ちひろが危ない①
亜美が駆け寄ってきた。
『ちひろさーん。こっちこっち。』
ぴょこぴょこと走ってきて、可愛い。
『亜美、私、戸惑ってるの。』
『大丈夫。すぐに慣れますよ。でも、悪い大人には気をつけてね。』
『悪い大人?』
亜美は、俺の耳元で告げた。
『これから会う人は、評判良くないのよ。気をつけて。私も注意するけど、とにかく気をつけてね。』
なんだかよく分からないけど、注意は怠らないようにしよう。
『はい。気をつけます。』
周りの目が、全部、俺を見ている。俺が歩くだけで、ざわつく。
『ちひろさん、部長が待ったます。行きましょう。』
俺は、亜美の後ろを歩いた。前回と同じ部屋に案内された。応接室である。前回と違うのは、違う人が待っていたということである。この人に注意しろということだと理解した。部屋に入った瞬間から、俺のことをジロジロと見ている。いやらしい目だ。
『こんばんは。ちひろです。』
『おお、待ってましたよ、ちひろさん。』
部長は、相変わらずご機嫌だ。いやらしい目の男が近づいてきた。
『初めまして。竹田と申します。』
竹田と名乗った男が名刺を差し出してきた。俺は、それを受け取り、肩書きを確認した。「竹田電機 社長室室長 竹田武」竹田電機。大手家電メーカーである。社名と同じ苗字だから、創業者の親戚かなんかだろう。その竹田が何しに来たのだ。とりあえず、笑顔で接してやろう。
『初めまして。ちひろと申します。竹田電機って、あの竹田電機ですか?』
『ちひろさん、そうですよ。この方は竹田電機の社長の御子息です。いずれは、後を継ぐことになるエリートですよ。ね、竹田さん。』
『エリートだなんて、そんなことないですよ。しかし、本当に美しいですね。』
『まあ、お上手なんだから。』
『どうぞ、お掛けください。ちひろさんも座って。』
この前と同じだ。亜美だけは、座らずに、俺の後ろで立っている。俺はソファーに軽く腰掛けた。両ひざを揃えているが、気をぬくと、脚が開きそうだ。竹田の視線は俺の脚に釘付けである。
『ちひろさん、我が社のCMに出演してもらえないだろうか。演技とか、台詞とかは、一切なし。あなたの存在そのものが、我が社のイメージにぴったりだと考えました。イメージキャラクターと思っていただけると分かりやすいかな。』
CMかあ。部長が興奮するのも、よく分かる。破格なギャラを提示しているのだろう。
『ちひろさん、これは、とてもいい話なんですよ。どうだろう、引受けてみないか。もちろん、君の意思を最優先しますが。』
部長は、この仕事を取りたいようだ。
『前向きに、考えます。もっと詳しく、お話を伺いたいです。』
竹田の顔色が変わった。俺は、右手を出して、握手を求めた。竹田は両手で俺の手を握った。馬鹿な男だ。手を触れた瞬間、奴の考えが全て分かった。この男、自分の立場を利用し、若い女性を弄ぶゲス野郎だ。スポンサーには逆らえないとタカをくくっている。これまで何人もの女性が、その毒牙にかかったようだ。お仕置きが必要だな。
『ちひろさん、詳しい話は食事でも取りながらしませんか。』
『お腹も空いてきたから、ぜひ、お願いします。部長と、亜美も一緒で宜しいですか?』
『ああ、もちろん構わないよ。』
ほお、2人っきりになりたいのかと思ったが、そうではないようだ。何か企んでるな。スケべな男だ、必ず、触りにくるはす。その時に、もう一度心を読んでやる。
『赤坂の会員制のレストランを予約してある。そこなら、静かに話しが出来る。いいかな。』
『はい、ありがとうございます。』
俺と竹田は、竹田の運転手付きの車に乗り、部長と亜美はタクシーに乗った。
『木下、いつものところに。』
俺はすぐに気がついた。車は赤坂に向かっていない。青山方面に向かっている。
『ちひろさん、僕に全てを任せてみないかい。僕なら、君をトップスターにすることも出来るぞ。それだけの知力と人脈、財力、そして行動力が備わっているからね。』
『竹田さんは、すごい人なんですね。』
『僕の言うことを聞いていれば、間違いなく、成功する。逆のことを言えば、逆らうと成功は無理ということになる。言っていること、分かるかな。』
竹田が俺の手を握ってきた。
『竹田さん、やめて下さい。』
俺は嫌がるふりをした。
『君は可愛いなあ。よしよし、とにかく、僕のものになりなさい。悪いようにはしないから。』
今度は、脚を摩ってきた。
『やめて下さい。』
俺は可愛く抵抗した。
『まあ、いい。お楽しみは取っておこう。まずは、食事をしよう。僕は紳士だ。約束は守らないとね。』
どこが紳士だ。
『あのー、部長たちは?』
『急用ができたらしい。困った人たちだね。仕方ない、今夜は2人で乾杯しよう。』
さて、どうするか。逃げるのは簡単。ボコボコにするのも簡単。だが、それではつまらない。何かいい方法を考えよう。
『私、お酒飲めないの。』
『僕がお酒の飲み方を教えてあげるよ。心配しなくて大丈夫。僕の言うことを、ちゃんと聞いていれば大丈夫。』
『やっぱり、私、帰ります。降ろして下さい。』
『それはダメですよ、ちひろさん。これはビジネスです。約束は守らないと。今夜は帰しませんよ。その代わり、君をスターにしてあげますから。』
『イヤ、帰して。』
『悪い子だ。お仕置きが必要だね。』
竹田は、ハンカチを俺の口に当てた。クロロホルムだ。俺の意識が失われていった。




