見えない友人
大学の学食は今日も賑わっている。
白を基調とする広々とした空間には、吹き抜けから太陽の光が燦々と差し込み、学生たちの表情を明るく照らしていた。
川上啓太(かわかみけいた)は、定食のから揚げを口に運ぶと、正面に座っている友人の生田(いくた)に問い掛けた。
「で、さっきの話って?」
食堂の席に着いてから生田は普段と変わりない話を続けるばかりで、メールで呼び出した理由である“聞いて欲しい話”に関して触れてくる様子がない。切り出すきっかけを探っている様にも見える。
「ああ。そうだな、うん。」
箸を置いてコップの水を飲み干すと、生田は思いもよらない言葉を口にした。
「姪が憑かれたかもしれないんだ。」
「はぁ?つかれた?姪が疲れたってなんだ?やっぱ身内の子でも、子育ては大変か?」
生田は大学に進学してから都内に住む姉夫婦の家に居候している。普段から一家の話を聞くこともあったが、男のくせに姪のベビーシッターを楽しんでいるイメージがあった為に違和感を覚える。
「いや、その“つかれた”じゃなくて…お前、霊とかそういうの信じないタイプの奴だっけ?」
どうやら見当違いな認識をされて、話を続けるべきか迷っているようだ。
「え、そっち?いや、悪い。ちょっと思ってたのと違ったから。とりあえず続けろよ。」
「ああ。そうだな。」生田は言葉を選びながら慎重に話し始めた。
生田曰く、一ヶ月ほど前から4歳になった姪の独り言が多くなった。初めは姉の気にし過ぎだと思って義兄と笑っていたが、二人もその現場を目の当たりにして、これはただ事ではないと感じた。以来、姪の巴菜(はな)は、サクラちゃんという所謂“見えないお友達”とおしゃべりを楽しんでいるという。
「そんで姉ちゃん、寺やら神社やらに相談しまくってて。なんか気の毒でさ。」
一通り話して顔を上げると、生田の方を啓太はじっと見つめていた。急に目が合って驚いた生田は慌てて話を続ける。
「だからさ、なんでこんな話をしたかっていうと、啓太この間、堂守さんと話してただろ?あの、火曜のゼミで一緒の子。あの子そういう系のコト詳しいって噂で聞いてさ。相談できないかと思ってさ。」
堂守雅(どうもりみやび)とは啓太も生田も同じゼミを受けていた。北陸の寒い地域出身の為か、肌が白く、薄幸そうな美しさのある子だが、どちらかというと霊感があるとかいう方面で有名だ。
「え、ちょっと待てよ。それって何?姉ちゃんが不憫って話?それとも巴菜ちゃんが具合悪くなったりとか、その他に何か実害があんの?」
「まぁ、姉ちゃんのテンパり振りは不憫っちゃー不憫だけど、問題は巴菜だろ。他の実害とかないけど、やっぱ傍目から見ておかしいし、このままって訳にも…」
「それは世間体の話で、巴菜ちゃんのための話じゃないだろうが。」啓太は腕組みをして、背もたれに寄り掛かると、少し考えて話を続けた。
「じゃあ仮に、お前が今話してる俺が、お前以外の人間には見えないとする。周りの人間から見たらお前はおかしい。そりゃ心配もされるだろうな?だからってお前や俺の意思とは関係なく、他の人間がお前の為に俺を除霊する…みたいな話になったら、お前は満足か?それで俺がいなくなっても納得いくか?」
啓太はじっと生田を見つめている。
「…啓太は生きた人間だろ?そんな例え話…」
「同じことだよ。その、サクラちゃんだっけ?それは巴菜ちゃんにとっては他の子と変わらない友達なんだ。」
生田は生田でこの件に関して啓太がここまで前のめりになるとは思っていなかった。ただ、これまでもどんな相談事も啓太が「何とかなる」「大丈夫だ」というと本当に大したことではないと思えた。だから今回もそう言って欲しかっただけなのかも知れない。
「じゃあ、啓太が俺だったら何もしないってことか?」
「俺ならな。ただ巴菜ちゃんに話は聞く。サクラちゃんについてな。それで問題ないと思えれば放っておく。」
「…そうか。」
「でも堂守さんには話しといてやるよ。そっちの意見のが的確だろうし。お前も直接聞いてもらえ。」
「うん、ありがとね。」生田は希望が叶ったものの何故か引っ掛かるものを感じていた。
立ち上がって定食のお盆を持ち上げると啓太は思い出したように言った。
「昔さ、俺にもいたんだよね。“見えないお友達”。でもそいつのこと、誰かが勝手に除霊とかしてたら、多分一生恨んだと思う。じゃあな。」
見たことのない表情をして歩いて行く啓太がどんどん離れて行くのを生田は茫然と見送った。
東京の空は思ったより青い。
大学進学によって念願の上京を叶えた諸橋美鶴(もろはしみつる)は、散歩がてら友人の早苗(さなえ)にゴールデンウィークに帰省しなかった謝罪の電話を入れていた。
「うん、休みフルに使ってどうにか課題仕上げた感じ。夏休みは帰るつもりだから!気になる彼の話、それまでに進展させといて!」
「わかった!頑張るわっ!てゆーか、頑張って進展させるから絶対夏は帰って来てよ!」
「了解。なんかあったら連絡ちょうだい!」
「おうよ!夏より前に進展させてみせるから!美鶴もなんかあったらソッコー連絡してね!」
曖昧な返事をしてから電話を切ると小さく息を吐いた。
早苗は高校時代から恋愛に積極的なタイプだった。グループの中ではいつも中心にいたし、みんなが早苗の恋愛話に、いつか自分も!と夢を見た。とはいえ美鶴にとっては別次元のような話でなんだか現実味がなかった。自分はモブ。早苗は美鶴のイメージの中では少女マンガの主人公の様な位置づけだった。
「私も、いつか…ね。」
バッグの中にある、ついさっき図書館で借りて来た小説を撫でてみる。子供たちのはしゃぐ声が聞こえ、少し先に目を移すと公園の入り口が見えた。
等間隔に置かれたベンチに座るお年寄りや親子連れ、子供たちが集まっている滑り台、ブランコ…東京の公園は勝手にカップルばかりだと想像していた自分が少し恥ずかしい。こういう風景は田舎とあまり変わらない。
朗らかな雰囲気に手招きされるように公園に足を向ける。
――――――ここで少し読んでこうかな!
周りに人が少ない木陰のベンチに座り、空を見上げる。木漏れ日が開いたページに虫食いのような影を落としていた。
美鶴は50ページ程読み進めたところで少し後悔する。
――――――下巻も借りとくべきだったかな?
意識が主人公から自分に戻ると喉の渇きを覚えた。バッグの中の財布を探りながら、公園の入り口にあった自販機に向かって歩いて行くと、不意に声を掛けられた。
「あの…っ!」
「…!オイッ!!」
声を掛けた人物は美鶴より少し年上と思しき青年。何故かそれを小声で制するのは小学校高学年くらいの少年だった。
二人の視線は美鶴に向いたまま静止している。
「??はい?」
美鶴は青年に視線を向けると返事を返す。
「いや…お守…」
屈んで足元にある物を拾おうとした青年より早く、少年がそれを拾い上げ美鶴に渡す。
「はい!落としたでしょ?コレ!」
そういって少年が渡してきた物は早苗にもらった縁結びのお守りだった。
「あ、ありがと。」
何故か焦った様子の少年の勢いに押されて大した言葉が出て来ない。気付いてくれた青年も困惑した表情を浮かべている。軽く会釈をすると再び自販機に向かって歩き出す。
頭の中では違和感が渦を巻き始めた。
―――――あのリアクション、何?え?まさか気を遣われた?男の人と小学生に、コイツ出会いとか求めて願掛けしてるイタイ奴とか思われた??ちが…っ!これは早苗に…っ!
小銭を入れようとする手が震える。カフェラテを押すつもりが何故かサイダーを押す。
―――――どうしよう…炭酸飲めないのに。
数秒考えて、美鶴にとって一番合理的で恥ずかしくない(筈の)行動を取ることに決めた。腹に力を込めると更に自販機にお金を入れ、ブラックコーヒーとカフェラテを押す。
「何やってんだよ!聞こえるわけねーだろ?言ってくれれば俺が渡すって!」
美鶴が自販機前で恥ずかしさに悶えていた頃、少年はやはり小声で青年に詰め寄っていた。
「御免。つい…でも返事したよね、彼女!啓太も見ただろう?目も合ったし。」
「まさか!気のせいだろ?」少年は辺りを警戒しながら注意を続ける。
「あ!啓太、戻って来たよ。こっちに来るかな?」青年は動揺しながらも表情を明るくした。
少年は美鶴との距離を確認すると少し考えてから青年に問う。
「確かめる…か?」啓太はゴクリと唾を飲み込み、真剣な眼差しで青年を見つめる。青年は目を細め、うなずくと二人は同時にベンチから立ち上がった。
――――――違う!断じて違う!小学生に言い訳したい訳でも、男の人が結構イケメンだったからって訳でもない!私はサイダーを買ってしまったから。あくまでお礼として飲み物を渡して…世間話ついでに“お守りは貰った”って話して…立ち去る!
自分で自分に言い訳するように歩きながら恥ずかしさを押し込める。
――――――いや、そもそも女子が縁結びのお守り持ってて何が悪い訳?!むしろみんな持ってるし!早苗なんて4つくらい持ってるし!男子に気遣われる必要ある?!失礼しちゃうわよ!世の中の女子に謝れっ!
自分の中で決めつけた彼らの反応に対し、羞恥心なのか怒りなのかよくわからない感情が波のように押し寄せる。
二人のもとへ戻ると、急に立ち上がられて一瞬怯むも、負けじと少年にサイダーを差し出し、もやもやした気持ちをぶつけた。
「サイダー、間違えて買っちゃったの。私炭酸飲めないから、よかったらどうぞ!あと君はまだよくわかんないだろうけど、女子が縁結びのお守りとか持ってるの結構フツーだから!別に恥ずかしいことじゃないから!」
一気に言い切ると、大きく呼吸をして息を整える。
「え…?あ…どうも…。」
何故か鬼気迫る美鶴の勢いに押され、二人は固まった。
――――――やってしまった…!!これじゃあ、お礼じゃなくて逆ギレみたいだ。もうヤダ。死にたい。
「…じゃなくて、私が言いたいのは、その…そうだ、お兄さんの方はブラックにしたんですけど、飲めますか?」
「!!」二人は顔を見合わせる。少年は美鶴に視線を戻すと、意外な言葉を返した。
「この人、見えるの?」
生暖かい風が吹き、三人の頭上の木の葉がざわめいた。