モデルのちひろ②
翌日も石川プロダクションに訪問した。この日、写真撮影は行われなかった。その代わり、オーディションのようなことをすることになった。オーディションと言っても、参加しているのは俺一人。要は質問タイムといった感じである。様々な専門家が俺の素質を見たいというのが趣旨のようである。
映画監督
『運動が得意と聞いていますが、何か見せてもらえますか。』
『はい、運動は何でも得意です。この場で見せられるものでしたら、シャドーボクシングは、いかがでしょうか。』
俺は、ボクシングの経験はない。見よう見まねでパンチをだした。いわゆるジャブである。ゆっくりと、パンチを何回か出した。見ている人たちが失笑している。これからが本番だよ。千手観音の技を見せてやろう。もちろん、抑制はするけどな。少しづつ、繰り出すバンチを速くする。失笑していた奴らの顔が変わった。そして、人間の眼で捉えることの出来るギリギリまで速くした。空気を切る音がする。こんなもんでいいだろう。
『終わりました。』
俺は頭を下げた。
『す、凄いね。君、凄いね。』
監督はメモにアクション演技Aと記入した。
ボイストレーナー
『音痴だと聞いていますが、恥ずかしがらないでいいから、歌を歌ってくださる?』
『はい、歌います。』
俺はマライヤキャリーの歌を歌った。もちろん、アカペラで。以前、劇団四季のオーディションを受けた時に、ボイストレーニングをやっている。だから、声量には自信がある。しかも、男の時は、低音しか出せなかった声が、今の体だと低音から高音まで、透き通る声が出せる。音痴であることは間違いないが、心に響く歌は歌える自信がある。
『はい、オーケーよ。アカペラなのに、バンドの音が聞こえたわ。素晴らしい。』
ボイストレーナーは、メモをした。ミュージカル、オッケー。
ダンサー
『好きなジャンルでいいから、ダンスを踊って見て。』
『はい、分かりました。』
これは、最も得意な分野だ。まずは、バレエだ。爪先立ちをして、両手を前に出し、くるくると何回転もした。その後、小さくジャンプしながら部屋の隅に移動し、ロンダートからバク転、バク転、二回転一回ねりを披露した。両足を前後に開脚し、そこから、腕の力だけで脚をくるくるとと身体の周りに回した。この時の、俺の姿はミニスカートにTシャツ。激しい動きでも、スカートがまくれることはなかった。
『はい、ご苦労様。』
ダンサーは、メモをした。私より上手い。何も教えることはない。
女優
『泣いて。』
シンプルな質問だ。泣きましょう。最近は涙腺弱いから、すぐ泣けますよ。
『怒って。』
彩先生の傍若無人なことを思い出せば、、簡単だ。
『赤ちゃんになって。』
いつもやってるよ。得意だよ。
『男になって。』
お前、バカか。俺は男だよ。
『どこかで演技の指導とか受けたことあるの?』
『いいえ、一回もないです。』
女優は目をつぶり考えた。そして、メモを書いた。天才現る。
『ちひろさん、ご苦労様。疲れたでしょう。今日こそ、どう?奢らせてよ。』
一度行かないと、面倒な人かもしれないあな。
『はい、ご一緒させて頂きます。』
『本当か。良かった。みんなも一緒にどうだ。今日は気分がいい。お金の心配はいらないぞ。乾杯しよう。』
部長は、悪い人ではなさそうだ。
またまた、翌日も事務所に呼ばれた。今回は契約のことらしい。
『ちひろさん、契約する前に、何か希望はありますか?』
『忙しすぎるお仕事は、ご遠慮します。週2回程度 であれば、嬉しいです。』
俺の言葉に部長は、少しがっかりしたようだ。そこに、若いスタッフが走りこんできた。
『部長、大変です。あっ、ちひろさん、ごめんなさい。』
『何だ。大事な時に。』
部長の機嫌は悪い。俺が悪くしたからだ。
『とにかく、ちょっと来てください。』
部長は、若いスタッフに引っ張られるように、部屋の外に出連れて行かれた。俺は分身仏を部長の肩に送り出した。
『いったい何だ。』
『これ、見てください。念のため、ちひろさんの身辺調査をしたのですが、とにかく見てください。』
『え、何だってんだよ。』
赤崎ちひろ、最重要人物。彼女の母親である赤崎彩は、この国、つまり日本を影で操る女性。彼女に逆らえる政治家はいない。暴力団でさえ、彼女の前では土下座する。その娘のちひろに何かあれば、赤崎彩は黙っていない。魔人を連れて、絶望的破壊を行うだろう。半年前、新宿の暴力団、佐々木組が赤崎彩によって、潰されそうになったらしい。赤崎彩を怒らせるな。すでに、この事務所の株は赤崎彩に買い占められている。ちひろさんに嫌われたら、会社は潰される。ちひろさんは、超VIP扱いが望ましい。by AGU。
なるほどね。事務所がAGUを利用して、俺の身辺を探ったわけか。この文章を書いたのは、Mr.Tだな。佐々木組のことを知っているのは、彩先生とMr.Tだけだ。
部長がやってきた。取って付けたような笑顔になっている。顔が笑っているが、おどおどしている。
『ちひろさんの、ご希望に添いましょう。専属のフリーモデルでどうでしょう。』
専属のフリーって何だ。矛盾したことを言っているのに気がついていない。それほど、慌ててるのか。
『部長さん。』
『は、はい。』
『母のことをお聞きになったのね。気にしなくていいのよ。母は母、私は私。こうやって、いつも私のやりたい事を邪魔するの。困った母でしょ。』
『、、、』
『私はここで働くわ。安心していいのよ。モデルとして、働かせて。』
部長は俺の目を見ている。俺も部長の目を見た。
『わかりました。俺としたことが、つまらぬ情報に惑わされたようです。俺は、ちひろさんの目を信じます。一緒にトップを目指しましょう。』
部長は、資料を破り捨てた。この男、なかなかの男だ。俺は部長の頰にキスをした。
契約は成立だ。




