たしなみ①
タクシーの運転手の情報は確かなものであった。少し高かったが、出された食事は、どれも美味しかった。
ホテルを出て、俺らは大宮に瞬間移動した。瞬間移動は、本当に便利である。移動時間がないのだから、一日を長く使える。埼玉から三重まで往復したのに、自宅に戻ったのは、まだ午後2時であった。そろそろ、着物を脱ぎたいと思ったが、3人とも許してくれなかった。
『ちひろちゃん、もうちょっと、着物着たままでいてね。』
『どうして、ママ?』
『滅多に着れるものではないし、それにとても似合っているから、もうちょっと見ていたいの。』
『そうよ、ちひろ。おしとやかに振る舞う練習だと思えば、いいじゃないの。なんだったら、毎日、着物でもいいわあ。』
『彩姉ちゃん、毎日は勘弁してください。さすがに疲れちゃう。』
『嘘よ。本当はね。洋介さんを呼んであるの。ちひろの晴れ姿を見せたいと思って、声をかけたら、喜んでたわ。ついでに孝も呼んだけどね。』
そう言うと、彩先生は部屋を出て行った。きっと、孝と電話でもするんだろう。
『本当に。ママ、私、着物乱れてない?』
『何、ウキウキモードになってるのよ。恋人の登場が、そんなに嬉しいの?』
『違うってば。』
俺は否定したが、この姿を洋介さんに見てもらえると思い、嬉しくなったのは事実だ。
『そしたら、ちひろちゃん、挨拶の練習でもしましょうか。』
『挨拶?』
『そう、挨拶。和服を着ているのだから、正座して、三つ指ついて挨拶してごらんなさい。おしとやかにね。』
『今やるの?』
『もちろんよ。さあ、ママの前で挨拶してごらんなさい。』
俺は正座して、手を床につけて、頭を前に倒した。
『何それ。ロボットみたい。全然ダメね。やり直し。背筋を伸ばして、両手は合わせて、膝の前につくの。そして、ゆっくりと頭を深々と下げるの。分かった?』
『はい、ママ。』
俺は言われた通りに、試してみた。
『上手よ。そしたら、今度は座り方を覚えてね。着物の裾が乱れないように注意するの。そして、座布団には座らないで、座布団の横に正座しなさい。座布団に座るときは、勧められたときだけよ。そのときは、歩くのではなく、膝で移動して、座布団の中央に座りなさい。それと正座しているときは、常に両手を腿の上に合わせて置いておくこと。それと、相手の目をちゃんと見るのよ。』
『難しいわ。出来るかしら。』
俺はとりあえず、やってみた。
『そう、それでいいわ。そしたら、ご挨拶してみなさい。』
『こんにちは。』
『ちひろちゃん、バカじゃないの?もう少し考えて、挨拶しなさいよ。私を洋介さんだと思って。』
なんか、スパルタな教え方だなあ。かすみの新たな一面を見たような気がする。
『洋介さん、本日はお越し頂きまして、ありがとうございます。』
『まあ、そんな感じでいいでしょう。でも、洋介さんではなくて、洋介様の方がいい。それと笑顔を忘れないように。さあ、もう一回やってみて。』
『洋介様、本日はお越し頂きまして、ありがとうございます。』
『それと、自分の気持ちも伝えなさい。』
『洋介様、本日はお越し頂き巻いて、ありがとうございます。ちひろは、とても嬉しゅうございます。』
『オッケー、これで洋介さんは、イチコロよ。』
『ちひろ、嬉しいんだあ。』
『彩姉ちゃん、見てたの?』
『ずっと、見てたわ。ちひろ、可愛いぞ。恋する乙女って感じのオーラが出まくってるよ。』
『そんなあ。』
『今、孝からメールが来て、もう直ぐ着くそうよ。それと、今日のちひろは、ノーパン、ノーブラよって伝えておいたから。男ども浮かれて来るぞ〜。』
『彩姉ちゃん、何言ってるのよ。』
『だって、本当じゃない。着物なんだから。でも、男たちには、着物は秘密にしてるから、変な期待を持ってるかも。ああ、男って、おバカだわ。ちひろはすっかり女の子だから、男の気持ち、分からないでしょ?』
『もう、やめてよ。彩姉ちゃん。私は本当は男なんだから、男の気持ちは分かるわ。』
『嘘言いなさい。彼氏が来るのを、ワクワクしながら待っているんだから、気持ちは女の子でしょ!』
『そんなことないから。彼氏じゃないし、お友達なの。』
『まあ、可愛いんだから。初心なちひろね。まだ、バージンなんだから仕方ないか。』
『もう、彩姉ちゃんのいじわる。』
俺は顔を赤くした。




