二人のちひろ①
大宮のマンションに戻り、ベビーの姿になった。
『レイがやる。』
レイちゃんが、俺にいちごを食べさせてくれた。
『ちひろちゃん、いちご美味しいでしょ。今度は、ちひろちゃんも一緒に、いちご狩りに行こうね。』
『バブバブ。』
『ママあ。ママは、赤ちゃんのちひろちゃんと、保育園のちひろちゃんと、大人のちひろちゃんと、どれが好き?』
『そうねぇ、全部、好きよ。』
『レイも、全部好き。だって、可愛いんだもん。』
『さあ、今日は疲れだでしょ。早寝しましょうか?』
『はーい、ママ。』
『バブバブ。』
俺は夢を見た。洋介さんとかすみが立っている。俺が愛しているのは誰なのか。どちらかを選ばなければならない。頭が混乱する。レイちゃんがやってきた。
『悩むのはおかしいよ。悩むようでは、本当の愛じゃないよ。ダメな妹ね。さよなら。』
レイちゃんが離れていく。
『ヒロ君、どうして悩むの?がっかりだわ。ここから出て行って。』
かすみが泣いている。
『ちひろさん、僕は妻が忘れられない。今までありがとう。』
2人とも、どこかに行ってしまった。
『ちひろ、あなた神として失格ね。人間としてもダメ。失望したわ。破門よ。』
彩先生まで、いなくなってしまった。俺は、孤独に戻った。生まれた時と同じだ。仲間が消えた。生きていく使命が無くなった。
目が覚めた。なんて、夢なんだ。こんなんじゃダメだ。弱い心では、ルシファに勝てない。修行が足りないのか。そうだはない。日々が修行だ。夢のようになりたくなければ、何事にも動じない、強い心を持たなければならない。ヒロとしても、ちひろとしてもだ。男とか女とか関係ない。人として、揺るぎない心でいないといけない。
『ああ、やっぱり、おねしょしている。』
頭の中で、かっこいいこと言っていたのに、現実はおねしょだ。
『いちご食べ過ぎたのが原因ね。赤ちゃんだから、しょうがないけどね。』
レイちゃんがお尻を綺麗にしてくれた。
『はい、ちひろちゃん、起っきして、変身するのよ。保育園に行くわよ。』
そうだ、今日は月曜日、登園する日だ。俺は、3歳女児に変身した。
『レイ姉ちゃん、おはよう。』
『ちひろちゃん、一人でお着替えできる?』
『うん。大丈夫。』
保育園の運動会まで、あと一週間。今日から、本格的なお遊戯の練習が始まるみたいだ。
『あのね、ちひろちゃん。運動会に、智仁君が見にきてくれるんだって。』
それは、まずい状況になるぞ。もし、智仁だけでなく、洋介が来たら、どうしよう。俺は、運動会に出ないといけないし、、。2人の「ちひろ」をどうするか。対策を考えなければ。
その日の夜、Mr.Tからメールが届いた。
『かすみさんについての、その後の調査の結果をお知らせ致します。
AGUに所属したのは、最近のことだったようです。1年半ほど前に所属して、ついこの前、引退したので、短い期間の所属だったようです。そして、彼女について、記録が残っていないのには理由がありました。この情報を聞き出すのには、結構苦労したんですよ。
彼女には過去の記憶がなかったのです。だから、語りたくても語れなかったというのが真相です。ご存知の通り、レイちゃんという娘さんがおり、当然ながら既婚者なのですが、配偶者、つまり旦那さんが誰なのかも分からないのです。
AGUは、その仕事ゆえに、身分の分からないものを採用することは、まず無いのですが、幹部がかすみさんの能力を高く評価し、異例の採用になったらしいです。指先に気を集めて、一瞬で敵を抹殺する、こんなこと出来るのは、かすみさんとひろさんだけですからね。
また、新しい情報が入りましたら、ご報告致します。』
そういうことだったのか。知り合ってすぐに、かすみの心を読もうと試みたことがあったが、うまく出来なかったことがある。読めなかったのではない。記憶が無かったから、読むべきものが無かったのだ。しかし、まさか、記憶喪失とは。かすみが過去のことを話さない理由がはっきりした。
ならば、レイちゃんに過去の記憶があるかもしれない。しかし、1歳、2歳の頃の記憶があるとは思えない。それに、いくら天才だからといって、小さな子供に、母親の記憶喪失のこと、さらには父親のことを聞くのは気がひける。やはり、様子を見守るしか方法がなさそうだ。