3
鋭利な刃物で切断された二人の死体があるが、加害者の姿は無かった。
そして、ここは連続殺人鬼が被害者を埋葬した樹海だ。
二人を殺した加害者は連続殺人犯の可能性が高かった。
周囲を見渡すも、人間の気配は無い。
ナイフがあれば反撃もできるが、角とかち合い砕けてしまった。
手頃な武器が欲しくて車のトランクを開けると、色んな道具が出てきた。
拳銃、弾丸、縄、手錠、スコップ、ラチェット、ハンマー、バール、電動鋸、電動ドライバー、土のう袋、布の切れ端、ビニール袋に入った白い粉も見つかった。
死体の斬り口は鮮やかだった。
おそらく日本刀があるだろうと予測した――が無かった。
他に鋭利な刃物は無かった。
凶器は持ち去られたようだ。
俺は銃を手にしようとして迷い、バールを掴んだ。
銃は使い方が分からなかった。
鈍器の方が扱いやすいだろう。
車に積んであった道具で血の後片付けをした。
死体は車道の脇に置き、持ち物を調べて財布を奪った。
首がきりきりと痛んだ。
コロセ、コロセと囁きかけるような痛みだ。
ワカッテイル、ワカッテイルと俺は答えた。
私達の殺意が風の顎となり、俺の体に噛み付いた。
痛いっ!
思わず瞼を力強く閉じた。
何も無い瞬間の連続に、狂った思考が幻覚を見せた。
俺は頭を振って、「平気、平気」と自分に言い聞かせた。
痙攣を続ける其に太い枝を噛ませ、猿轡した。
両手、両足に手錠を掛けて、後部座席に入れた。
其が何か分からなかったが、警察が調べつくして見つからなかった遺体を食っていた。
妹の遺体へと繋がる糸口だ。
ここで加害者が姿を現せば、全てが終わるのだが……。
胸が高鳴っていた。
様子を窺っているのは間違いない、だが出てこないと言うことは警戒をしている。
俺が淡々と死体を片付けているのが理解できないのだろう。
コイツは何者だ?
過去から類型を思い起こし、脳内で精査する。
だが理解不能だ。
理解できないものに触れることはできない、遠くから観察して自分の中に落とし込んでいるのだろう。
俺は車の保険証を調べた。
残念ながら、運転席の男と――死んだ男と一致した。
しばらく待とうかと思ったが、其が苦しそうに暴れ始めた。
加害者は出てきそうにも無かった。
悔しいが其を助けるために一旦引くことにした。
運転は久し振りだ。
不慣れな運転で荒くなってしまい、其は嘔吐と排泄を繰り返して、綺麗にした車内はすぐに汚れた。
臭いが酷かった。
人肉の腐敗臭は心臓を痛めつけるように痛烈だった。
窓は開けずに、何処にも立ち寄らずに家へ向かった。家の庭に停め、其を担いで、浴槽に入れて着物を脱がした。
驚いたことに、其には性器が無かった。
角は根本から折れていた。
そして、尻の部分にも傷跡のような突起があった。
尾骶骨の部分だ。
人間には伸びていない部分を無理矢理切断したような傷跡だ。
其は人では無いのかも知れない。
大量の水を飲ませ、吐かせ、再び炭入りの水を大量に飲ませた。
汚れが飛び散るので、俺も裸になり丹念に体を洗った。
垢が削れ落ちるたびに、
「りいいいいっ……」
其は綺麗な叫び声を上げ、俺の手を払おうとした。
浴槽に爪を立てて、木が砕けるのを楽しんでいた。
風呂を壊させるつもりは無かった。
俺は鎮静剤を噛み砕き、水に溶かし込んで、匙で其の口に運んだ。
其は迷いながら飲み込み、徐々に朦朧とした。
其が大人しくなったので、浴槽のお湯を掛け流しにして、流れるままにソレの穢れを流した。
汚れでは無い――穢れだ。
垢がお湯に溶け、渦を巻いて流れていく、ごぼごぼと泡を立てるたびに、泡が弾けるたびに、其の犠牲者の断末魔が聞こえるようだ。
幻聴だ……分かっているが、止らなかった。
其が死肉を食ったと考えるだけで、穢れた水の奥から怨念が腕の形となって出てくるのでは――と妄想してしまう。
……落ち着け。
どんな人間でも脳を介して、物事を理解する。
俺の脳は歪狂いに、現実は波打つ鏡で映しているように様相が異なる別世界を見ている。
だから幻でも、一握りの真実はあるのだ。
私達は正常だ。
もしかしたら其もいないのかも知れない、存在しないものを存在すると思い込んで、狂気に陥るのを崖っぷちで押さえ込んでいるのかも知れない。
だが、もしも幻覚だとしても、幻覚ですら真実なのだ。
幻覚と手を取ろうとも、俺は復讐を行わなければならなかった。
循環する思考を切ったのは、風呂場から溢れてくる湯気だった。
湯気の濃淡に人の顔を見たが、気にする余裕は無かった。
古民家の木は湿り、素足を吸いついた。
其は白い毛並みが透き通り、神々しい濡れ鼠のようだった。
神獣でも穢れるのだろう。
其は美しかった。
鎮静剤を飲ませたせいか、無気力で気だるそうだったので、脇を抱えて脱衣室から出した。
濡れた体を拭く前に部屋に入ろうとしたので、乾いたタオルで無理矢理拭いて、逃げようとするので押さえつけて、椅子に座らせた。
牙と歯に肉が挟まっていたので、歯間ブラシと歯ブラシで磨いた。
人肉と考えると吐き気がした。口を掃除した後に吐き出させると、色が血に染まっていた。
迷ったが――手錠を外して、自由にさせた。
其は不思議そうに首を傾げた。
言葉は通じないが、身振り手振りは人間に似ている。
乾燥パスタを茹でて、オリーブオイル、レトルトで味付けをした。
其の分も作ったが、俺が食べるまで一切口にしなかった。
手当てをしたことで、俺のことを信頼しているようだが、まだ半信半疑のようだ。
猫の声がした。
気ままに色んな家を回る野良猫だ。
冷蔵庫から即席の餌を出して、皿に盛ると勢い良く食べた。
其が猫を食いそうになったので怒ると、猫を食べようとするのを止めた。
代わりに即席の餌を食い、猫と喧嘩して、俺に怒られた。
言葉は通じないようだが、感情は伝わるようだ。
言葉が欲しかった。
外国に来たような感覚だ。生活はできるだろうけど、俺が欲しいのは証言だった。
死体を何処で見つけたのか。
どうやって見つけたのか。嗅覚か?
それとも目撃したのか?
紙に文字を書き連ねて突きつけてみたが、首を傾げるばかりで要領を得なかった。
万年筆を渡してみると、珍妙な文字を書き連ねた。
象形文字だろうか。漢字辞書を開いて、象形文字を探そうとしたが、項目が多すぎて見つからなかった。
時間を気にせずに続けていると、其は眠そうにして、そのまま横になってしまった。
頬が赤かった。
触ると恐ろしいほどに熱かった。
調合した薬を飲ませて、布団を何枚も重ねた。
我流とは言え、自然界から取れるものなら、毒と薬はある程度作れるようになっていた。
すぐに寝息が聞こえてきた。
俺に風邪はうつるだろうか?
疑問は沸いたが、解決の糸口は無いので、気にせず言語について考えた。
うつらうつらして何度目かに濡れタオルを変えると、顔が引きつった。
其の顔が変わっていた。
角も白髪も肌の白さも変わらないが、死んだ妹の顔に変わっていた。
直感が告げていた――其が食ったのは妹だ。
殺意が沸いた。
両目を強く閉じて、内側で暴れまくる殺意を押さえ込んだ。
俺が殺すのは、妹を殺した相手だ。
復讐の相手は妹を食った其ではない、死体は物だ。
畳に爪をめり込ませて音を立てていると、手に猫が擦り寄ってきた。
怒りの気持ちが薄れた。まるで感情を読むかのような絶妙なタイミングだった。
「殺すのか?」
猫が言った。
「殺さない」
「そうか」
「うん」
猫は其に擦りより座った。
「我輩の声が聞こえるのは幻覚だ。一人称が我輩というところがミソだな。……某小説だ」
「分かっている。この前は蝶の声が聞こえたからな」――別に驚かないさ。
「ただ……我輩は三十二歳だ。世間一般では猫又と呼ぶらしいがな」
猫は眼を閉じ、ごろごろと喉を鳴らしながら寝た。
「冗談じゃないな。本当に」
俺は音を立てないように歩き、温室にしている部屋で植物に肥料と水をあげた。
枯れた葉は切った。
温湿度計を確認して、空調と加湿器を調整した。
蛙と蛇を外に出して、飼育ケースを掃除して、ケースの中へ戻して餌をあげた。
其の所へ戻ると、死んだように眠っていた。
頬に触ると温かった。
それは生きている証拠だった。
俺は濡れ縁に寝そべり、日記を気の向くままに書いた。
気付くと夜になっていた。
蛙が目の前で俺を眺めていた。
俺の飼っている毒蛙だ。
「正気だと思っているのか?」
「うん」
げろげろげろと毒蛙は笑った。
それは子守唄のようだった。