周囲にいるローブ姿の者が全てそのローブをとる。
その場には先ほど眷属達を焼き払ったクリスタル・ゴーレムや、巨大な兵士のようなアイアン・ゴーレム、更には虫や骸骨を連想する異形のゴーレム達が姿を現す。
皆が一様に人の姿を擬態していたが、本当の姿は似ても似つかぬ存在だった。
その全員が意思のない目でモードレットを見る。
敵対した者の思考が読めない。モードレットはこれまで感じた事の無い恐怖を相手に感じていた。
モードレットにとって敵とはそれまで、取るに足らない相手で有り、弱者であった。
相手が何をするか、事前に分かるモードレットにとって、戦いなどお遊びに等しかったのだが、ここにきてモードレットは初めて恐怖を覚えた。
思考が読めない相手との戦闘は、モードレットの弱点をあっさりと浮き彫りにしたのだ。
つまり、モードレットは己の能力に頼るあまり、戦い方は獣としての腕力に頼り切った戦いしか出来ない。つまり素人同然だったのだ。
「さて、どうするのかしら? 私達と戦う? それとも見逃して遺跡に案内してくれるのかしら?」
『貴様はもとより私を逃がすつもりが無いではないか』
「あらぁ、それも読まれちゃったのねぇ。じゃあぁ、言い方を変えるわねぇ。お猿さん、私のペットになりなさいぃ」
『断る!』
モードレットはそう断言する。
その言葉を聞いて、メイフィスの口角が妖艶に、かつ嬉しそうにキュウッと歪む。
メイフィスの目には嗜虐の情炎が燃え盛っていた。
それを見ていたラディルは迷惑そうな視線をメイフィスに向けていたが、何を言っても通じないと思ったのか、何も言わずモードレットを見据えた。
そして、戦いが始まる。
■
始めに仕掛けたのはモードレットの眷属であるシルバーバックとブラッディエイプ。
シルバーバックは黒色の体毛のうち、背中の一部だけ白銀に輝く体毛を持つ大型の猿だ。体高は二メートルを超え、その腕力は人間など一撃で葬り去る。
ブラッディエイプはそのシルバーバックより更に二回り大きい。全身を名前の由来となる真っ赤な体毛で覆ったその体高は三メートルに届き、その握力はフルプレートメイルを易々と引き千切るほどに強い。
どちらも巨体の割に機敏で、並の兵士では相手にならないとされる。
十数年前にオルレニア王国北部に位置するパーナム領にて、凶獣病に冒されたブラッディエイプが村々を襲い、領民を次々殺害する事件が起きた事がある。
この時、パーナム領でも腕自慢の騎士や兵士、それに魔術師が総勢五十名集められ討伐に向かったが、結果四十名以上が命を落とし、残りの者も再起不能の状態に陥った。
結局、王都より当時の王国騎士団団長だったラグノートが王国騎士団百名を率いて援軍に駆けつけるも、あまりの強さに無駄な被害が出ると判断し、騎士団による討伐を断念。ラグノートが単身戦いを挑み、三時間もの戦闘を経てこれを討伐した。
この時、ラグノートは鎧が役に立たないと判断し、防具を一切身につけず、スピード重視の戦術にて勝利を手にしたのだが、その偉業がラグノートの名前を国中に広めることになった。
さらに騎士としての象徴を脱ぎ捨ててでも領民の為に勝利を手にしたラグノートに、国王はいたく感心し、翌年には彼を近衛騎士団に迎えたという経緯がある。
それ程の怪物であるブラッディエイプは知能も高い。
事前に己の主であるモードレットより情報を得ていたブラッディエイプは、真っ先にクリスタル・ゴーレムを危険と判断し、襲いかかった。
シルバーバック達はブラッディエイプを援護するように他のゴーレムに向かって突撃する。
クリスタル・ゴーレムはいち早く反応し、頭部より閃光を放った。放たれた光線はブラッディエイプを直撃し爆発する。
周囲に煙と体毛をまき散らし、一瞬の静寂が訪れたが、次の一瞬には煙の中から多少焦げ付いた腕が伸びクリスタル・ゴーレムの首を鷲掴みにした。
煙が晴れると口角を上げ不敵に笑うブラッディエイプが現れる。
先ほど、ダイアウルフやソード・ディアーを一撃で葬った閃光をものともせず、ブラッディエイプは丸太のような腕を更に太くする。
メキメキと音を立てるクリスタル・ゴーレムは全身を痙攣させるようにもがくが、ブラッディエイプは全く力を緩めない。
クリスタル・ゴーレムは何度か頭部より閃光を発するも、首を抑えられているためか、照準が合わず、光線はあさっての方向に消えていく。
ブラッディエイプの腕が更に一回り肥大した直後、一際大きな破砕音が響き、ゴトリとクリスタル・ゴーレムの首が落ちる。そのままブラッディエイプが巨大な拳を叩き付けると、クリスタルゴーレムはバラバラと石英の破片となり砕け散った。
その光景をみたラディルは、「ほお」と感嘆の声を上げた。
その間に、シルバーバックとソード・ディアー、ダイアウルフはクリスタル・ゴーレムより小型の骸骨型ゴーレム――ボーン・ゴーレムを三体、バラバラにした。
モードレットも戦いの行方を黙って見てはいない。
クリスタル・ゴーレム以外ではその巨体、腕力から最大の戦力と思われるサイクロプスを二体同時に相手にする。
モードレットが如何に巨体とはいえ、相手は巨人族に分類される種族だ。
その体高はモードレットの倍にもなる。
自分より半分のサイズの猿が向かってきた事に、サイクロプス達は蔑みと怒りが混じった目でモードレットを見ると、左右から挟み撃ちにしようと拳で牽制しながら二手に分かれる。
そうして優位に戦闘を運ぶはずだったが、その作戦はモードレットにあっさりと看破される。
モードレットはサイクロプスの思考を読むと、最短距離でサイクロプスの頭部まで飛び上がるとその長い両腕のそれぞれを、その首に巻き付けた。
そのまま、逆上がりの要領で一回転すると、野太い骨折の音が鳴る。
いや、回転は止まらない。
モードレットは鋭い爪でサイクロプスの首の皮を斬り裂き、そのままミチミチと音を立て、サイクロプスの首を二つとも引き抜いた。
モードレットの高い運動性能と読心能力、そして高い知能は力だけが自慢のサイクロプスをまったく寄せ付けない。
あっという間に四体のゴーレムが破壊され、二体のサイクロプスが葬られる。
残りは一際巨大なアイアン・ゴーレムと、両腕が鎌になった半人半虫のゴーレム、そして鈍色に輝くボーンゴーレムが二体。そして未だにローブを取らない二人。
この二人も思考が読めないことからゴーレムであるとモードレットは判断していた。
「へえ、獣にしては中々やるな?」
「私の可愛いペットがあっという間とはねぇ……結構お気に入りだったんだけどぉ?」
ラディルが正直な感想を述べ、メイフィスが悲しそうな声を出す。
そんなメイフィスに「だからサイクロプスじゃ役に立たねぇって言ったろうが?」とラディルが言うが、メイフィスは拗ねた表情を戻そうとはしない。
「その表情止めろ。気色悪い」
「ちょっとぉラディル? 気持ち悪いは酷くないぃ?」
どちらかと言えば女王然としたメイフィスが乙女のように拗ねるのは可愛らしくもあったが、普段のドSッぷりを知るラディルからしたら、その感想も仕方ないとは言えた。
当の本人であるメイフィスは、未だ乙女の心は無くしていないと普段から豪語しているつもりなので、ラディルの態度には不満しかない。
『随分と余裕では無いか?』
そんな二人を見ていたモードレットがそう言ってラディル達に向き直る。
被害らしい被害の無い眷属たちもゆっくりとその包囲を縮めて行く。
「なんだ? 俺の玩具の中でも弱いヤツらを倒して、そんなに嬉しいか?」
ラディルが周囲に殺意をまき散らし、モードレットを見た。
その気配に、眷属達は本能的に危険を察知し、僅かに退く。
「ちょっとぉ! あの白いお猿さんと紅いお猿さんは殺さないでよぉ!?」
「だったらさっさと支配下に置きやがれ! ノロマ!」
メイフィスの言葉にラディルは悪態を吐きながら、パチンと指を鳴らす。
それを合図にローブを被った二体のゴーレムがその正体を現した。
一方は透明な軟体。いや、プルプルと震えるその身体はかなり液体に近い。スライムにも見えるそのゴーレムの名は《ブロブ・ゴーレム》。
稀に古代遺跡で見つかる事があると言われる太古の遺産。
物理攻撃が全く効かず、魔法攻撃も一部を除いて殆ど効果がない危険な存在だった。
もう一方は一見黒い影のように見える。
よく見れば、それは小さな虫――蜂型のゴーレムの集合体であると分かる。
かつてとある魔術師が作成に成功するも、制御に失敗して作り出したゴーレムが暴走、一国を滅ぼしかかって以来、禁呪として扱われた蜂型ゴーレム。
その名を《ワスプ・ゴーレム》と言う。
それを容易に扱う魔人。
《魔国プレナウス》の《魔軍八将》が一人、《人形繰者》ラディルは、邪悪な笑みを見せつけるように顔を上げた。




