前進③
『ちひろさん、専用のお部屋を用意しております。こちらへどうぞ。』
亜美が案内してくれた。
『このお部屋は、ちひろさんのお部屋です。自由にお使いになって頂いて構いません。 はい、鍵です。』
部屋の鍵を渡された。完全にVIP対応になっている。
『合鍵は私と、あと社内に一つあります。プライベートの空間だと思って構わないですよ。そうだ、私、飲み物を持ってきます。』
亜美は元気がいい。行動力もあり、見ていて気持ちいい。
少し疲れたので、休憩はありがたい。俺は目をつぶった。そして、さっき、自分で言った言葉を思い出した。
『生まれた時、どんな赤ちゃんも心は汚れてない。』
この言葉、間違ってはいない。そして、この言葉を今の自分に当てはめた。俺は夜、眠る前に赤ちゃんになる。いわば、赤ちゃんになることで、心のリセットをしているとも言える。毎夜毎夜、汚れた心を浄化しているのだ。そんな風に考えると、今の生活は理想に近いと思えてくる。前にレイちゃんに言われた。
『ちひろちゃんの本体は赤ちゃんね。』
それでいい。最も汚れなき心が本体であるべきだ。
『お待たせ〜。ペットボトルだけど、好きなのを選んで下さい。次回からは、冷蔵庫に入れておきますね。』
『亜美、ありがとう。亜美って、本当に気が効くのね。感心しちゃうわ。』
『ほら、人にはそれぞれ得意分野があるでしょ。ちひろさんは、美しさ。だったら、私は、ちょこまか動くこと。それしか、取り柄がないの。』
亜美はいつも笑顔だ。
『亜美って、面白い。』
俺は、大声で笑った。
『そうだ、ちひろさん。新しいスーツが用意してあるの。着替えて見ませんか。男どもをビックリさせちゃいましょう。部長がノックダウンするところを二人で見ましょ!』
『私のために、用意してあるのですか?』
『クローゼットの中に、洋服がびっしり入ってるわよ。全て、ちひろさんのために用意されたもの。もちろん、新品よ。ちひろさんは特別。だから、もし気に入らないのがあったら、「こんなもの着れるかあ!」って、スタイリストに投げてもいいそうよ。』
『やだあ。そんなこと出来ないわ。でも、せっかくだから、着替えようかしら。』
『そうこなくっちゃ。私、手伝います。私、マネージャーだけではなく、付人だから、何でもしないといけないの。でも、ちひろさんなら、全く苦にならない。不思議だわあ。』
ニコニコ、そして、ペチャクチャしながら、亜美はスーツを用意した。黒のスーツ。タイトなスカートに白のブラウス。黒の短めなジャケットには、金色のボタンがあしらわれている。亜美は手慣れた手つきで、俺の着替えを手伝った。
『素敵だわあ。そうだ、前髪をまとめたら、どうかしら。ちょっと失礼します。』
亜美は、俺の前髪を後ろ持っていきゴムでまとめた。
『最後に、アイラインをもう少し強調させてと、、、よし、これで完璧だわ。』
亜美は俺を姿見のところに立たせた。鏡の中の俺は、凛とした雰囲気だ。決してミスなどしないキャリアウーマンといった感じだ。
『何だか私じゃないみたいだわ。』
『ちひろさん、女優さんになったつもりで演じていいのよ。男どもを上から目線でねじ伏せて。Mにはたまらないはずよ。』
なるほど、女王様を演じろということね。竹田が喜びそうだ。
『亜美、行くわよ。もたもたしないで!』
『はい、ちひろ様。』
『あははは、こんな感じで本当にいいのかしら。』
『いいの、いいの。私のちひろ様は完璧なんだから。全員、ひざまつかせましょう。』
亜美はケタケタ笑っている。何だか可笑しくて、可笑しくて、笑いが止まらない。笑いで苦しくなってきた。




