どうやら俺は会ったこともない霊獣にまで恐れられる模様
『何故? 貴方ほどの者が人族の味方など?』
「勘違いするでない。妾は己の主様の意思に従ったまでじゃ。人族の……ましてやリルドリア公爵などに加担した覚えはないそ?」
『…………久方ぶりのためかもしれませんが、そのような喋り方でしたか?』
「これは主様の趣味じゃ」
レイジがこの場にいたら全力否定していただろう。
当人がいないため、リーフは言いたい放題を口にした。
当然、ファオリアはレイジの事など知らないので、真に受けるしかない。
ただ、ファオリアが気にしたのはその喋り方より、始まりの竜を従えたという途轍もない存在がいることを憂慮した。
そして、その存在が霊獣と人族の争いに加わった事に、強い懸念を覚えた。
もし、始まりの竜を従えた何者かが人族に加担するようなら一大事である。
ファオリアが全力をだしたとしても、リーフェン・オルフェウスを相手に勝てる可能性は万に一つも無い。それ程までに能力に差がある。
今もリーフはファオリアの前足を掴んだまま離さない。先ほどから何度も力を込めているのだが、ビクともしない。
この小さな体躯のどこにそんな力があるのか、疑問にすら思う。
これをチャンスと思ったのは、リルドリア公爵に仕える騎士達だった。
「そこな女! 何者かは知らぬが良くやった! その獣をそのまま抑えておくが良い! あとは我々が……」
そう言って騎士達が剣を抜いて近付いてくる。
ファオリアに仲間を傷つけられた騎士達は、その目を怒りを宿していた。
ここ数日、ファオリアに辛酸を嘗めさせられた騎士達は、ついに仕返しができるのかと歓喜に似た高揚感に包まれていた。
「其処までだ! 騎士達よ、剣を納めよ!」
騎士達の間を縫って、前線に現れたのは、四人の騎士。そして、猫獣人らしい少女。
その者達の内一人を見て、隊長格らしい騎士がビクッと身を震わす。
「なッ! まさか……元近衛騎士団団長のラグノート・ナスガ・ブランディオル殿か?」
「如何にも。そして今一度言う。剣を収めよ! これはフォーディアナ教が《聖女》アルリアード様からのお言葉である」
そう言われ騎士達は戸惑った。
騎士達とて、遊びや私情で《白き風の森》に攻め入っているのではない。
彼らが仕えるリルドリア公爵の命令に従っているのだ。
例え、近衛騎士団団長であっても、無闇に止められる者では無い。それが《元》近衛騎士団団長であるなら尚更だ。
ただ、一部の者は、ラグノートが現在《聖女の守り》をしているのを知っていた。
しかもラグノートも『フォーディアナ教の《聖女》』からの要請であると口にしている。
実のところ、騎士達には聖女からの言葉であっても、その要請に従う必要は無い。
《聖女》は騎士達に命令を下せる立場でないのだから。
だが、それでも騎士達は躊躇った。
何故なら大抵の騎士は、叙勲を受ける際、国王陛下と総司教の前で騎士としての誓いを述べるのだ。
そんな騎士達が、教会からの要請に全く耳を貸さなかったと知られれば、騎士としての器が問われ、場合に寄っては騎士としての身分を剥奪されかねない。
其処まで考えてしまった騎士達は、一旦話を聞かなければならないと判断し、自ら剣を収めた。
騎士達の行動をみて、ウォマリアの警備兵達は困惑した。
彼らはラグノート達を知らない。突然、『聖女のお言葉』などと言われても、それを鵜呑みには出来なかったのだ。
直後、その均衡を破ったのは、巨木をへし折ったのかと言うほどの打撃音だった。
「ふッ!」
短く呼気を吐き出したのはリーフ。
打撃音の正体は、ファオリアによる一瞬の隙をついての反撃。
ファオリアは、完全な狼の姿から半人半獣へと変化し、その膝をリーフに叩き込んでいた。
リーフの体躯が僅かに浮く。
直後、ファオリアは側転の要領で身体を捻り、リーフに掴まれていた腕を引き剥がず。
それを見た騎士達はざわめき、何人かが再度抜剣しようと、柄に手を当てる。
だが、剣を抜くのを阻むように、何かが爆発した。
何が爆発したのか殆どの者は理解出来なかった。
魔法の気配はなかった。
魔力に慣れた者――《魔導騎士》と呼ばれるレリオであっても――欠片ほどの魔力を感じなかった。
『ぐはあッ!』
直後、ファオリアが身体をくの字に折って、空高く浮き上がる。
その直下には大きく脚を蹴り上げた状態のリーフがいた。
その蹴りこそが爆発音の正体。
先ほどのファオリアの蹴りが児戯に思える程の一撃を、お返しとばかりに叩き込む。
「やるではないか。油断していたとはいえ、妾を振り払うとは……だがのッ!」
『ガハッ!』
リーフは身体を独楽の様に捻り、蹴り上げた脚を下ろすと同時に、反対側の脚で落ちてくるファオリアに回し蹴りを見舞う。
ファオリアは、その蹴りをすんでのところでガードするが、そのまま地面に叩き付けられる。 ファオリアの身体が半分地面にめり込む。
肺の中の空気を全て吐き出したファオリアは、身体が求めるままに吸気するが、蹴りの衝撃で思うように行かず、その場で大きく咳き込んだ。
ファオリアは半人半獣の姿を解いて、再度完全に獣化するとゆっくり立ち上がる。それでもダメージが大きいのか、その脚はガタガタと震えていた。
このまま戦い続けても勝ち目は無いと判断したのか、ファオリアは張り詰めていた雰囲気を解く。
煌牙狼ファオリアと始まりの竜リーフェン・オルフェウスの戦闘は、リーフが本気を出すまでも無く、僅か二発で決着が付いたのだった。
その光景を見ていた騎士達は我が目を疑い、何度も目を擦る。
警備兵達は、自分たちが手も足も出なかった霊獣を、あっさり蹴り飛ばす少女を見て、全身を震え上がらせた。
「この辺にせんか? 何も人間を根絶やしにしたい訳ではあるまい?」
『ですが、この地の人族は、不可侵の盟約を忘れ攻め入ったばかりか、我が眷属を殺害しました。彼らが撤退しないのであれば、私は……』
「其方の眷属を殺したのは、恐らく《魔国プレナウス》の者達じゃぞ?」
『なんですと……それは本当ですか?』
リーフの言葉にファオリアは言いようのない焦りを覚えた。
オルレニア王国と魔国プレナウスは隣接しており、度々小競り合いを繰り返している。
だが、それは最前線であるマーカム領に限っての話であって、国境から離れた地にかの国の手の者が来るのは、今まで無いことだった。
それがここに来ている。
それは魔国プレナウスがそれまでと違う方針を――他国への侵略に力を注いでいることを示していた。
「本当です」
『君は?』
「ご挨拶が遅れました。私はレーゼンバウム領親衛隊隊長のスフィアス・ナスナ・フィルディリアと申します。以後、お見知りおきを」
「隣の領土の親衛隊が、この地に何の用なのかな?」
ファオリアは威厳を保とうと、背筋を伸ばしスフィアスを見下ろした。
その態度に敬意を表すためか、スフィアスは恭しく頭を下げた。
「私達レーゼンバウムは、此度のリルドリア公爵の行動を止める為に参りました。これはレーゼンバウムの独断ではなく、国王陛下に許可を頂いた上で派遣されております」
時間関係で言えば、スフィアスの言葉は少し事実と異なる。スフィアス自身はリルドリアへの使者として訪れたのであり、国王陛下による介入については後付けだ。
だが、この場にはそれを気にする者も咎める者もいない。
事情を知っている者ですら、ここはファオリアを説得することが先と考えた。
『そうか、オルレニア国王と、かの大公閣下が動いたのか。となると今回の侵攻は、リルドリア公爵の独断ということか……』
「独断というより、《魔国プレナウス》に唆された、という方が正しいかと」
『うむ……で、彼奴らの目的は?』
「それについては、あの者達から説明いたします」
スフィアスが促すと、ラグノート達がファオリアに近付いた。
『君たちは?』
「私は《聖女》アルリアード様に仕える騎士、ラグノート・ナスガ・ブランディオルと申します」
「同じく、聖女様に仕えし聖騎士、ミディリス・ナスナ・フィルディリアと申します」
「同じくレリオード・ナスガ・クルツェンバルクです」
ラグノート、ミディ、レリオが次々に挨拶する。
レリオは無理に堅苦しく挨拶しているためか、口元が少し引きつっていた。
余談だが、モモはいつの間にかリーフの傍に行き、リーフにしがみついていた。
『《聖女》が来たとなれば、《聖遺物》が奪取されるという話も嘘ではないのであろう……ただ、肝心の聖女はどちらに?』
「聖女様はセヴェンテス様の元に向かっております?」
『まさか……一人で向かったのではあるまいな?』
「いえ……聖女様に遣わされた天……」
ラグノートが天使と口にしようとした瞬間、ラグノート達とリルドリア兵を分断するかの用に、【障壁】魔法が展開される。
直後、その【障壁】を覆うように、【炎の壁】まで展開され、リルドリア兵のあちこちから悲鳴が上がった。
その場にへたり込んで、ただ呆然とその【炎の壁】を見上げる者も少なくない。
それ程、この【炎の壁】は非常識と言えた。
魔法を知らない警備兵などは、完全に圧倒され、声も出ない。
ただ、驚愕したのはリルドリアの兵達だけではない。
ファオリアは勿論、ラグノート達すら言葉を失っていた。
『な、何だこれは? 【炎の壁】だと? 一体どこから?』
ファオリアはセヴェンテスが戦っている地から伸びてくる【炎の壁】を見て、ただひたすらに困惑した。
【炎の壁】はファオリア達から程近い所で終端を迎えていたが、それでも五キロ以上彼方より伸びてきている。
はっきり言ってしまえば異常事態だった。
だが、リーフ達はその原因にいち早く気付いた。
「これは……間違い無くレイジの仕業じゃな?」
「でしょうね……」
リーフが呆れかえると、ミディが同意した。
尤もミディは異常事態になれつつある自分に、頭が痛くなるような思いだった。
■
「で、妾達を信じて貰えるかの?」
『まずは《聖女》と、その噂の《天使》殿にお会いしてからです』
リーフが簡単に事情を説明したあとにそう問いかけると、ファオリアは憮然として答えた。
機嫌が悪いと言うより、久々の敗北を受け入れられていないといった様子が窺える。
相手が悪かったとは言え、たった二発で敗北するという精神的ショックを受けたところに、常識を遙かに上回る魔法を目の当たりにしたのだ。困惑しすぎて、複雑に湧き上がる感情を持て余していると言った方が正しいだろう。
「であれば、《聖女》と合流して貰うしかないの。時間も惜しいことじゃし、すぐにでも出発したいのじゃが?」
『リルドリアの者達はどうしますか?』
「放っておけ。あれほどの魔法を見せつけられたのだ。この先に進軍するのがどれ程危険か、本能では理解しておるじゃろ?」
その言葉を聞いて、ファオリアは妙な説得力を感じた。
今、ファオリアからは【炎の壁】が邪魔をして、リルドリアの兵達の様子を正しく伺うことはできない。
だが、揺らめく炎の向こう側に、立ち上がっている影は見えない。
先ほどまで感じた戦意も今は消失しており、誰もがその場にへたり込んでいるようだった。
彼らはこの【炎の壁】の出所を知らない。
知らないが故に、霊獣の仕業とでも思い込んでいるだろう。
それは『霊獣が本気を出せば、人間など消し炭に出来る』と思わせるには充分であった。
勿論、それは盛大な勘違いなのだが、リーフ達には都合が良かった。
「【我が主セレステリアよ、汝がしもべの傷を癒やし給え】【傷の治癒】」
『そうか、君は聖騎士だったな』
ミディに治癒魔法をかけられて、ファオリアは僅かに機嫌を良くした。
もっとも【治癒】魔法は大抵精神を落ち着かせる効果もあるので、そのお陰かも知れない。
「どうでしょう? 動けそうですか?」
『ああ、取り敢えずは大丈夫そうだ』
「ふんッ! あの程度の蹴りで肋骨を折るなど、情けない」
リーフの言葉に誰もがツッコみを入れたかったが、皆グッと我慢する。
特にファオリアは何か言いたげではあったが、リーフの一睨みで黙ってしまった。
「では、出発しましょうか。レイジ殿は既に森に向かったそうですよ?」
ラグノートがそう言うと、全員騎乗する。
リーフは半人半龍の姿となり、その翼を広げた。
そして全員が駆け出す。
そんな中、ファオリアは……。
(レイジというのが、あの【炎の壁】を構築した天使でしょうか? 興味はありますが、正直会うのは怖い……というかあまり会いたくないですね)
などと、霊獣にあるまじき情けない考えを頭に浮かべていた。
ちょっと進行にずれが生じていたので、56話を少し修正しました。
リーフ達と時間の進行がちょっとね……