友人の申し出
――――――どうしよう。ドキドキしてきた!
公園まであと数メートル。入り口まで行けば公園内が見渡せる。
――――――二人共来てるかな?最近の子って揚げたパンの耳とか食べるのかな?
美鶴か葵のどちらかが朝番の際は、必ず店主が二人分の昼食を持たせてくれる。サンドウィッチや焼きそばパン、コロッケパン…。二人が飽きないように毎度メニューまで変えて持たせてくれるのが有り難い。今日はパンの耳を揚げて砂糖を塗した懐かしいおやつまで持たせてくれた。手土産ができたことで美鶴は公園に向かうことを決めたのだ。
一度立ち止まって深呼吸をする。公園の前まで進んで一昨日彼らが座っていたベンチに視線を向けると、恭一が一人で本を読んでいる姿が見えた。
――――――え?一人?!
決心が揺らぐ。
――――――啓太君が来るまでどこかで時間潰すべきかな?邪魔しちゃ悪いし…。
元来た道を戻ろうとすると、不意に腕を掴まれた。
「美鶴ちゃん??」
「わっ…!!」驚いて声を上げてから慌てて口を塞ぐ。幸い誰もこちらを見てはいない。
「ごめん。吃驚させちゃって。姿が見えたから…」
ほんの一瞬前までベンチに座っていた筈の恭一が美鶴の傍に立っていた。
ドキドキして視線が泳ぐ。
「啓太君にね、お土産渡そうと思って来たんですけど、まだいないみたいだったし、読書の邪魔しちゃ悪いかなって思って…」
「啓太ならもう少しで来ると思うよ?本はもう読み終わったから。」恭一はそういって公園の中に美鶴を招こうとするも、急に足を止めた。
「もしかして怖い?」
「はい??」
美鶴の緊張は違ったかたちで恭一に伝わってしまったらしい。
「いやね、昨日啓太も心配していたんだ。美鶴ちゃんは怖がってもう来ないかもって。」
恭一は意図してだいぶ丁寧なセリフに言い換えた。
「そんな…違います!ちっとも怖くなんかない。」
――――――これじゃ、ダメだ。確かめる前に恭一さんを不安にさせちゃう。どうすれば怖がってないって証明できるんだろう?
「だって私、もっと二人と仲良くなりたくて…せっかく出会えたんだし…もっと色んな話聞きたくて…!私も仲間に入れて欲しい…です。」声がだんだん小さくなる。
「本当に?良かったぁ。」恭一は胸を撫で下ろすと安堵の表情を浮かべた。
二人きりで何を話せばいいんだろう?という美鶴の心配を余所に、恭一はこれまでのことを色々と話してくれた。彼には特に未練という未練もない。おそらく病死して気が付いたらこの公園にいた。それから暫くして啓太と出会ったのが今年の2月。それまでどのくらいそこに居たのかも、日付の確認をしていなかった為はっきりしないらしい。
「それにね、多分啓太にとって私との出会いはあまり良い思い出ではないと思うんだ。」
美鶴の場合、恭一と出会った際啓太が既に一緒にいた。啓太が一緒に説明してくれたからこそ、恭一が生きていないという事実を受け入れられたともいえる。
――――――啓太君は一体どうやって彼が生きた人ではないと認識したのだろう?
「こんな話したら、啓太に怒られちゃうかも知れないけど聞いてくれる?」
「…はい。その時は私も一緒に怒られますから。」
恭一は困ったように笑うと話を続けた。
美鶴にとってその話は驚くべきものだった。また、そこに繋がる啓太の身の上話が酷い。彼は恭一を信頼しているからこそそんな話をしたに違いないし、知り合って間もない自分に何故こんな話をしたのか、イマイチ恭一の意図も掴めない。ただただ、自分が勝手に気が強そうだと感じていた啓太を思うと視界が滲んだ。
「まだ、小さいのに…」
恭一は身体を美鶴の方に向けると、美鶴の頭の上に手を乗せた。とたんに同情やら悲しみといった感情が消えて行く。ぽかんとしていると、微笑みながら頭を撫でる恭一と目が合って顔が熱くなった。
「何故そんな話をしたかというとね、君に啓太の友達になって欲しくて。君が一緒に居てくれれば啓太は様々なことに対して警戒しなくて済む気がしたんだ。」
「…警戒。」
「そう、人の目とか。彼はいつも何かに警戒して生きているように見える。そういったある種の防御が同級生たちから見て違和感になっているとも言える。」
――――――確かに。
「でも、恭一さんはともかく、普通の女子大生の私なんかと友達になりたいかな?」
「なりたいさ。見ていればわかる。」恭一は淡々と言い切った。
「わかりました!私、できるだけここに来るようにしますね!」
――――――ここへ来れば恭一さんにも会えるし。いやいや、今はそれどころじゃない。
「嬉しいなぁ。啓太のお陰で私も美鶴ちゃんに会える。」
美鶴は自分の本心を見透かされたのではないかと慌てて話題を変えた。
「ところで恭一さん、さっきから気になってたんですけど、それどうしたんですか?」
恭一の傍に置いてある本を指さして尋ねた。
「ん?図書館から借りてきた。啓太を待っている間暇だからね。いつも借りに行くんだ。」
恭一は実際の本を持ち運ぶことはできない。だから本そのものは図書館を離れないが、内容だけ持ち運び、少しずつ認識していくことで本を読み進めるようなことができるという。
「そうなんですか。私も図書館よく行くんです。でもそれなら本屋さんでもいいんじゃないですか?種類も多いし。」
――――――新作も無料で読み放題なら私は絶対そうする!
「いや、さすがに売り物はマズイだろう?」
「ぷっ…!あははは!真面目ー!でもなんか恭一さんらしいかも!」
自分のセコい考えに呆れつつも、死してなお道徳心を失わない恭一の考えがいかにも日本男子といった印象で可笑しい。
「そうかい?はははは。」
何故か恭一も一緒になって笑った。
恭一は公園の入り口に視線を移すとそのままぽつりと呟いた。
「今日はお婆さんも一緒だね。」
美鶴も入り口の方を向くと、啓太と一緒に老婦人がこちらを見ていた。恭一が手を振るのを見て、美鶴も同様に手を振る。老婦人が会釈し、啓太と二言三言話して一緒に歩いて来る。ランドセルを背負ったまま買い物袋を持つ啓太を見る限り、たった今そこで遭遇したといった雰囲気だ。
「こんにちは!」美鶴はぺこりと頭を下げた。
「よう!来てたのか!」
「こんにちは。」
きちんとお化粧をした品のある老婦人は頭を下げつつ、啓太の頭にも手を置いた。
「あの、私…!」
美鶴が自己紹介をしようとすると、啓太が被せるように美鶴の紹介を始めた。
「一昨日話した美鶴。東京に慣れてないからこの辺のこと色々教えてやってんだ。そんで…」
啓太の話が続く中、恭一が美鶴の肩に手を置いて耳元で囁いた。
「私はこれを図書館に返しに行くからって啓太にも伝えておいて。」
耳で吐息の温度を感じる。心臓が飛び出そうになり、美鶴は思わず歩き出した恭一の方を向いてしまった。
「…美鶴さん?」
怪訝そうに美鶴を窺う老婦人に構わず、慌てて啓太に問う。
「啓太君!今日って何日?!」
ハッとして啓太は美鶴を見ると少し大きな声で言った。
「お前そんなことも知らねぇのかよ。5月15日!」
恭一は立ち止まると、振り向かず本を持った手を振るような動作をして再び歩き出した。
啓太は口角を横に引いて満足そうに笑った。
居間にある柱時計が16時半の音を響かせる。
「そ!本庄節恵(ほんじょうせつえ)。だから私のことはせっちゃんって呼んで頂戴ね。
啓太の家は公園から7、8分といった所にある。転校して来てからはこの老婦人―――――啓太にとっては曾祖母にあたるその人と二人で暮らしているらしい。家はこぢんまりとした日本家屋で、庭も室内も掃除が行き届いていた。
「ばあちゃん。本庄さんでもいいじゃんかー。」
頬杖をつきながら啓太は呆れた顔でせんべいに手を伸ばす。
「あら。だって女の子同士なんだし。もう、啓ちゃん。お行儀悪いですよ!」
この人も第一印象と随分違う。品の良さそうな老婦人かと思いきや、打ち解けてみればおどけた面白おばあちゃんだ。
「ばあちゃんは“子”じゃねーだろ。」
二人のやりとりが可笑しくて美鶴はクスクスと笑った。
――――――良かった。啓太君にもこんなご家族がいて。
「そうだ、これ!バイト先で貰ったの。良かったら…。」
バッグからリボン付きのシールの貼られた紙袋を取り出して啓太に渡した。
「なになに?開けていいの?」興奮気味に啓太が尋ねる。
「もちろん!好きかどうかわからないけど。」
慎重にシールを剥がして中身を見た啓太の動きがピタリと止まる。
――――――ああ、やっぱり。
「ごめん、それ余ったところ切り落として揚げただけだか…」
「すげーーーっ!美味そう!ばあちゃん、ほら!」
美鶴の言い訳を遮るように、啓太はぴょんと立ち上がると節恵の傍まで行って紙袋の中身を見せている。節恵もニコニコしながら小さくパチパチと手を叩く。
「美鶴さん、ありがとう。啓ちゃん、よかったねぇ!」
「サンキュー美鶴!」啓太は両手で紙袋を抱きしめるように抱えていた。
想定したリアクションとは逆に、そのくらいのことで喜ぶ啓太の姿に、先ほど恭一から聞いた話が重なって胸が締め付けられそうになった。
「お茶のおかわり、入れてくるわね。」
節恵はお盆に急須を乗せて立ち上がると廊下へと出て行った。
「ねー、さっそく一個食べてみていい?」
回答を待たずに啓太は紙袋に手を突っ込み、一本取り出すと先の方を少しかじってみた。
「んーーー!これは!せんべいを遥かに超え…」
「啓ちゃん!あの、私と…友達になってください!」
今度は美鶴が啓太のコメントを遮るように言った。
「へ?」啓太からはおかしな声が漏れる。
――――――変…かな?勝手に呼び方まで変えちゃったし。
美鶴の中では様々な思いが渦巻いていた。恭一から聞いた話、啓太の言動、自分ができること。だが単純に自分がどうしたいか、どうなりたいかという思いの方が大きいかも知れない。人生で初めてこんなことを口にした。まるで愛の告白のようで恥ずかしい気がしなくもないが、何かもっと強い思いがあるせいか、自分ではちっとも変だと感じない。
「私も、二人の仲間に入れて欲しい。啓ちゃんと友達になりたい!」
美鶴は真っ直ぐ啓太を見つめて返事を待った。
「ば…ばっかじゃねーの?友達じゃなきゃ家とか連れて来ねーし!真面目かよ!恭一かよ!!」
啓太は顔が熱くなるのを感じながら手に持った残りの揚げパンを口に押し込んだ。
「そっか!よかった!」
美鶴は心底嬉しく思った。こういうご縁もあるんだな。そんな風に思いながら。
「あ!恭一さんで思い出した。あのね、今更だけど、恭一さん、図書館に本を返しに行くからって言ってた。」
「ああ…それいつものことだから。本自体は持って来てないんだからそのままでもいいのにわざわざ置いてあった本棚のとこまで持ってくんだ。マジメだろ?あいつ。」
――――――確かに。
ふと、先ほど恭一と話した本屋の件を思い出して啓太に話した。大きくため息をつく啓太を見てまた可笑しくなった。クスクスと笑う美鶴を見て啓太も一緒になって笑った。
節恵が急須に湯を入れていると、居間から楽しげに笑う二人の声が聞こえて来る。薬缶を鍋敷きの上に置くと、腰に巻いたエプロンの裾でそっと目頭を押さえた。