どうやら俺はリルドリア市民の不満を耳にする模様
「やはりリルドリア公爵はリルデンにはいらっしゃらないそうです」
リルドリアと霊獣の戦闘が始まったと聞いた二日後、俺たちはリルドリア直轄都市であるリルデンに到着していた。
俺たちは、王都より書簡を届けに来たという名目で、この地を訪れている。となれば、リルデンに寄らずにウォマリアへ向かう事は出来ない。
俺たちは、リルドリア公爵がリルデンに残っている可能性を考慮し、真っ直ぐにリルドリア城へと向かった。
だが肝心の公爵は、やはり不在だった。
「どこに居るかは教えて貰えたのですか?」
「いいえ、ただ今はいらっしゃらないと」
「まあ、十中八九、ウォマリアやろうな」
「そのようですね」
ミディが当然の質問をし、アリィが左右に首を振りながら、秘匿された事を伝える。
レリオの推測をスルーしたスフィアスが、手にした手紙を見て行き先を特定する。
…………レーゼンバウムの諜報員、優秀過ぎだろ?
レリオがすげぇ落ち込んでるし……。
まあ、あの爺さんが後ろ盾になったのだから、こうなるのも頷けるが……スフィアスが手紙を手にする度にアリィが恐縮するので、ほどほどにして欲しい。
「この後はどうしますか? 夕暮れまで余裕もありますが……」
「そうですね。一度教会へ寄った後は、少しでもウォマリアへ近付いておきたいですね」
ラグノートが今後を確認すると、アリィは一拍も置かずに、移動を決定する。
内心は、教会に寄らずに先を急ぎたいだろう。
ただ、一度は教会に足を運ばないと、俺たちがリルデンに到着した証左を残せない。
また、情報収集を考えたら、一度教会に寄った方が良いように思えた。
■
教会に寄ると、人の良さそうなシスターが出迎えてくれた。
司祭の所在を問うと、公爵と共にウォマリアへ向かったとの、返答を得た。
シスターも、《白き風の森》で戦闘になっている事を知っていた。
まあ、特に箝口令を敷いてはいないので、人々の噂には度々上るらしい。
警備兵や騎士の家族が、幾度も祈りに訪れてるので、その人達から事情を聞いたそうだ。
更にウォマリアの住人が、戦火を逃れリルデンの教会を頼るとなれば、隠し様もない。
教会に到着するまでの間だって、何人もの難民らしい姿を見かけたのだ。
皆、一様に疲れ切った表情で俯いていた。
かなり大規模な戦闘になっていることは、想像に難くない。
何より良くないのは、リルデンに住む住人からも、公爵に対する不満が聞こえて来る事だ。
それも、一つ二つではない。
聴覚強化した俺には、この街全域から、そうした不満が上がっているのを聞いてしまった。
住人達の中には、《白き風の森》を畏怖している者も多い。
だからこそ、公爵の行動が正気の沙汰とは思えぬらしく、怒りも大きい。
中には、先代の公爵と比較して貶す者までいる。
「なあ、もしかしてリルドリア公爵って、最近代替わりした?」
「よくご存じですね。昨年、前公爵が病床に倒れて以降、そのご子息が跡を継いでいます」
「前公爵は、もしかして優秀だったんじゃない?」
「ええ、大公閣下と並び称されるほどの人物でした」
「なるほどねぇ……」
俺には、少しばかり今回の事件の原因が見えた気がした。
多分、リルドリア公爵は焦っているのだろう。
偉大なる先代を超えたくて、自分だけの成果を欲しているのだ。
だからこそ、ウォード爺さん――レーゼンバウム大公閣下を陥れ、先代より優れていると周囲に認めさせたかったのではないか。
そこを、《魔国プレナウス》の連中につけ込まれんじゃなかろうか?
ただ、現時点ではリルドリア公爵の思惑は、予定通りに進んだ事が一つも無い。
ファンガス・パウダーをばらまいたファナムス侯爵が捕まった事は、当然、リルドリア公爵の耳にも入っているだろう。
だが何故か、既にその情報は市井に広まっているのだ。
しかも、ファナムス侯爵の従兄であるリルドリア公爵も関与しているのでは、との噂があちこちから聞こえてくる。
これ誰が広めた……って、思い当たるの一人しかいないわ。
レーゼンバウムの諜報員、怖ぇえ……。
当初の予定では、レーゼンバウムの悪い噂をリルドリア公爵が密かに広める予定だったと記憶しているが、完全に先手を打たれている。
どう考えても、レーゼンバウム側の方が、一枚も二枚も上手だった。
つくづく、敵に回せないな……。
「どうしました、レイジ? そろそろ行きますよ?」
「え、ああ。了解」
アリィが馬車の中にいた俺に声をかける。
そうしないと馬車だけ動き出したのに、俺がその場に残り続けるという、間の抜けた事態が起こりかねない為だ。
俺はそれに応えると、ウォマリアに向かって移動を開始した。
しかし、戦闘が起こっているのを、俺たちはどうすべきなんだろうか?
いや、止められるなら止めた方が良いんだけど、俺たちにそれ出来るのかなぁ?
聖女が霊獣との戦いを止めたと知れ渡れば、それは聖女が神の威光を示したことになる。
それはアリィの聖女としての《格》を上げることと同一であり、最終的に俺の転生へと繋がる筈、なんだけど……。
どうやったら止められるのか、全く思いつかねぇえええええええええッ!
……相手を見てから判断するしかないか……。
■
「クソッ! 我が軍は何をしている! 三千もの人間が集まって、たかが二匹の獣すら倒せんのかッ!」
そう言って、机に両手を叩きつけたのはリルドリア公爵だった。
ウィドナ・デュガ・リルドリア公爵。
病床にある父親に代わり、公爵となった壮年の男性。
歳は四十四歳。落ち着いていれば精悍な顔立ちであっただろうが、精神的に余裕のない今は、そのような気配が感じられない。
勿論、苛立ちの原因は、霊獣との戦いが予想より芳しくないからに他ならない。
《白き風の森》に棲む霊獣を『たかが獣』と侮って戦いを挑んだが、蓋を開けてみれば、リルドリア軍の被害ばかりが拡がっている。
しかも、相手はたった二体、雷角獣セヴェンテスと、煌牙狼ファオリアだけである。
それぞれの眷属達も戦場にいることはいるが、森の外周部に陣取ったまま動かない。
どさくさに紛れて森に入ろうとする人間を、閉め出す為だけに、その場にいた。
その為か、戦闘が始まってより先、眷属達が動いた事は殆どない。
戦闘は全て、主であるセヴェンテスとファオリアがこなしていた。
霊獣とは言え、たった二体を相手にして三千もの兵が完全に抑え込まれているという事実。それが、リルドリア公爵にはこの上なく腹立たしかった。
公爵という貴族の中でも上位にいる自分が、獣ごときに翻弄され、勝利を得ることが出来ないのだ。
いや、このまま行けば、あと数日で敗戦は必至。
リルドリアにとって、それほどまでに戦況は苦しい状態にあった。
「化け物めぇ……」
リルドリア公爵の目には、未だ傷一つ無い、二体の霊獣に注がれていた。
だが、歯ぎしりするばかりで打開策が無い。
それに、未だ読心猿モードレットが出てきていないのだ。アレまで出てきたとなると、敗戦どころか壊滅すらしてしまうだろう。
しかも霊獣たちは全力を出していなかった。
数百を超える負傷兵が出ているが、今のところ戦闘による死者は出ていない。
出さなくても勝てると、そう言われているかのようだった。
今も期を見て、戦士達が果敢に挑んでいるが、その殆どが雷角獣セヴェンテスの雷撃により倒されている。
ただ、前衛に立つ戦士や騎士達は皆、全身鎧を身につけている為に、致命傷に至っていない。
雷撃による電気の大半が、鎧の表面を滑って大地に拡散するため、火傷と一時的な麻痺程度で済んでいるのだ。
だが、近付くことも出来ないまま、戦闘不能に陥っていることに変わりはなかった。
一部の戦士は主戦場を迂回して、背後を突こうとしたが、煌牙狼ファオリアにあっさりと見つかり、撃退されている。
こちらも、爪で引き裂くような真似はしていない。
戦場を駆け巡りながら、部隊を翻弄し、己が咆哮を轟かせただけだ。
その咆哮を聞いた軍馬が、すっかり萎縮して動けなくなったのだ。
通常、軍馬というものは訓練によって恐怖を克服しているが、流石に霊獣の咆哮に堪えられる馬は殆ど存在しなかった。
それでも怯まず、馬から下りて徒歩で進軍しようとした戦士は、その尽くが脚を折られた。
その二体の霊獣に見つからないよう森に侵入しようとした者達は、尽くその眷属達の手によって、森の外にたたき出された。
初めの頃は、負傷兵を回復魔法にて治療し、また戦場に送り出していたが、僅か二日で、治療にあたっている司祭や回復術師の魔力が枯渇し始めていた。
対して、霊獣たちは疲労の気配すら感じられない。
客観的に見れば、リルドリア軍には勝てる要素が見当たらなかった。
だが、既にリルドリア公爵は冷静に判断できるだけの余裕を失っていた。
いや、とうに冷静さなど失っていたのかもしれない。
彼はただ、《白き風の森》の遺跡にある《聖遺物》を入手することしか頭に無かった。
「クソッタレッ! 《神の肉体》と《神の武具》さえ手に入れば、幾らでも立て直せると言うのにッ!」
リルドリア公爵が、伝承にある《神の肉体》と《神の武具》が《白き風の森》にあると知ったのは、つい最近のことだった。
メーニエとランドと名乗る二人を中心とした総勢二〇名ほどの一団が、リルドリア領を訪れたのは約ひと月前。遺跡の調査を中心とした流れの魔術師達で、この地に来たのも《白き風の森》の遺跡にある調査を行う為と教えられた。
その時、《神の肉体》と《神の武具》の話を聞かされたのだ。
特に、リルドリア公爵の興味を引いたのは《神の武具》の話だった。
その武具は、身につけた者をたちまちのうちに強大な戦士にすると言う。
その鎧は始まりの竜のブレスを凌ぎ、伝説の魔獣グレーターベヒモスの一撃にすら堪え、その剣は強固な城壁すら切り倒す……そんな逸話の数々は、リルドリア公爵を虜にした。
何より、父親を常に超えたいと願っていた為に、その《神の武具》を欲した。
《神の肉体》には興味がなかったが、こちらはランドが高額で買い取ると言い出した。
その金額はリルドリア領の税収三年分に匹敵した。
初めはそんな金額を払えるのかと訝しんだが、ランドが公爵に見せた数々の宝石が、リルドリア公爵の懸念を打ち砕いた。
そうして、メーニエとランドにそそのかされるまま、リルドリア公爵は霊獣の森と一戦交えることにしたのだが、戦況は御覧の通りだった。
「一体、どうしたら……」
「我々が遺跡に直接向かいましょうか?」
苛立ちを露わにすることしか出来ないリルドリア公爵に声をかけたのは、妖艶な雰囲気を全身から匂わせる女性だった。
身体にぴっちりとしたドレスを身に纏い、口元を羽根扇子で覆っている。
年の頃は二〇代後半に見えるが、その落ち着いた物腰のせいで判然としない。
傍らには小柄な男性が立っている。
こちらは動きやすさを重視した服と身につけ、腰には剣を佩いている。
布の質はかなりの上物で、飾り気は無いが、逆に気品を漂わせていた。
「おおッ! メーニエ殿、それにランド殿も!」
それまで厳しい顔つきしかしていなかったリルドリア公爵に、初めて明るい表情が生まれる。
それを見たメーニエと呼ばれた女性は、口元は隠したまま、目元に笑みを浮かべた。
リルドリア公爵は、メーニエの隠された口元に浮かぶ、邪悪な笑みに気付く事は無かった。
今回は珍しく主人公サイド以外の話が展開しました。
まあ、これは大公閣下の対比としてリルドリア公爵を描きたかったからなのですが……。
リルドリア公爵も、馬鹿かもしれないけど、本当に只の馬鹿な貴族にはしたくないのですが……
上手く書けるかなぁ?