どうやら俺は天使のイメージを間違った模様
雷角獣セヴェンテスは次第に苛立ちを募らせていた。
『全く……何故私が人族如きに配慮してやらねばならん?』
(そう言わないで下さいよ。《盟約》もありますし、何よりその数は脅威です。《白き風の森》を全て焼き払われても困るでしょう?)
セヴェンテスが己の苛立ちを口にすると、煌牙狼ファオリアの念話が返ってくる。
その暢気な物言いに、セヴェンテスは軽く舌打ちした。
ファオリアは霊獣ではあるが、元は肉食獣である。
それなのに、性格がべらぼうに穏やかで争いを好まない。
今回、人族が武力でもって森を制圧に来たと言うのに、一番穏便に済まそうとしたのがファオリアである。
自分とは真逆の性格に、セヴェンテスはこれまでも何度か苛立たしく思ったが、今回は普段より一層そう思った。
『分かっている、だがヤツらはその《盟約》を破棄する行いをしているのだぞ? なれば我々が《盟約》に縛られる必要もないだろう?』
(それでもまだ、明らかな盟約違反をしている訳ではありません)
『私達が止めなければ、今頃盟約違反をしている筈だッ!』
セヴェンテスは己の中に湧く、人族に対する悪感情を魔力に乗せ、そのまま雷として放つ。
何人かがその雷に撃たれその場に崩れ落ちるが、辛うじて死んではいない。
セヴェンテス自身が、死なないよう手加減していた。
そしてそうしなければならない事実に、セヴェンテスは更に憤慨を覚えた。
(うっかり殺さないで下さいよ?)
『保証は出来兼ねんな』
(ちょっと?)
ファオリアの声が少しだけ低くなった。
その声に、セヴェンテスはほんの少しだけ、寒気に身を震わす。
普段穏やかな分、ファオリアは怒り出すと始末に負えない。
セヴェンテスは、その事を良く分かっているので、次の言葉は慎重に選んだ。
『仕方ないだろう? ヤツらがしつこすぎるんだ。ここ数日、何度倒しても後から湧いてでてくる。これでは私も疲れで加減し損なうかもしれんぞ?』
(確かに、今回の侵攻は腑に落ちませんね? 最近、彼の地の領主が代替わりしたとは聞いていますが?)
『あの鼻垂れ小僧め。息子の教育をまともに出来んのか?』
セヴェンテスが言う『鼻垂れ小僧』とは先代のリルドリア公爵の事である。
それ程、セヴェンテスと先代リルドリア公爵は縁が深い。
それを知るファオリアは喉の奥をクックと鳴らす。
『何が可笑しい?』
(そこまで心配なら、一度くらい様子を見に行って見れば如何ですか? 彼が病床に伏せって以来、会いに行っていないのでしょう?)
『フンッ!』
セヴェンテスは、心奥を探られ気分を害したのか、大きく鼻を鳴らす。
そんなセヴェンテスの態度に、ファオリアはもう一度喉を鳴らした。
その直後だった。
『ッ!!』
(こ、これは……)
『アイツら、やりやがったな……』
(リルドリアに住む人族が、我らの眷属に手をかけるとは考え難いのですが……)
彼らは己が眷属が殺された事を感知し、怒りと戸惑いを露わにする。
それまで余裕を見せていたファオリアの声が、僅かに震えていた。
『もうお前も《盟約》がーなんて言わないよな?』
(いや、しかし……この領内の人間ではない可能性も……)
『知った事かッ! 人族は《盟約》を破ったッ! ただそれだけだッ!』
そう言うと、セヴェンテスは大きく嘶いた。
セヴェンテスの言葉は正しく、この憤りを否定できる言葉をファオリアは持ち合わせていない。
そもそも、ファオリア自身も、何故この期に及んで人族を庇おうとしているのか、その理由が既に思いつかない。
いいや、その理由を自身が必要としていないことに気付いてしまった。
『良いよな?』
そんなファオリアの心中を察し、セヴェンテスは今一度問う。
その問いに、ファオリアも覚悟を決める。
(ああ、そうだな)
『じゃあ、殺すか』
(ああ、殺そう)
《白き風の森》の霊獣が、人間の殲滅を決めた。
そうして、鏖殺が始まる。
■
セヴェンテスが大きく嘶いた直後、戦場の空気が変わった。
ウォマリア常駐の騎士長カリオは、経験と勘からその変化を肌が粟立つ程に感じていた。
…………ヤバい。
背中を冷たい汗が伝う。
カリオは、今まで雷角獣セヴェンテスが手加減していたことを、唐突に理解した。
そして、それが今をもって終わりを告げたことも。
セヴェンテスから、それまで感じていなかった殺意を感じたのだ。
これまでセヴェンテスからは、圧倒的なまでの力量差を脅威として感じていた。
だが、死を感じてはいなかった。
それなのに今、カリオは目の前の存在から明確な《死》を感じ取った。
――一体何がありやがった?
これまでセヴェンテスが手を抜いていた理由も不明だが、ここに来て殺意丸出しにした理由はもっと分からない。
分かるのは、今この場にいる者全ての命が危険に晒されているということだ。
「ヘルマン! 今すぐ全軍撤退させろッ! 急げッ!」
カリオはそう言って背後を振り向く。ヘルマンも危機を察したのか、部下に撤退を指示するとカリオの傍にやってきた。
「騎士長!? 一体何が起きたんですか?」
「分からん。だが、アレの雰囲気が明らかに変わった! 理由は分からんが、どうやら俺たちはアレの怒りを買ったらしい」
「騎士長があまり前に出るから」
「この非常時に、俺の存在が不快だったみたいな言い方するんじゃねぇッ!」
カリオの言葉をかき消す様に、巨大な落雷が発生する。
あまりに大きすぎて、どんな音が発生したのか認識出来ないほどの音が、辺りに響く。
「~~~~~ッ!」
「クソッ!」
兜越しにも鼓膜を破りそうな雷の音に、碌な悪態を吐くことも出来ない。
そして雷が落ちたのは……雷角獣セヴェンテスに対してだった。
もうもうと上がる土煙が次第に晴れると、カリオの前に再度雷角獣セヴェンテスが姿を顕す。
その姿はまさしく雷獣。
全身に雷を纏い、人間を虫けらの様に見下すその生物は、兵士達の目には絶対者として映ったに違いない。
それ程までに圧倒的な魔力を周囲に放っていた。
その場にいた全員がその姿を魅入り、息を呑む。
それまで戦場に響き渡っていた、撤退合図である太鼓の音も、今は一切聞こえず、ただ異様な静けさだけが戦場を埋め尽くす。
そして……。
セヴェンテスは、通り名の由来となった頭部の角に全身の雷を集めると、その雷をカリオ達に向けて一気に解き放った。
爆音伴う多量の雷が、カリオ達を横薙ぎに払う。
避雷針代わりに立てた長槍も、この段階に至っては全く役に立たない。
この一瞬で伏せようとした騎士はまだ優秀で、殆どの騎士や戦士が、横に払われた雷をまともに食らった。
カリオは大型盾を地面に突き立てると、その後ろに隠れるようにして頭を下げた。
ヘルマンも、咄嗟に伏せようとする。
直後、彼らの視界が真っ白に染まった。
耳をつんざく程の爆音。
全身を駆け巡る雷。
あまりにも大きな爆音に、周囲の音が聞き取れなくなるが、それでも何故か、誰かが倒れる音だけははっきりと聞こえた。
盾のお陰で雷を直視せず、視界を奪われることの無かったカリオは、薄目を開け、周囲を確認する。
そこは地獄絵図だった。
それまで共に戦った戦友は、ことごとく倒れ伏し、呻き声を上げている。
いや、呻き声を上げているのは、まだマシだった。
ヘルマンですら、カリオの傍らで血を吐き、痙攣している。
その他の者も、全身から焦げ臭い臭いがする煙を発し、それでも死ぬまいと必死に抗っているが、それも時間の問題のように思えた。
両目から血を流し、ピクリとも動かない者も多い。
カリオはここに来て、自分たちがどれ程手加減されていたか思い知らされた。
霊獣が少しでも本気を出せば、何時でも自分たちを皆殺しに出来たのだ。
だが、そう認識するのが遅すぎた。
子供の頃、母親に聞かされたお伽噺。
一体だけでも、このリルドリアを滅ぼせる程の霊獣。
大昔のリルドリア公爵が、天使を仲介し霊獣と出会い、お互い不可侵とするよう盟約を結び、平和になったというお伽噺。
ウォマリアの住人なら誰もが知っている、当たり前の物語。
その物語の霊獣は、決して誇張では無いことを、カリオは初めて知った。
そして、もう……。
「手遅れ……か」
再度の落雷で、セヴェンテスが全身に雷を纏う。
その雷が角から槍の様に突き出した。
『まだ生きているか……しぶといな。装備に助けられたようだが、これで…………』
セヴェンテスが大きく上体を反らし、一度止まって力を溜める。
その角からは、天を貫かんばかりに巨大な雷の槍が突き出している。
『死ね』
そして、全てを薙ぎ払うように、カリオ達に向け横薙ぎに払った。
「「「「「【マナよ、脅威を退ける力となれ】【暴威より守れ、破邪の城壁】」」」」」
突如としてカリオのすぐ傍から呪文詠唱が聞こえる。
まだ視界がはっきりしていないためか、誰が呪文を唱えているのか分からない。
先ほどの轟音で、耳も少しいかれているためか、声が変に重複して聞こえる。
従軍している魔術師の誰かが皆を守ろうとしているのだろう。
「だ……駄目だ、第二階位の魔法で守れるようなモノじゃ……
「「「「「【魔術師ボルドアの障壁】」」」」」
雷の槍が、ギリギリ展開された【障壁】魔法に突き刺さり、金属をたたき割る様な音を立てて破砕する。
雷に目を焼かれ、視力を失ったカリオは、【障壁】魔法が破壊された音を聞いて、死を覚悟した。
長いこと障壁が壊れる音が続き、やがてそれが静かになった時、カリオはまだ自分が生きている事を悟った。
■
うひゃぁ……。
何とか間に合った。
正直、駄目かと思ったが、セヴェンテスとやらの雷の槍を、俺こと向日島レイジはギリギリの所で防ぎきり、ほっと胸をなで下ろす。
だが本当にヤバかった。
複合発声による、第二階位魔法の【障壁】を五つ同時に詠唱して展開したのだが、セヴェンテスの雷は五枚の【障壁】の内、四枚をあっさりと破壊したのだ。
複合発声術式(俺、命名)でなければ、絶対に防げなかった。
そんな俺の前には、刀のような角を生やした馬のような生物――雷角獣セヴェンテスが立っている。
セヴェンテスは俺を見て、驚愕と警戒を露わにしている。
対する俺はと言うと、少し姿を変え、天使っぽい感じに背中から翼を生やし、服装もそれっぽい白い外套に身を包んでいる。
天使のイメージが俺にはあまり無かったので、生前やってたスマホゲームの画像を参考にして外見を整えたのだ。
『き……貴様。何者だ?』
「私か? 私は創造神様より《聖女》アルリアードに遣わされた天使。名をレイジ……」
『翼を三対も生やした異形の天使がいるものかッ!』
「え?」
どうやら、こっちの天使とはイメージが違った模様。
ど、どどどど、どうやって誤魔化そう!?