どうやら俺は暗黒魔術師と魔法バトルをする模様
俺は透明化かつサイズ縮小したまま、クーエルの後を追う。
クーエルは、漠然と何か不安を感じているのか、時折背後を気にしながら路地裏を何度も折れ曲がる。
顎の尖った痩せぎすの外見もあって、やたらに神経質にも見える。
だがそれでも、上空から俺が後を付けている事には気付いていなかった。
途中、見るからにガラの悪い男に接触し「気を付けろッ!」などと言われていたが、騒ぎを大きくしたくないのか、頭を下げるとそそくさと移動を続ける。
コイツ今、財布を掏られたんじゃね?
いや、明らかに掏られている。
上空から見ると、先ほどぶつかった男が小さな袋を手にし、中身を確認しているのが見えた。
それすら気付くことが出来ないほどの焦りを隠していたのだろうか?
クーエルはそのまま幾度目かの路地を曲がると、少し開けた土地に出る。
あまり整備されていなさそうで、無造作に小さな建物が幾つもある。
石造りの家はほぼなく、木造のあばら家か、テントのような物が散見されるだけだった。
建物同士の間隔が広く、時折見かける住民も、なるべく他人と関わらない様にしている。
ガラクタのような物が山積みになっている所を見ると、ここはそう言う場所なのだろう。
クーエルは周囲を警戒し、誰もいないことを確認すると、一つの小屋の中に入っていく。
俺もその小屋に壁を透過して、侵入した。
クーエルが机の上にあったハリケーンランプに火を付けると、そのまま部屋の隅にあるソファの元へ向かう。
ソファーと埃っぽい絨毯をどかすと、そこには床下収納のような蓋があった。
クーエルは埋め込み式の取っ手を掴み、ぐいっと持ち上げる。多少の軋みを上げ、蓋を開くと、そこには地下に降りる階段があった。
クーエルはスルリとその空間に身体を滑らせる。
パタリと蓋を閉じると、何事も無かったかの様に折れ曲がっていた絨毯が元に戻り、蓋の上に覆い被さった。
流石にソファーまでは元の位置に戻らなかったが、それでも一見すると違和感を感じることもない状態には戻っている。
まだクーエルには気が付かれていない様なので、俺は床を透過して奴の後を追う。
建物二階分ほどの深さを降りていくと、木製の扉がランプの明かりに照らされ、浮かび上がる。
もう誰か着いてくる者はいないと判断したのか、クーエルは周囲を確認することなく、懐から鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。
その鍵、さっき掏られなくて良かったな……。
ここでふとさっきのスリの事が気に掛かる。
クーエルは散々周囲に異常が無いか確認していた。
それなのに、スリに気が付かないとか、あり得るだろうか?
そもそもこんな手の込んだ隠し部屋を持っている上、その鍵を持ち歩いているならもっとスリを警戒するだろう。
なのに、あんなあからさまなスリに気が付かないなど、有り得ない気がした。
とは言え、何か裏があるにしても、今更あのスリを捜す訳にも行かない。
クーエルが扉を開け中に入ると、そこは十畳ほどの広さがある石造りの部屋だった。
そこかしこに書物やら何かの実験道具らしい物が積まれている。ここはクーエルの私室だろうか?
「まったく……使えないヤツらばかりだな……」
クーエルが部屋の奥の椅子に身を投げ出して、失望したように呟く。
使えないとは誰を指して言っているのだろう? 《ブラッド・オニキス》だろうか? それともあの暗殺者達?
少なくとも自身を指して言っている訳では無いのは分かる。
(んじゃ、アンタが使えるかどうか試させて貰いましょうかね?)
俺は透明のままサイズだけ元に戻し、背後からクーエルに憑依を実行した。
「ぐがあッ! がッ……」
クーエルが頭を抱え、苦悶の声を上げる。
俺は数時間前に魔術師に対して行ったのと同じように、クーエルの意識を殻に閉じ込めようとした。
(私の……中から出て行けッ!)
クーエルの魔力が破裂するように膨張し、俺が作った殻を壊す。その際、俺はクーエルは身体の中から弾き飛ばされた。
驚きのあまり透明化の制御が乱れ、俺は姿を顕してしまう。
俺を見つけたクーエルの相貌が驚愕と怒りに彩られた。
「き……貴様はまさかッ! 生きていたのかッ!」
「当然。あの程度で死んで溜まりますかってんだ」
「幽体化したまま会話が出来るだと?」
おっと、しまった。
どうやら幽体離脱魔法とやらは通常の死霊と同じく、特殊なことをしなければ会話が出来ないものだったらしい。
クーエルは棚に置いてあった拳大の水晶球を手にすると、それを頭上に持ち上げた。水晶球の中には何やらどす黒い魔力が込められているのか、濁った色を湛えている。
「どうやら私は貴様を舐めすぎていたようだ。いや、そもそも幽体離脱魔法を使える時点で、並大抵の魔術師では無いことを、もっと警戒すべきだったよ」
俺に対する警戒度が上がったのか、クーエルは即、次の行動に移った。
「水晶球に封じられし悪魔よ! 汝の主として汝に名を与えん! 汝の名は《ガーランド》なり!」
クーエルの眼に決死の覚悟の様な物が垣間見える
危険を感じた俺は全力で魔法の行使に踏み切った。
「【マナよ、矢となりて我が敵を打ち倒せ】」
俺が呪文を唱えるのを聞いて、一瞬目を見開いたクーエルの表情が、次の瞬間には余裕の笑みに変わる。
「《ガーランド》よ、我と融合し我に仕えよッ!」
「【魔術師バルマーの魔法の矢】」
全力で魔力を注ぎ込んだ【魔法の矢】が、俺の周囲に百本を超える矢を生み出す。俺はその全てを躊躇せずにクーエルにぶち込んだ。
キュガガガガガガガガガガガッ!
クーエルの周囲にあった家具や道具を巻き込んで、【魔法の矢】がクーエルに降り注ぐ。
一瞬で視界が破片と煙に紛れ、クーエルの姿が見えなくなる。
周囲のあらゆる物の影が、ゆらゆらとランプの光に揺れる。
「ふ、ふはははははははは……」
もうもうと立ちこめる煙の中から、クーエルの笑い声が聞こえた。
「残念だったな魔術師よ、確かにそれだけの数の【魔法の矢】を出現させられるのは驚愕に値するが、その程度の魔法では効果がないようだぞ?」
クーエルが煙の中から悠然と顕れる。その身体には傷一つ無かった。
代わりにその身体の周囲に、僅かに空間を煌めかせる結界が浮かび上がっている。
――魔法無効化かッ!
俺はそう直感する。
かつてドラゴンゾンビと化していたリーフが、アリィの魔法を無効化していた。
アレを見ていなければもっと狼狽していたかもしれない。
「流石はヴィルナガン様から賜った水晶球です。まさかこれほど高位の悪魔が封じられているとは……もっとも……私はこれで未来永劫、人間には戻れませんがね……」
なるほど。
先ほどクーエルから感じた決死の覚悟の理由はこれだったのか。
いや、それより……。
「アンタ今、《ヴィルナガン》とか言ったか?」
「『様』を付けんか無礼者ぉッ!」
クーエルが右手を振るうと、手の平から炎の鞭が出現し、俺に絡みつく――前に弾けて消えた。
「な、何だと? 【幽体捕縛】を無効化しただと!?」
何か驚いているが、今の俺には興味が無い。それより。
「おい、 今《ヴィルナガン》とか言うクソ野郎の名前を口にしたかと聞いてるんだ!」
ヴィルナガン。
俺を魂だけ召喚し、失敗とかほざいてどこかに消えた召喚術師。俺からしたらクソ野郎でしかないが、俺の言葉はクーエルの逆鱗に触れたようだった。
「キッサマァッ! その言葉、後悔させてやるぞ!」
「その言葉、そっくり返す!」
俺もやや冷静では無いことは認めよう。だが、クーエルほど冷静さを欠いてもいなかった。
恐らくはクーエルが持つ魔法に俺を倒せる魔法はない。何より、そもそもの魔力の規模が違いすぎる。
お互い一回ずつ魔法を行使しただけだが、俺の中にある何かがそう告げてきた。
何かは分からない。もしかしたら《死霊王》の魔力に含まれた彼の残滓かもしれない。
俺は思考を高速回転させ、クーエルを倒す手段を考える。
恐らく先ほどの口振りから、今のクーエルは階位の低い魔法をある程度打ち消せるのだろう。
より高位の魔法を使えれば打ち破れるかも知れないが、生憎俺には第二階位までの魔法しか使えない。
直接結界の内側で魔法を叩き込めれば良いのだが、今使える魔法はどれも俺自身の周囲に《矢》を作るものばかりなので、結界内部に直接作用させることが出来ない。手の平から直接発現出来る魔法だったら結界を越えて打ち込めるだろうが、そのような魔法を憶えていない。
となれば、やり方を変えるしかない。
「【マナよ、矢となりて我が敵を打ち倒せ】」
「だから無駄だと言っているだろう!」
クーエルが再び炎の鞭を振るうが、それこそ無駄な行為でしかない。
「【炎よ、マナの矢に纏い、我が敵を焼き尽くせ】」
「無駄だ! 第二階位程度の魔法であっても、私には通じぬッ! 【万物を破壊せし神リグールよ、我が声を聞け】」
解説ありがとう。
まあ、そんな事は百も承知である。
クーエルは炎の鞭が完全に効果が無いと理解したのか、呪文詠唱に入った。
この呪文は……【魂砕き】か?
「【魔術師バルマーの炎の矢】」
ヒュゴゴゴゴゴゴオオオオオオッ!
百本を超える《炎の矢》がクーエルに降り注ぐ。
辺りの可燃物が炎を上げ、床や石壁が灼熱にあおられ、場所によっては赤く溶け出していた。
「【壊せ、壊せ、壊せ、我が宿敵の精神を】」
そんな状態の中、クーエルの呪文詠唱は止まらない。
まるで道理を理解していない小物でも相手にしているかのように、あざ笑う様な目つきで俺を睨み付ける。
「【砕け、砕け、砕け、我が怨敵の魂を】」
クーエルが呪文詠唱を続けるが、俺もそれを無視して次の詠唱に移る。
「【マナよ、矢となりて我が敵を打ち倒せ】」
俺の詠唱を聞いて、クーエルが勝利を確信したかのような憎ったらしい嘲笑を浮かべた。
「【肉の身に傷を与えず、その魂を砕いて御身の元へ捧げん】」
クーエルの眼に勝利への確信が漲る。どうやら、ヤツは根本的な部分を勘違いしているようだ。
「【凍てつく凍気よ、マナの矢に纏い、我が敵を討ち滅ぼせ】」
不意にクーエルの目つきが変わる。
流石に俺の行動を不可解に思ったのか、俺が何を意図しているのか探ろうとして、そして俺の目的に気が付いた。
「【破壊の象徴よ、砕けし魂の生贄を貪り食らえ】」
俺の意図に気が付いたクーエルの詠唱速度が上がる。
だが、気付くのが遅い。こっちはもう完成だ。
「【魔術師バルマーの氷の矢】」
「【魂砕き】」
若干俺の魔法が先に発動し、けたたましい音と共に大量の《氷の矢》がクーエルの周囲に降り注ぐ。
同時に俺の身体も、【魂砕き】の光に包まれた。
バキィッ!!
次の瞬間、《炎の矢》と《氷の矢》による極端な温度差で、石造りの地下室全体に亀裂が走った。
轟音と共に地下室そのものが崩壊する。
地下室を構成していた石材と大量の土砂が部屋ごとクーエルを押し潰した。
「き、貴様ッ! まさか相打ち狙いだとッ!」
やっぱり、クーエルは根本的な部分を勘違いしていた。
■
崩壊の轟音が止み、やがて静けさを取り戻す。
その中で僅かに恨みごととも取れる声が聞こえた。
「お、おのれ……まさか相打ちで私を生き埋めにするとは……」
悪魔と融合している為か、クーエルは未だ生きていた。
身動きは取れないようだが、肉体的なダメージは殆ど無いらしい。
「何時までも勘違いしてんなよ。相打ちなんざする訳ねーだろ」
「な、何故だ!? 何故生きている!?」
いや、死んでるけど。
じゃなくて。
「そもそも、最初に効果が無かった魔法がどうして効くと思ったんだ?」
「効果が無い……だと? 馬鹿な! 第五階位の暗黒魔法だぞ!? 躱すならともかく効果が無いなどあり得んッ!」
成る程、コイツはあの時俺が魔法を回避したと思ったのか。
だから今度は外さないよう俺に意識を集中して魔法を唱えた訳だ。
「それがあり得るんだよ。俺に暗黒魔法は効果は無い」
もっと高位の魔法だと効くか分からんけどな。
俺の言葉が信じられないのか、クーエルの顔が蒼白になる。
理解し難い物を前にしているかの様だ。
「だが、貴様はこれからどうする……私にも貴様の魔法は効果がないのではないか?」
「身動き一つ出来ないヤツが勝ち誇ろうとするなよ」
クーエルは身体の大半が瓦礫の下に埋まっているので、動くことが出来ないが、霊体である俺はこの場所でも自在に動ける。
今更ながらズル過ぎるぞ、俺。
「これなら憑依しようとしても、例の呪符で邪魔することも出来ないだろ?」
「ふふふ、愚かな……。悪魔と融合した私に、今更憑依など出来るものか」
あ、アレにはそんな効果もあるのか。
まあ、どっちにせよ問題無いんだけど。
「知ってるよ、だからこれから悪魔を消滅させる……」
知らなかったけど、ここは知ってることにする。ハッタリ大事。
「馬鹿なッ! 貴様にそんな事が……」
実は一個だけ手段があるんだよなぁ。
俺は憑依するのと同じようにクーエルの身体に触れる。確かに今の状態では憑依出来ない事を直感するが、俺がやろうとしていることは全く別のことだった。
俺は静かに、自身の意識の底、心の奥に問いかける様に祈りを捧げる。
「【我が主セレステリアとオグリオルよ、汝が下僕の声を聞きたまえ】」
「なぁッ!」
クーエルの声に驚愕と恐怖が入り交じる。
「【聖ルドルの泉に注がれた神の滴をもって、破邪の刃を聖別し給え】」
「ば、馬鹿な、そんなッ! その《神聖魔法》はッ! いや、何故貴様は《神聖魔法》すら使えるッ!」
多分俺は《神聖魔法》の方が得意なんだけど、そんな事は説明しない。
なにせ初めて使う魔法なので、失敗しないように細心の注意を払う。
食らったのは二回あるんだけどな。
「【大地に降り注ぐ雨の恵みのごとく、刃に聖なる力を注ぎ給え】」
「き、貴様は一体何者だ……?」
「【夜道を照らす蒼き月光を鎧とし、我は邪悪と対峙せん】」
俺は答えず、ただ呪文詠唱を継続する。
なにせ、この呪文は第六階位に属しているため長いのだ。
「【主の言葉が我が身に注ぎ、我が身を包み、我が身を祝福する】」
俺は丁寧に祈りを紡ぐ。
クーエルがガクガクと震えているが、それはクーエルの震えなのか、それともクーエルと融合した悪魔の怯えなのか……。
「【我が主セレステリアよ、我に邪悪を滅する力を貸し与え給え】」
『ヤメロ……ヤメテクレェエエエエ』
クーエルの口から、クーエルの者では無い声が聞こえたが、流石にもう遅い。
と言うか、こいつらがヴィルナガンに通じているなら、個人的な感情も手伝って、あまり容赦をするつもりが無い。
「【邪悪なる者よ滅べ】」
『グギャアアアアアアアアア…………』
「ぎゃああああああああああああッ!」
呪文の完成と共に、クーエルと融合していた悪魔が断末魔の叫びと共に消滅する。
その際、クーエルにもダメージがあったのか、クーエル自身も叫び声を上げた。
まあ、アリィの口振りからしたら、この魔法でクーエルが死ぬ事もあるまい。
この後、俺は気絶したクーエルの肉体に、まんまと憑依することに成功したのだ。
■
ズゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!
突如として地下室が崩壊した廃墟から炎の柱が噴き上がる。
その炎は地下より噴き出し、瓦礫をことごとく溶解し、火山の如く吹き飛ばした。
炎が収まった後、地面に空いた穴から、一人の男が浮き上がってくる。
顎の尖った痩せぎすの神経質そうな男――クーエルだった。
「さて、取り敢えず情報も手に入れたし、一旦ラグノートに連絡を入れないと……」
そう呟く声は、まさしくレイジの物だった。
「しかし、クーエルが【炎の槍】を憶えてくれてて助かったぜ。正直生き埋めの状態からどうやって這い出ようかとおもってたんだ」
どうやら、あの後、クーエルの身体で脱出することまでは考えていなかったらしい。
クーエルに憑依し、クーエルが使える魔法を憶えているか確認したところ、幸いにして瓦礫を吹き飛ばせそうな魔法が存在したのだ。
その手の魔法をクーエルが憶えていなかったらどうするつもりだったのかと、アリィが知ったら文句を言われそうだが、この場は結果オーライとレイジは考えた。
「と言うか、暗黒魔法と現代魔法が使えるとか、クーエルってかなりの実力者じゃねぇの? 憶えている魔法も、最初に憑依した魔術師より高位の魔法を憶えてるし……」
そんな魔術師にあっさり勝っているレイジも大概であると、本人は気付いていない。
レイジは上空からアリィの館の位置を把握する。
そのまま聴力を強化して様子を探るが……何か騒がしい。
やはり襲撃があったのだろうかと心配になり、俺は【遠隔発声】の効果がまだ継続していることを祈りつつ、ラグノートに声をかける。
「ラグノート!? 何かあったのか!?」
「レイジ殿!?」
何故か返答を返すラグノートの声が変に裏返っていた。
何かを誤魔化そうとして失敗しているように、レイジですら感じ取れていた。
(……本当に、何があったんだ?)
次回から館側の話が三話展開します。