誕生日②
我が家の女性3人によって、俺の支度が行われている。着替え、髪のセット、メイク、アクセサリー、ネイル、、、念入りに準備してもらった。
『さあ、準備オッケーよ。行ってらっしゃい。』
かすみがニコニコして送り出そうとした。
『待って、待って。』
彩先生が走ってきた。
シュッ!香水を耳元に噴霧した。完璧なちひろの完成だ。
『ちひろちゃん、きれい。私も早く大人になりたいなあ。』
『レイ姉ちゃん、慌てないて。一緒に保育園、小学校と楽しもう。』
『そうだ。ちひろちゃんは、妹だもん。一人じゃ、保育園に行けないよね。』
『では、皆さん。行ってきます。』
俺は瞬間移動した。
俺は、待ち合わせ場所の5分前、板橋駅構内に降りた。改札口に向かって歩いていくと、すでに洋介さんは、待っていた。濃いめの紺色のスーツに白のワイシャツ。ペイズリー柄の淡い緑のネクタイ。きちんと磨かれた革靴。俺から見ても完璧な着こなしに見える。そして、今の俺の姿、ちひろから見ると、洋介さんはかっこよく見える。ハイヒールが床を叩く音が響く。洋介さんが俺に気づいた。ニコッと笑った顔が爽やかだ。俺は小走りで近寄った。
『こんばんは。お待たせして、ごめんなさい。』
この距離を小走りしたくらい、何でもないことなのに、緊張しているのが原因なのか、息が切れてしまった。そんな姿が可愛く見えたようだ。
『待ってないですよ。僕も今、来たところですから。それより、走ったみたいだけど大丈夫。』
『大丈夫。』
『ちひろさん、とてもきれいです。誕生日、おめでとう。今日は20歳の誕生日に一緒に過ごせること、光栄に思ってます。』
『洋介さん、ありがとう。』
俺は、洋介さんの腕にしがみついた。
『それで、今日はどこに連れて行って下さるの。』
『それは、秘密にしておこう。じゃあ、行こうか。』
洋介さんは、俺の手を取り、改札口を出た。駅前のロータリーでタクシーに乗り、行き先を告げた。
『神楽坂まで。』
神楽坂か。ほとんど行ったことのない場所だ。だいたい、俺は新宿しか知らない。新宿なら、詳しい。美味い店、まずい店。高い店、安い店。賑やかな店、静かな店。全て、頭に入っている。しかし、神楽坂の情報はゼロである。タクシーの中でも、洋介さんは、俺の手を握ったままである。寒くない、とか、疲れてない、とか、色々と気を使ってくれる。手を握られていることで、俺は洋介さんの気持ちが読めてしまう。彼の心はきれいだ。本当に寒くないか、疲れたないかと心配してくれているのが分かる。そして、俺のことをもっと知りたいと思っているようだ。
土曜日の夕方だ。道路はけっこう混んでいた。40分ほどで、神楽坂の目的地に着いた。大通りから、一本裏に入った路地にある。小さな戸建のようなレストラン。フレンチの店のようだ。
『予約している榊原です。』
『お待ちしておりました。お席にご案内致します。』
店はこじんまりしている。テーブルが4つしかない。1日4組限定なのか。案内されたのは、テーブル席ではなかった。廊下を抜けた先に離れがあり、その離れの一室に案内された。個室である。窓からは庭園が見える。部屋には掛け軸や、花がいけてあり、フレンチというより和食の店のように見える。だが、それがとても落ち着いた雰囲気を醸し出している。テーブルに着くと、係の者がやってきた。
『特別コースで承っております。お飲物は、いかがなされますか。』
ドリンクのメニューを見せられた。値段が書いてない。そういうことか。高級店ではよくあることだ。男性側のメニューには、金額が載っているが、女性側には載せていない。女性にお金の心配をさせないという配慮である。しかし、女性の立場になって初めて分かった。逆に気を使ってしまう。俺は洋介さんの対応を見ようと思い、あえて知らないふりをして、告げてみた。
『あの、洋介さん。このメニュー、値段が書いてないけど、無料なの?』
『あはは。無料ではないですよ。ほら、こっちのメニューを見てごらん。金額が書いてあるでしょ。美しい女性にはお金のことを考えさせないのさ。値段を考えてたら、美味しいものも美味しく感じなくなるでしょ。ちひろさん、気になさらなくて平気ですよ。好きなものを注文して構わないですから。』
『私、お酒のこと、よく分からないから、何を注文していいかも分からないの。』
もちろん、本当はお酒には詳しい。だが、ここでバーボンとか焼酎とか頼むわけにはいかない。
『あっ、僕としたことが、迂闊だった。ちひろさん、お酒が飲めるのは今日からだよね。そしたら、僕に任せてもらえるかな。』
『はい。お願いします。』
バカップルな二人の会話を係の人は、嫌な顔をせずに聞いていた。
『シャンパンをグラスで二つ下さい。』
『はい。すぐにお持ち致します。』
係の人は笑顔で去って行った。
『さっきの人、笑ってたね。』
『笑ってた。そして、ちひろさんのことを、ちらちら見ていたよ。その気持ち分かるなあ。ちひろさん、本当に美しいから。』
俺は顔を赤らめた。
『あの、洋介さん。ちひろさんではなくて、ちひろでいいですよ。』
『なんか照れくさいなあ。そしたら、間をとって、「ちひろん」って呼んじゃおうかなあ。』
『うふふ。いいわ。ちひろんって呼んでね。そしたら、私は洋ちゃんって呼ぶね。洋ちゃん!』
『オッケー、ちひろん!』
再びのバカップルの会話の中に、係の者は声をかけられずにいた。




