どうやら《魔国プレナウス》の魔人は《白き風の森》へと侵入を試みる模様
『其処の人間共よ! これよりは霊獣の治める地である! 即刻立ち去るが良い!」
森の外周部に群れなす獣たちの内、一際大きな狼が、一歩前へ進んでそう警告する。
人間の使う言葉ではない。
直接、頭の中で響き渡る言葉だ。
その狼の体躯は白い毛に覆われ、その両目からは魔力と闘志が炎となって立ち上る。
煌牙狼ファオリアの眷属の一体であろう。元は狼型の魔物であるダイアウルフだったその個体は、ファオリアから力を授けられ、別の種族――光狼へと進化していた。
その大きさは全高三メートルに近い。並の人間の頭であれば、簡単に噛み砕く事ができそうなほど大きい。
「アレは任せても良いんだよな?」
ランドと呼ばれた少年が、隣に立つ美女、メーニエにそう問う。
メーニエは嗜虐的な笑みを浮かべ、舌なめずりをした。
「勿論よう。あの子良いわねぇ。取り敢えず、横取りしちゃうには丁度良いわぁ」
そう言うとメーニエは、手にした鞭でピシャリと地面を打った。
――フン……嬉しそうな顔をしやがって……気色悪い。
ランド……いや、《人形繰者》ラディル・マルガ・ブランドルは暫定の相棒であるメーニエ――もう一人の《魔軍八将》である《獣魔王権》メイフィス・マレガ・ファルニェットを汚い物でも見るような目で見た。
それに気付いたメイフィスが、自身を抱きしめるように両肩に手を添え、恍惚の表情をしながらブルブルと身を捩って震えた。
《人形繰者》ラディルの視線が益々嫌悪に満ち、《獣魔王権》メイフィスに突き刺さるが、それもメイフィスにとってはご褒美のようなものらしく、さらに輪をかけて恍惚となる。
「もたついてないで、とっとと行けよ」
「もう、分かったわよぅ」
吐き捨てる様にラディルが言うと、仕方ないと言ったようにメイフィスが一歩前へ出る。
その後を、ローブを羽織った二人の男がついて行く。その二名は人間とは思えぬほどの巨躯をしており、比較するとメイフィスが子供の様に小さく見える。
『そこで止まれ! 人間!』
光狼が、そうメイフィスに警告するが、メイフィスに止まる気配は一切ない。
最初からそのつもりがないのだろうが、あまりに堂々とした態度に、光狼は僅かに疑問を覚えた。
『止まれと言っている!』
「あらぁ、ワンちゃんは遠くからキャンキャン吠えるだけ? だとしたらとんだ期待外れだわぁ?」
『貴様……』
光狼が複数の大型狼――ダイアウルフを連れ、メイフィスの前へ進み出るが、それでもメイフィスには怯む気配すらない。
メイフィスの不遜とも言える態度に、光狼は怒りを隠すこと無く牙を剥いた。
『無礼にも不可侵の森へ土足で踏み込まんとするなら、相応の罰を受けてもらうことになるぞ! かかれっ!』
光狼がそう言うと、計八頭のダイアウルフが一斉にメイフィスに飛びかかる。
それを見たメイフィスの背後に立つ男達が前へ出ると、身につけたローブが宙を舞う。
「ギャンッ!」
「ギャウッ!」
「ガアァァァッ!」
次の瞬間、八頭のダイアウルフが全て宙を舞い、そのまま地面に叩きつけられた。
目の前で起きた光景に、光狼が目を剥く。
其処には、身の丈が一〇メートルを超えた、単眼巨人が二体、巨大なハンマーを手にし、光狼を睨み付けていた。
地面に叩きつけられたダイアウルフの内、軽傷と思しき二頭は再び立ち上がるが、その脚に力が入っていないことは、誰の目にも明らかだった。
動けなくなったダイアウルフの内、何頭かは頭を砕かれ、絶命していた。
それを森の中から見ていた他のダイアウルフや、剣状の角を持つ鹿――ソード・ディアーが次々と森から出て、傲慢な侵入者を迎え撃とうと唸り声を上げた。
『単眼巨人……だと? いや、今までそんな気配は!』
「流石、《小妖精のローブ》ねぇ。単眼巨人すら五分の一にまで縮めるんだから……ヴィルナガンから借りておいて良かったわぁ」
『何故、単眼巨人が人間などに従っている?』
「さっきから『人間、人間』って、私は人間じゃないわよぅ?」
そう言ったメイフィスの側頭部から、黒い角が二本、ニョッキリと生えている。
その両目には人間の者では無い邪悪な光が瞬いた。
『魔族……だと?』
「ざ~~~~んねん。それも、ハズレ。私は半魔族よ?」
『半魔族……だと? まさか貴様ッ!』
「なあぁに、ワンちゃん? 私のこと知ってるの?」
メイフィスの挑発的な笑みに、光狼が怒りの咆哮を上げ、襲いかかる。
その動きに合わせ、ダイアウルフとソード・ディアーも一斉に駆け出した。
メイフィス達三体に対し、光狼側は四〇頭以上。しかも、それが四つの部隊に別れ、まるで軍隊の様に洗練された連携でもって、メイフィス達に襲いかかる。
そのうちの一隊、一〇頭もの獣たちが突如として爆発とともに、高く上空に放り出された。
『何事だッ!』
光狼がそう言った時、更にもう一隊に向け、閃光が走る。
直後、地面が爆発し、先ほどと同様に、巻き込まれた獣達が辺りに投げ出された。
爆発に巻き込まれた獣は、その殆どが皮膚を裂かれ、内臓をぶち撒け、肉片と化しつつ周囲に転がる。
更に閃光が走ると、残された二隊の内の一方が爆発し、同様の運命をたどった。
光狼は閃光が走った方角をみる。
そこには数人のローブを被った集団と、一人の少年。そして少年の傍らに、光輝く人型の存在があった。
それは、生物ではない。
透明な光輝く石。石英でできた人型の存在。
『ク……クリスタル・ゴーレム?』
光狼がその正体を看破したとき、更に閃光がクリスタル・ゴーレムから発せられる。
光狼は咄嗟にその場から飛びすさるが、他の獣達はその動きに反応することもできず、爆発とともに息絶えた。
僅か数十秒の出来事だった。
「ちょっとぉ、私の楽しみ奪わないでよねぇ?」
「こんな獣共にかかずらう暇はない。光狼だけは残しておいたんだ、とっとと始末を付けろ!」
「はいはい。まったく、余裕がないんだから……」
「何か言ったか!?」
「な~~~~んにも?」
手をヒラヒラ振ってそう言うと、メイフィスは鞭をしならせて、光狼に近付いた。
光狼は警戒するように距離を保とうとしたが、直後にメイフィスの鞭による一撃を食らう。
『ギャンッ!』
「あらぁ、そういう所はワンちゃんっぽいのねぇ? 『痛い』って言ってくれても良かったの……にッ!」
『ギャウウッ!』
再度、鞭が光狼に打ち付けられる。
光狼の顔に驚愕の色が浮かんだ。
光狼の目でも、メイフィスの鞭を捉えきる事ができない。
その速度はクリスタル・ゴーレムの閃光にも匹敵する。
それだけでも驚かされると言うのに、メイフィスは光狼の行動を読んでいるらしく、光狼の動く先に鞭を撃ち込んでくるのだ。
そして、光狼は、鞭を撃ち込まれる度に、その鞭から何か魔力が流れ込んで来るのを感じていた。
『その鞭、その技……やはり貴様……《魔国プレナウス》の《獣魔王権》かッ!』
「ご明察ぅ~~~~~~。まさかワンちゃんにまで覚えて貰えてたなんて、光栄だわぁ」
『ビギャウッ!』
光栄などと言いながら、メイフィスは再度鞭を振るう。
光狼は、反射的に避けようとするが、鞭はまるで生きているかのようにしなると、光狼を的確に捕らえた。
そのまま光狼の首に巻き付く。
『グウゥゥゥゥッ』
「ふふふ……そうねぇ、そそるわぁ。そうやって必死に抵抗して、それが徒労に終わろうとしているその姿……私の嗜虐心を刺激するわぁ……」
メイフィスはそのまま光狼をギリギリと締め上げると、近くに引き寄せる。
その際、鞭を一ひねりすると、鞭は光狼の脚に絡みつき、四肢の自由を奪った。
メイフィスは光狼に馬乗りになると、首筋に顔を埋め、クンカクンカとその匂いを嗅いだ。
光狼は身を捩って避けようとするが、縛られているも同然のため、まともに動くことすらできない。
「さあ、そのまま私に身も心も委ねなさい。私の新たな下僕となるのよ?」
光狼も初めの頃は、『誰が貴様など』と言いたげな目でメイフィスを睨んでいたが、その目から次第に力が失せていく。
(くッ……この鞭から流れ込む魔力は……制約……いや、呪いか!? くそッ! 何とか逃れないと……)
光狼は必死にその呪いから逃れようとするが、その呪いは煌牙狼ファオリアの眷属としての絆を、容易に打ち砕いて行く。
(こ、これが《獣魔王権》メイフィスの『支配の鞭』か……だ、駄目だ……このままでは……主様が……主様…………主様って……誰?)
光狼の意識が、暗闇に覆われ、その目から力が失われる。
そこで、メイフィスは鞭を解き、光狼を自由にする。
光狼はのろのろと立ち上がると、メイフィスの靴を舐めた。
「さあ、私の可愛いワンちゃん。森の遺跡まで案内してちょうだい?」
『はい……ご主人様……』
光狼はのろのろと立ち上がると、メイフィスを案内するように森に入っていった。
「じゃ、行きましょうか?」
「フン……本命は読心猿モードレットだぞ、それを忘れ……」
「忘れてなんかいないわよぅ! ああ、お猿さんはどんな顔を見せてくれるのかしら? すっごい楽しみ」
そう言うと、メイフィスは半ば踊るようにして森の中に入っていく。
《人形繰者》ラディルは、呆れた様に溜息をつくと、配下の者達を連れて、その後を追った。