ミズハ……もう一人の転生者の想い ~その5~
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次に先輩に再会したのはそれから二年ほど経ってからだった。正しくは――先輩の亡骸に再会した。
事故で後頭部を打ち、脳挫傷で亡くなった。
ネットやテレビなどでその死に様が面白おかしく取り上げられているのを見て、私はそれを行った人達にどれ程の殺意を抱いただろう。
だが、怒りや殺意以上に私の心は哀しみに支配されていた。
先輩は、もう何も私に言ってくれない。
笑いかけてくれない。
抱きしめてもくれない。
もう……何処にもいないのだ……。
そんな先輩の死をわざわざ確認しに行くと鞍馬崎ミチヨは言った。
この女は何処まで性根が腐っているのか。
それでも、先輩の最後の姿をひとめ見たいがため、心を押し殺して警護に就いた。
私が警護に就くことに、さも当然のように振る舞う鞍馬崎ミチヨの態度にはほとほとウンザリもするし呆れもする。
私とレイジ先輩の関係を知っているのに、私を連れて行くことになんの疑問も持たないなんて、精神がどうかしてるとしか思えない。
この女の血が自分に流れてると思うと吐き気すら憶える。
もっとも、この女にとって私は娘でも何でもないということだろう。
だが逆に覚悟も決まった。
鞍馬崎ミチヨの行動は大体予想がつく。
そして予想通りとなった場合、きっと私は躊躇しない。
葬儀場に到着すると、案の定というか参列者は殆どいなかった。
僅かに先輩が務めていた会社の同僚と思しき人が数名いるが、それでも十名程度しか参列していない。
その者達の反応を見る限り、あくまで仕事上の付き合いしかないと思われた。表面上、沈んだ表情を見せているが、心底哀しんでいる人は見当たらない。
まあ、それに関しては私も人の事は言えない。
立場上とは言え、今は個人的感情を表に出す訳には行かない。
今は、ひたすらに感情を押し殺してその時を待つのだ。
ただ、それをする為に私は徹底的に自分の心を奥底へと沈める必要があった。
不意に哀しみに囚われそうになるのだ。
酷くやつれた先輩の写真を見たとき……。
お焼香をしているとき……。
そして……棺に収められた先輩を見た時……。
人形の様に白く塗られた肌が私の目に入ったときは、それこそしがみついて大声を上げてしまいたかった。
今生の別れ。
やっとの再会が最も望まぬ形で訪れた事を実感させられ、喉の奥から猛烈な勢いで嗚咽が漏れそうになるのを、唇の端を噛み、強く拳を握りしめる事で何とか堪える。
そんな私の横をすり抜け、鞍馬崎ミチヨが棺の前に歩み出た。
「やっと死んでくれたわ。あの女と同じでしぶといったらありゃしない。とっとと自殺でもしてくれれば良かったのに。大体、なんで費用を鞍馬崎家が持たなきゃならないのよ」
先輩の葬儀は鞍馬先家が費用を負担している。
唯一の遺族が鞍馬崎家当主なのだから当然だ。
鞍馬崎カズヤ、そして鞍馬崎ミチヨがどれだけ先輩を忌み嫌おうと、先代当主が先輩を鞍馬崎の一族として認めている。
先代が亡くなって以降、援助の類いは一切行われなくなったが、先輩が一族の人間なのは変わりない。現当主が認知すべきだった息子の葬儀を、鞍馬崎家が取り仕切らなかったなどと噂が立てば、確実に他の名家や分家からの突き上げを食らう。
下手をすれば鞍馬崎カズヤが当主の座から引き摺り下ろされるかもしれない――実際、一部の分家筋は鞍馬崎カズヤに代わって当主の座に就こうと、虎視眈々とその隙を狙っているのだ。
下手に分家の不評を買うより、最低限の葬儀費用を負担した方が鞍馬崎カズヤにとって利が大きい。
それでも、実の息子の葬儀であるのに鞍馬崎カズヤ本人は顔すら出さないとは……鞍馬崎カズヤにとっても先輩は息子でも何でも無いと言うことか……。つくづく、先輩と私は境遇が似通っている。
いや、私以上に先輩の境遇は不憫でならない。現に今だって鞍馬崎ミチヨの罵声を浴びせられているのだ。もう、安らかに眠りたいだろうに……。
ボキャブラリーの少ない罵声を発し続ける鞍馬崎ミチヨにはウンザリするし、今すぐにでも一撃入れたくなるが、それでも私は我慢を続けた。
こんなのが自分の実の母親だと思うと、自己嫌悪に囚われすぎて吐いてしまいそうだ。
「大体、なんで高校を中退させたってのに、大学にも行って就職までしてるのよ! なんでとっとと野垂れ死なないのよ!」
は?
中退?
何故?
私が大人しく倉志摩家に戻れば、先輩には手出ししないと約束した…………まさか……それは全て嘘だった?
「ミズハの転向理由をコイツに妊娠させられたって学校に通知したから、相当参ってた筈なのに、しぶといったら……」
私が妊娠?
そんな事実は一つも無い。
いや、そういう事にしたのか。
だから、先輩は高校を中退したのか……。
大学の推薦も、その時に取り消しになっただろう事は、容易に想像できた。
そして、約束を破り虚偽の報告で先輩を陥れた鞍馬崎ミチヨを、激しい憎悪の眼で見ることしか私には出来なかった。
真っ暗になりかかった視界の中で、真っ白な先輩とおぞましい嘲笑を浮かべる鞍馬崎ミチヨだけがくっきりと見えた。
次には、鞍馬崎ミチヨが癇癪を起こして先輩の棺を蹴飛ばした。
バツンッ!!
直後。
私の中で最期の何かが切れた。
私は殺気を抑えるのも忘れ、丁度振り向いた鞍馬崎ミチヨの顔面に向かって全力で抜き手を放った!
感覚がスローモーになり、指先が鞍馬崎ミチヨの左の眼球へと吸い込まれる。
ズブリ……とした水っぽい感覚と、火傷しそうな熱が指先から第一関節へと伝わっていく。
だが、そこで止まった。止まってしまった。
止まった理由は胸に強い衝撃を受けたからだ。
だから今ひとつ踏み込み切れなかった。
視線を降ろすと、私の胸――心臓のある辺りに師匠の抜き手が手首まで突き刺さっていた。
凶器と化したその先端は易々と私の肋骨を砕き、心臓に風穴を開けた。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああッ!」
「ガハッ……」
鞍馬崎ミチヨが左目を両手で覆い、のたうちながら下品な叫び声を上げた。
同時に私の口から大量の鮮血が溢れて零れた。
「あと……半歩踏み込めれば、指先が脳まで到達したのに……ヒュ……」
辛うじて発した怨み言が私の最期の言葉となった。何故ならもう私には自発呼吸が出来そうない。心臓と一緒に気管支も破壊されたのだろう。
死ぬまでの短い時間、私は地獄の苦しみを味わうことになるのだ。
だが、その苦しみより後悔の方が強い。
先輩の仇を討てなかった。その後悔の方が……。
「私が傍にいるのに、やれると思ったのか?」
やれるつもりでした。
私は眼でそう答える。
「そうか……失敗した理由は分かるか?」
最大の失敗は、先輩の身に降りかかった災難を知り動揺して殺意を抑えられなかった自分の未熟さだ。あれでは師匠に悟られて当然だ。
だからこそ、悔しい。
覚悟が足りなかったから、鞍馬崎ミチヨを殺しきれなかった。
「痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い!」
鞍馬崎ミチヨが壊れた音声データの様に叫びながら私を睨む。
私が逆に殺意丸出しで睨み返すと、鞍馬崎ミチヨはあっさりと私から眼を逸らし、再び痛い痛いと呻き続けた。死に損ないの殺意がそんなに怖いんですか……。
だが、私に出来た抵抗はそれが最期となった。
胸が焼けるように熱いのに、手足の末端は酷く冷たい。その冷たさが拡がっていくのに反比例するように私の視界が狭まっていく。
ああ、これで私もおしまいか……。
きっと私は地獄落ちだよね。
先輩は……天国に行けたのかな……?
やがて……私の視界が黒く染まると、何かに引きずり込まれるような感覚と共に私の意識は途絶えた。




