たしなみ②
洋介さんと孝かやってきた。俺は奥で待つように言われている。主役は後から登場するパターンを演出しているのだ。洋介さんと孝は、かすみの案内で、和室に案内された。彼らは上座に座り、彩先生は孝の横を陣取った。しばらくすると、レイちゃんが俺を呼びに来た。俺は、すり足で、廊下を進み、襖の前で正座をした。レイちゃんが襖を開けると、みんなの視線が一斉に俺に向けられた。
俺は和室に入り、用意されている座布団の横に座りなおした。予定通りだ。
『ちひろ、ご挨拶しなさい。』
彩先生の言葉を合図に、俺は練習の成果を披露した。三つ指をついて、挨拶を始めた。
『洋介様、孝様。本日はお越し頂き、誠にありがとうございます。私、ちひろは無事に成人することができました。本日より、恥ずかしながら大人の女性の仲間入りをさせて頂きます。未熟なところも多々ございますが、この先も末長く見守って頂けると幸いでございます。今後とも、宜しくお願い致します。』
上手く出来たような気がする。しかし、男2人は、ポカーンとした表情で何のリアクションもなかった。
『孝、何見惚れてるのよ。』
彩先生が孝の頭を叩いた。場の緊張感が解け、いつもの雰囲気に戻った。
『ちひろさん、ご成人、おめでとうございます。すごく美しいので、ビックリです。』
孝は、彩先生の目を気にしつつも、俺を褒めてくれた。
『孝さん、お褒めの言葉、嬉しゅうございます。』
着物を着ていると、なぜか敬語がスムーズに出て来る。
『ちひろさん、おめでとうございます。もう、僕なんか相手にしてもらえないのかなあ。手の届かない高嶺の花になってしまったようです。とても美しいです。』
『洋介さん、お越し頂いて、本当に嬉しいです。私は高嶺の花ではないです。いつまでも、ちひろのままです。普通の女性でございます。』
彩先生の目が光った。しまった!またもや迂闊な発言をしてしまった。「いつまでも、ちひろのまま。普通の女性です。」これは、女性として生きる宣言だ。
『洋介、ちひろさんは綺麗だ。だけど、俺はその顔立ちから、ドレスとかが似合うタイプだと、勝手に思い込んでいた。でも、見ろよ。この姿、この振る舞い、この言葉遣い。純和風美人ではないか。』
彩先生の嫉妬心がメラメラと湧き上がるのが分かる。孝も察したようだ。
『彩様、お願いがあるのですが、彩様の和服姿を見てみたいです。きっとお似合いなのではと思うので。』
良かった。彩先生の機嫌が直ったようだ。
『しょうがないわね。坊やのわがままを聞いてあげましょう。』
坊や?孝は、彩先生に坊やと呼ばれているのか。この筋肉隆々な男が坊や呼ばわりされている。俺は笑いを堪えるのが苦しかった。
『おじちゃん、坊やなの?面白い。』
レイちゃんが大声で笑った。
『そうなのよ、レイちゃん。この男、体は大きいけど、まだまだ精神が未熟なの。だから、坊やって呼んでるのよ。可愛いでしょう。』
まあ、彩先生の年齢を考えたら、確かに坊やといっても、全く問題ない。
『ちひろん、ネットでちひろん調べが始まってるようです。気をつけて下さい。もし、必要なら僕が守りますから。』
みんなの前で、ちひろんと呼びれてしまった。恥ずかしい。
『ああ、今度はちひろちゃんが、ちひろんって呼ばれてる。ラブラブだね。』
やばい、恥ずかしすぎる。
『彩様、俺も彩様を守ります。この命にかけて、守ります。』
『坊や、こっちおいで。』
孝は彩先生の胸に顔を埋めた。
『よしよし、その気持ちは嬉しいわ。だから、私が坊やを守るから。』
孝の頭を撫で撫でしている。見ているこっちが恥ずかしい。
『私も、ちひろちゃんを守るからね。』
レイちゃんが俺の頭を撫でた。
再び襖が開かれると、豪華な料理が運ばれてきた。彩先生、お得意の超高級デリバリーだ。俺は洋介さんと孝に、お酒を注いだ。何だか舞妓さんになった気分だ。着物の袖を汚さないように、左手で袖を持ち、右手でお酌をした。なんか不思議な感覚である。暗殺者として恐れられていた俺が、今は、晴れ着を着て、男たちに笑顔でお酌している。しかし、正直、こちらの方が楽しい。俺、女の方が向いているのかと思えてしまう。
俺も、お酒を少しだけ飲んだ。しかし、彩先生が言っていたように、この姿で酔っ払うわけにはいかない。俺は、何度も席を立ったり座ったりしたが、決して姿勢を乱さないよう注意した。日本人の女性というものは、こういうものなのか。男は酒を飲み、食べ物を食う。女性は料理を作り、お酒をお酌する。この国には、未だに男尊女卑の風習が残っている。それを今まで気がつかなかった。だけど、そんな中でも凛としていることが、女性の美しさなのだと俺は思った。俺は洋介さんの耳元で囁いた。
『洋ちゃん、後で、キスして。』




