かすみの過去①
彩先生のマンションは最上階である。部屋に入ると、数人の男たちがパーティの準備をしていた。ホームパーティの域を越している。プロのシェフを雇っているのだ。彩先生らしい。
俺は、時を見計らい、3歳から19歳に変身するつもりでいる。
『ちひろちゃん、彼氏君、もうすぐ来るって。ちひろちゃんのハートを射止めた彼氏君、どんな感じの人なのか楽しみだわあ。』
『ママ、恥ずかしいよ。』
『この前も言ったでしょ。母として、娘の彼氏はチェックしないとね。』
『もう、意地悪なんだから。』
ピンポーン!
インターホンが鳴った。来たか。
ここは彩先生の家、当然ながら彩先生が出迎えるかと思ったが、彩先生は、目で孝に訴えた。それを見て、玄関に走って行ったのは、孝であった。もう、完全に召使いになっている。
『こんばんは。遅くなってすみません。』
部屋に入るなり、キョロキョロしている。ああ、俺を、19歳のちひろを探しているのだろう。
レイちゃんが、かすみのところに駆け寄った。
『ママ、来たわよ。ちひろちゃんの彼氏さん。一緒に挨拶しに行こう。』
レイちゃんは楽しそうだ。かすみも興味津々。二人で、洋介さんの正面に立った。すると、洋介さんの顔色が変わった。
『貴女は、、、。』
かすみの様子がおかしい。顔が青ざめている。
『あああああ、、、』
頭を抱えて、その場に倒れこんだ。どうしたんだ。何が起きたのだ。俺は、かすみに近づき、かすみの体に触れた。心臓の鼓動が早い。心を読み取ろうと思ったが、上手くいない。俺では、かすみの心に手が届かない。ブロックされている。彩先生に頼むしかない。俺は彩先生を見た。彩先生が走り寄って、かすみを抱きしめた。
『ちひろ、分かったわ。』
俺は、彩先生からテレパシーで、今の状況を聞いた。
かすみの失われた記憶が蘇ろうとしているらしい。心の中で葛藤しているようだ。
『洋介、どうしたんだ。』
孝が、問いただした。
『か、かすみさんのことを俺は知っている。俺の亡くなった妻、泉美の姉だ。』
かすみの記憶喪失の原因は、実の妹の殺人事件だったのか。
『おい、洋介、それ本当なのか。』
『ああ、間違いない。泉美の姉、つまり義理の姉だ。泉美が殺されたとき、彼女はショックで入院した。ところが、ある日、姿を消してしまった。そして、その後、行方が分からなくなってしまったのだ。俺は、妻と義理の姉を同時に失くしたのだ。』
みんな、黙ってしまった。弁護士の由規が話しかけた。
『ああ、僕もそのことは覚えている。あのとき、泉美さんの姉さんは出産したばかりと聞いていたが、それがレイちゃんだったのか。』
かすみ、お前の過去に何があったのか。そして、何を記憶から消し去ったのか。俺は涙を流した。
俺は、洋介の心を読み取った。彼は嘘をついてはいない。問いただしたいことがあったが、准教授が代わりに質問してくれた。やはり、頭が切れるようだ。
『洋介、お前は、レイちゃんとも会ったことはあるのか?』
『いいや、その頃は住んでいるところが遠くて、会ってはいない。僕は、その頃から板橋にいたが、姉は、奈良の方に住んでいると記憶している。実際、姉と会ったのは僕らの結婚式とその前後に数回だけだ。妻にも似ていたし、それに見ての通り、あの容姿だ。忘れるわけがない。』
『なるほど。一応、辻褄は合っている。それなら、もう一つ。レイちゃんが生まれていたということは、かすみさんに、配偶者がいたということだが、お前は、そのことを当然、知っているよな。』
『ああ、それも覚えている。というより、忘れられない。姉の夫も殺されたんだよ。泉美が殺されて、すぐに奈良の山奥で死体で発見されている。その事件も未だ解決していないらしい。だから、姉が記憶喪失になるのも分かる。』
『だけど、なぜ今日まで、かすみさんのことが姉だと分からなかったんだ?』
『それは簡単なことだよ。苗字が違っている。俺の苗字は、榊原。妻の旧姓は小林。かすみさんの旧姓も当然ながら小林。結婚して秦になっていたはず。だけだ、今は大沢香澄と聞いていた。分かるわけないだろう。今の今まで、分からなかったよ。』
まて、かすみの旧姓が『秦』だと?そして、住んでいた場所が奈良だったとは。何かある。調べる必要がありそうだ。
『孝、かすみさんを自宅に運んでもらえる。自宅はこの棟の7階よ。』
『はい、彩様。』
『レイちゃんとちひろちゃんも、お家に帰ってお休みしなさい。今日は、よく頑張ったわね。ゆっくり休みなさい。』
俺と、レイちゃん、かすみと孝、そして彩先生が、かすみの部屋に入った。かすみはベッドに寝かされた。
『孝、先に私のマンションに戻って。私もこの子たちを寝かしつけたらすぐに行くから。』
『はい、分かりました。彩様。』
孝は出て行った。
『ちひろ、ヒロに戻って。かすみさん様子が変よ。』
俺はすぐにヒロに戻った。ああ、久しぶりの本体だ。俺は、かすみの体に触れる。鼓動がさらに速くなり、呼吸も乱れている。これは、まずい。緊急事態だ。あれを使うしかない。聖杯だ。俺は自分の部屋から、古びた箱を持ってきた。中を開け、グラスを取り出した。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、グラスに注いだ。
『待ってろ、かすみ。』
俺はグラスをかすみの口に当てた。苦しいだろうが、飲んでくれ。頼む。口から水が溢れる。上手くいかない。
『ごめん、かすみ。』
俺は、かすみの口を無理やり開けた。そして、強引にグラスの水を飲ませた。水が、喉に入って行くのが確認できた。これで大丈夫だろう。
『キリストさん、頼む。かすみを助けてくれ。』
やがて、呼吸が落ち着いてきた。顔色も血色が良くなってきた。成功だ。
『良かったわ。大丈夫そうね。ちひろ、あなた、記憶の操作が出来たわね。だったら、かすみさんの記憶を蘇らせることも出来るんじゃないの。』
『しかし、それはやったことないです。あるものを消すことは出来ますが、無いものを復活させるのは難しいと思うのですが。』
『相変わらず、ボンクラな頭脳をしているわね。がっかりだわ。記憶は消えていないのよ。呼び出せないだけよ。』
『なるほど、それなら出来るかもしれません。おそらく、かすみの体の中でも、記憶を蘇らせようと闘ってると思うので、それを助けてあげれば、いけると思います。』
『そしたら、すぐに試して。』
これは、ミスが許さない。集中しないといけない。俺は気を集め始めた。
『彩先生、レイちゃん、気を分けてください。』
『いいわよ。いくらでも使って。』
『ぼんちゃん、私のもいいよ。』
2人の体からオーラが光り出した。
『ヒロ殿、水臭いではないか。わしらの気もお使いくだされ。』
巨大な人影が三体現れた。
『伐折羅大将、阿修羅大王、そして、千手観音様、ありがとうございます。』
今、この部屋に充満している『気』は、恐るべき量に達している。常人では、耐えられないであろう。
俺は集められた気をかすみに送った。




