どうやら俺は襲撃の様子を知ることは無い模様 ~その3:アリィにはとある秘密があった~
「【影潜み】を解けッ!」
壮年の《影》が若い《影》にそう指示すると自分は【影潜み】を解除して実体化する。
今の一撃が、自分たちにとっての天敵であると瞬時に理解したのだ。
だが、若い《影》にはその理由が分からない。
いや、何故今、自分が蹴られたのかすら理解していない。
《聖女》に蹴られるなど、何かの間違いだと思い直す。
それが致命的な反応の遅れとなった。
いつの間にか《聖女》の手には魔力で構築した刃が握られていた。
《魔女》はその瞳と同じ色をしたダークパープルの刃を、流れるような動作で若い《影》に振るった。
「え?」
若い《影》は自分の身体に何が起きているのか理解できなかった。
ただ、自分の胸から大量の血液が溢れ出し、赤い絨毯をより暗い紅に染め上げているのを、ただ黙って見ていた。
暫くして、自分が斬られた事に気付いた時には、若い《影》は実体を顕して絶命していた。
「【影砕き】……」
それは影を攻撃することで本体の精神と肉体を破壊する《暗黒魔法》。またはそれに類する《特異能力》。
それは絶対に《聖女》に使える能力ではない。
「まさか……《魔女》!?」
外見こそ《聖女》の特徴を持つ目の前の存在に、壮年の暗殺者は長年鍛え上げた感でもって、その正体を看破する。
「ああ、それに気付いちゃうんだ……!?」
《魔女》はそう言って笑みを浮かべる。
聖女の全てを包み込むような笑みでは無い。もっと邪で、もっと俗で、もっと妖しい魅力を湛えた《魔女》の笑み。
その笑みを見た壮年の暗殺者は、ゾクリと腹の底からこみ上げる恐怖を覚えた。
次に暗殺者は踵を返し、全力で逃げ出す。
【影砕き】は強力な魔法だが、通常は対象の影を特定する必要がある。つまりより大きな影に隠れた場合、その大きな影が邪魔となって攻撃対象に届かないのだ。
逆に【影潜み】を使った状態では術者本体は影の表層ともいうべき領域にいるため、当てずっぽうな斬撃でも当たってしまう。そしてその一撃は影状態にある術者には致命傷となる。
それを知っていた暗殺者は【影潜み】を解除した。
体術であれば《聖女》……いや、元《聖女》である《魔女》に劣ることはないと判断した。
だが、《魔女》は流れる水の様な動きで、たちまち暗殺者に追いつく。
暗殺者が咄嗟にナイフを振り回したが、それをあっさりとかいくぐって、その顎を蹴り上げる。
その流麗な動きは、熟練の暗殺者の動作を軽く凌駕する。
けっして暗殺者が弱いのでは無い。《魔女》の動きが精緻に過ぎた。
次々と繰り出される蹴り技が暗殺者のナイフを蹴り上げる。続けてたたき込まれる攻撃のあまりの重さに、暗殺者が動揺を隠せずにいた。
全身の骨が打撃を受ける度に悲鳴を上げる。場所によっては既に折れてさえいた。
魔法を併用しているのは間違い無い。
恐らくは【打撃強化】と【速度強化】が併用されているが、それでもこの強さは驚嘆に値する。
何より《魔女》には躊躇いがない。いや、確実に暗殺者を殺しに来ている。
「【我が主セレステリアよ、汝が敵を討ち滅ぼす力を貸し与え給え】」
「なんだとッ!」
《魔女》が戦いながら呪文を――《神聖魔法》の詠唱を開始したことに、暗殺者は驚愕を顕わにする。
(あり得んッ! なんだこれはッ!)
目の前で起きていることを信じられず、暗殺者の気が動転する。
「【我は愚かな敵対者に自らの過ちを知らしめる】」
今戦っている相手は《魔女》であり、《聖女》ではない。
にも関わらず《神聖魔法》を唱えているという事実。常識の埒外に暗殺者の思考が混乱する。
「【冥界の王がその扉を開き、我が主が扉への道を示す】」
ただ、今唱えられている魔法が何かが暗殺者には分からない。
セレステリアに祈りを捧げたことから、漠然と《神聖魔法》であると認識したに過ぎない。
「【聖なる炎よ、不浄なる肉の身と魂を焼き払え】」
《魔女》の詠唱は途切れない。
詠唱を続ける間も、《魔女》の攻撃は一切緩むこと無く、暗殺者めがけて幾度も繰り出される。少しでも油断すれば致命となる一撃を前に、武器を失った暗殺者は防戦一方となる。
「【死を受け入れし魂はその身を洗われ、全ての罪を許される】」
流麗なる回避からの打撃。止まらぬ詠唱。魔法に疎い者であっても感じ取れそうな程の、魔力の高まり。
「【しかし死を拒絶する魂は、未来永劫呪われよう】」
暗殺者は理解した。
今まで多くの命を奪ってきた自分が、ついに奪われる時が来たのだと。
【我が主セレステリアよ、御身の最後の慈悲を彼の者に与え給え】
暗殺者にとって目の前の少女は《魔女》ではなかった。
それは純粋に、《死》そのものだった。
「【死への誘い】」
魔法が完成した直後、暗殺者が突如として事切れ、廊下に倒れる。物言わぬ遺体からは蒼い炎が発せられ、瞬く間に暗殺者を包み込み、その肉体のみを焼き尽くす。
炎が治まった頃には既に遺体だけ存在せず、暗殺者の装備も周囲の絨毯にも一切の焦げ跡すら無かった。
■
ラグノート達が館内での魔力の高ぶりを感じ駆けつけた時には、蒼い炎に包まれた暗殺者が消え去るところだった。
「ア……アリィ様!?」
「いや、お嬢ちゃうで?」
「ま……まさか」
「なんと……」
ラグノート、レリオ、ミディ、アリィが信じられないと言った表情でアリィを見つめ、驚きを口にした。
「アリィならまだ寝てるわよ。勿論、私の中で」
「「「………………ッ!」」」
アリィの言葉に、全員が言葉を失う。
リーフだけが冷静さを取り戻したのか、黙ってアリィを見つめている。
「やはりな……確か《ミズハ》じゃったか?」
「せ~いか~~~~~~い。て言うか良く憶えてたね? リーフェンとは一度しか会ってなかったと思うけど……」
「あれほど強烈な出会いを早々忘れられるものか」
ミズハと呼ばれた少女は、そのダークパープルの瞳でリーフを見て嬉しそうに笑った。
「まさか……《ミズハ》様でしたか……」
「そんな……お嬢の中に封じられとったんと違うんかい!?」
「…………」
ラグノートが慎重に言葉を選び、レリオが焦燥のあまり言葉を荒げる。
ミディは絶句したまま動こうともしない。
「だ~か~ら~~~。封じられてるんじゃなくて、元々同じ魂なんだって言ってるでしょう?」
ぷりぷりと怒ってはいるが、暗殺者達を前にしたときのような殺意は見えない。
ただ、普段のアリィが持っている清廉な感じは完全に消えていた。
「最近、表に出てこなくなったと聞いていたが?」
「しようがないでしょう? 暗殺者相手なんて《アリィ》一人じゃ対抗しようもないんだから! 私が相手をしなきゃ《アリィ》の命が危なかったんだし! て言うか《アリィ》が死んだら私も死んじゃうんだし! …………やっと先輩にも会えたのに……」
「最後が聞き取れなかったんじゃが、なんと言ったんじゃ?」
「何でも無いッ!」
リーフの言葉に、取り乱し気味にミズハは言葉を返す。何故かその顔が真っ赤になっていた。
「と言うか私の事はセンパ……いや、レイジには内緒だからねッ!」
「うん? その口振り……ミズハ、お主はレイジを見知っておるのか?」
「し、知らないッ! 知らないからッ! ただ私みたいなのが《アリィ》の中にいるって知ったらセ……レイジが心配するからって《アリィ》が気にしてるだけだからッ!」
ミズハの言っていることは一応事実である。
そのことはラグノート達もアリィからレイジに言わないよう言い含められていたので知ってはいたが、これほどミズハがアリィの身を案じる事に違和感も覚えていた。
《ミズハ》は過去に何度か《アリィ》を乗っ取ろうとしたことがある。というか乗っ取った。ストレスが溜まったとか言って魔物の群れに魔法をぶっ放した。幸い、ラグノート達以外には見られていなかったため大ごとにはならなかったが、当時のラグノート達は本気でミズハを恐れた。千もの魔物があっという間に蹂躙されたのだ。確かにあれがなければアリィの命も危うかっただろう。だが本来、全滅させられる数ではなかったのにそれをしてしまったことで、事後処理に苦心したことは忘れようがない。何より《聖女》の中に《魔女》が存在するなど、知られる訳にはいかなかった。
その《ミズハ》が、まるで年頃の少女のように狼狽えている姿を見て、何か裏があるとラグノート達は悟った。
だが、ラグノートとミディ、そしてレリオは敢えてそのことに言及しなかった。
ミズハの機嫌を損ねると面倒くさいことをよく知っていたからだ。
だが一人、その空気を読まない者がここにはいた。
「さっきから《先輩》と言いかかっておるが、明らかに知り合いじゃろ?」
リーフは誰もがツッコまなかった所に深々とツッコんだ。
瞬間、ラグノート達の顔色が真っ青になる。
そしてミズハの顔が益々赤くなる。
「知らないって言ってるでしょうが【暗黒弾】!」
「照れ隠しに魔法を使うでないわ【竜鱗の盾】!」
「アンタが変なこと言うからでしょうが【精神破壊】!」
「高位魔法を詠唱無しに使うでないわ【魔法解呪】!」
「人の事をいえないでしょうが【雷撃嵐】!」
「コラッ! 広範囲魔法を使うのはやめんかッ! 周りの迷惑じゃろッ! 【魔法捕獲】!?」
「つうかその喋り方何よ! そんな喋り方じゃなかったわよね?【氷の槍】!」
「レイジがこの喋り方を好きみたいじゃったからの【炎の槍】!」
「ちょっとッ! なんでリーフェンがそんな事知ってんのよ【魔獣捕縛】!」
「レイジとは魂を通わせた仲じゃからな【空蝉】!」
「なにそれズルイッ! 私だって先輩と心を通わせたいのに【麻痺】!」
「やっぱり知り合いではないかッ! あと妾には麻痺は効かんッ!」
突然繰り広げられる魔法合戦にラグノート達は呆然とする。
いや、止めるべきなのだが、どうやって止めたら良いか判断に困っていた。
下手に力尽くで止めると、アリィに危害が及ぶ可能性があるが、かといって手加減できる相手でもない。
今の所リーフが魔法効果を消すよう対応しているが、このままでは何時、周囲に危害が及ぶとも限らない。自分たちに危害が及ぶだけならまだ良いが、ここには総司教も滞在しているのだ。
総司教に何かあって、その原因が《ミズハ》だと知れ渡ればアリィの《聖女》としての威信は崩壊し、それどころか《魔女》として処刑されかねない。
幸い、総司教は《ミズハ》を知っているし、理解もしているが、大司教以下の司祭達は《ミズハ》の存在を知らない。知られたら《聖女》を面白く思っていない司祭達が《聖女》を排除するための格好の材料を与えることになる。
「流石に止めんと、アカンやろ、これ?」
「レリオが止めるのか?」
「無理に決まっとるやろッ! 俺にそんな防御力ないわッ!」
そんな言い合いをしていた二人の視線が、不意にラグノートに向けられる。
そんなラグノートは、えッ? 儂が止めるの? と言わんばかりに目を見開いたが、暫くして大きく嘆息する。
「仕方ない……」
覚悟を決めたのかラグノートは、肩を落としてそう呟いた。
だが、いよいよラグノートが身体を張ってミズハを止めようとした丁度その時、《天の救い》とも言うべき声が辺りに響く。
『ラグノート!? 何かあったのか!?』
「レイジ殿!?」
突如空間に響いたレイジの声を聞いて、それまでリーフと魔法合戦を繰り広げていたミズハがピタリと行動を停止する。
額から冷や汗を垂らし、ピクピクと震えてるミズハを見て、全員が意外そうな目を向けた。
『良かった……まだ【遠隔発声】の効果残ってたか……で、そっちの状況は? 何やら騒がしいみたいだけど?』
「いえ、こちらは大丈夫です。確かに襲撃がありましたが、全て撃退し今はなんの問題もありません」
レイジからの連絡に、ラグノートは何事も無かったかのように答える。
レイジに聞かれていることを悟ったのか、ミズハも余計な口は挟まない。
『そうか……なら良いけど……でも今アリィが何か叫んでなかった?』
「い……いいえ、レイジ。私は特にそのような事は……ホホホホホホ」
レイジの声を聞いたミズハは咄嗟にアリィを演じた。若干表情が堅いが、レイジは声を聞くことは出来ても、この場を視認する事が出来ない為、違和感には気付かなかったようだ。
『……? 気のせいなら良いけど……』
レイジが軽く流したことで、ミズハは胸をなで下ろす。
ラグノート達も、これ以上騒ぎが大きくならずに済んだようで、全身から力を抜いた。
『あ、そうそう。今回の黒幕に繋がる人物を捕らえたから。というか、身体乗っ取ったから』
「それは本当ですか!?」
『うん。詳しいことは戻ってから話すけど、乗っ取った肉体になれてないから到着まで暫くかかると思う』
「分かりました。場所は分かりますか?」
『多分大丈夫だと思う。最悪、【飛行魔法】を憶えたから飛んで帰れるし……』
「また魔法を憶えたのですか……」
『あ~~~……まあ非常識なのは理解している……』
「あまり無理をしないでくださいね」
『……分かってる。じゃあ、また後で』
「はい」
レイジとの会話が終わって、数秒、誰もが黙ったままだったが、やがて誰ともなく大きな溜息をついた。
「しかし、見事に《アリィ》を演じたの?」
リーフがミズハにそう言うと、ミズハは首を左右に振った。
「今の私は《アリィ》ですよ」
「なんと、いつの間に」
アリィが答えるとリーフは驚きくが、恐らく《ミズハ》はレイジを避けたのだと気付き、思わず苦笑を漏らす。
「レイジの声が聞こえて割と直ぐに入れ替わってました。と言うか、《ミズハ》にたたき起こされ、強制的に表に出されたと言う方が正しいですね」
「やはり知り合いではないか」
アリィの言葉を聞いてリーフは確信を得ていた。
同時に『何故レイジに会おうとせんのか』と不満を口にするが、直後に『何故、妾がこんなに気にせねばならんのじゃ』とまで言い出す。
「私もそう思います。元々ミズハはある目的がありましたが……いや、もっと早くに気がつくべきでしたね。道理でこのところ大人しかった筈です」
アリィは聖女認定式のころから自らの内にいる《ミズハ》について、考えが及んでいなかったことを少しばかり反省した。
「レイジ殿にはこの事は……」
「暫く黙っていましょう。下手に話して《ミズハ》の機嫌を損ねても困ったことになりそうですし。皆も宜しいですね?」
「「はい!」」
レリオとミディはそう返事をすると、ラグノートと共に事後処理の続きをするために持ち場へと戻った。
リーフも警戒を続けると言い残し、その場を後にする。
「しかし……私がレイジに惹かれていた理由が、少し分かってしまったではないですか」
その場に残されたアリィは、誰にも気付かれないよう、小さくそう呟いた。