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 ソレに市販の風邪薬を適当に処方した。

 解熱剤が効いて、風が治ると寛ぎ始めた。

 ソレの角が根本から折れて、瘡蓋かさぶたが覆っていたが、ふとした表紙にぺろんと綺麗に剥がれ落ちてしまった。

 額には角の跡は無く、普通の人間のように見えた。

 憑き物が落ちたように、美しい表情だった。

「買い物へ行くけど何か欲しいのある?」

 濡れ縁で寝ていた猫へ言った。

「煮干」猫が言った。

「却下」

「けち」

 ソレは何も言わなかった。

 俺が出かける準備をし始めると、黙って後ろを歩いてきた。

 銀灰色ぎんかいしょくの髪が風に遊ばれ、蜻蛉が透きとおる髪の輝きに誘われ、ソレの周りで踊っていた。

 小川の煌めきと錯覚したようだ。

 近くの店まで歩くまでに汗ばみ、空調を服と肌の間を通して涼んだ。

 近くの子供たちが駄菓子を買うのを見て、ソレは幾つか持ってきて買い物かごに入れた。

 買い物に出かけるたびに、重さと食費が増えたことで確かな実感が沸いた。

 家出していた妹が帰った様な感じだ。

 生きているはずの無い妹が戻ってきたような――甘い幻覚。

 そんな奇跡――幻だとしても快かった。

「ほら」

「ありがたい」

 煮干を放ると、猫は両手で掴んで食べた。

 蒸し暑く、記憶にこびりつく昼だ。

 往復で服に塩がふき、汚らしい白い花が咲いたようになった。

 濡れ縁に座り、柱にもたれながら、買ってきたばかりのビールをあけた。

 炭酸が喉を通り、風味のある匂いが鼻を通った。

 ソレは黄な粉棒を食べながら、ソーダ水を飲んでいる。

 気の早い夏の虫が飛び交い、荒れ放題の庭の花達を受粉させ回っている。

 酒精に思考を委ねていると、首の痛みは襲って来ない、それに気づいたときには精神の安定を酒に依存するようになっていた。

 猫が話しかけてくるが、人語になっていなかった。

 虚ろなまま眼を閉じ、夕冷えで覚醒した。

 猫はどこかへ行き、ソレは俺の膝で眠っていた。

 ソレを起こして、妹の洋服ダンスからスウェットを渡して着替えさせた。

 顔は妹になったけど、身体は女ではなかった。

 妹そっくりの顔を見ていると、枯れきった涙腺が蘇るようだった。

 だが涙は出なかった。

 それが嘘だと知っているからだ。

 妹の顔なのが嬉しいと同時に怖かった。

 頭が変になったのかと思ったが、写真でも妹の顔だった。

 酒を飲んでもソレが消えることは無い――ソレの存在は確かな感覚だった。

 写真を冷蔵庫に磁石でとめた。

 俺がおかしいなら、この写真を見たときに分かるだろう。

 日記を読んだ第三者が、俺の精神判定をしてくれるはずだ。

「行くよ」

 ソレは首を傾げた。

 ソレと言葉は通じなかった。

 身振り手振りで何となく通じたが、肝心なことになると通じない。

 家の中にある書庫から辞書を抜き出した。

 ソレの前において、反応があるか確かめたが何も反応がなかった。

 英語、スペイン語、ドイツ語、中国語でも試してみたが、駄目だった。

「妹がいたんだ」

 相手のいる独り言は悲しかった。

「死んだ。殺されたんだよ」

 何の反応も無かった。

 それでも憎しみの独白を夜に吐くよりはマシだった。

「どこに埋められたか知っているか?」

 ソレは太腿の上で動物図鑑を開いて、濡れ縁から足を投げ出して振り子のようにしていた。

 言葉は分からなくても、映像は分かる。

 古びたレコードをかけてみると、言葉は分からなくても音楽は分かるようだ。

 ハードバップを聴きながら、写真を眺める姿は神秘的だった。

 陽が落ちる前に、するべき事があった。

 車が邪魔だ。

 掃除はしたが、殺人の痕跡は消しきれていない。

 それに他人の罪の肩代わりはゴメンだ。

 殺人現場に戻ることを本当はしたくなかったが、戻って車を置いて来なければならなかった。

 ソレと一緒に車に乗り、埋葬地帯に戻った。

 すっかり陽は傾き、すれ違う車はいなかった。

 折れた角を探したが、無くなっていた。

 新たな足跡は巧妙に隠されていたが、俺たちの足跡も幾つか消されていた。

 それが証拠だった。

 ソレはくまなく折れた角を探しているようだった。

 美少年のように見えるほど華奢だが、機械の様な抗えないほどの腕力を持っている。

 妹の服を着ているけど、その肉体は大男以上の恵体だった。

 ソレは周囲を見渡して、鼻を利かせながら、こちらを振り向きながら歩いた。

 俺がついて行くと徐々に速度を上げた。

 息が弾んできた頃に、ソレは止まって地面を指差した。

 僅かに柔らかかった。

 車からスコップを持って来て掘り起こすと、すぐに人骨が現れた。

 白骨化して、服の繊維も朽ちかけ、証拠品は何も残っていなかった。

 右手首の骨に無数の傷が残っている。

 車から持ってきた土のう袋に骨を入れて、車に戻ってトランクに入れた。

 運転手から奪っていた携帯端末で警察に電話をかけた。

 無言で助手席に放り投げて、歩いて山道を抜けた。

 前に歩いてきていたので、人工的に作った道を迷うことなく進むことができた。

 ソレも難なく付いてきたが、途中で足が止まってしまった。

 きじが首を螺旋のように巻かれて死んでいた。

 ソレが唾を飲んだが、無視して先へ進んで、一時間後には喫茶店で食事をしていた。

 テレビが緊急報道をしている。

 連続殺人の新たな犠牲者が見つかり、最初に駆けつけた二人の警察官が殺されていた。

 牛革の鞄から辞書を取り出し、頭から順に発音して、ソレに発音させた。

 ソレは流暢に話すことがあるが、吼えるような発音で聞き取れない、伝えることを諦めているようでもあった。

 手帳を取り出して、今日の予定を確認した。

 何度確認しても、予定は変わらないが、心配性なので何度も読む、時間と顔写真を確認して鋏で細かく切断した。

 長居して、パフェを食べた後に、席を立った。

 一時間前に警察に連絡を入れた後に、二人の警察官が殺された。

 あの時も、連続殺人犯はいたのだ。

 俺が二人を殺したのかもしれない――そう思うと、首がぎゅうっと痛んで苦しくなった。

 それでも俺は殺意を萎えさせることはしなかった。

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