絶好の試験日和 ①
来たるべきは、綿月家警備隊登用試験。
月の都に存在する家々の中でも、選りすぐりの名家である綿月家の警備隊は、練度の高い精鋭部隊で構成されている。
中でも綿月家の姉妹は、将来有望とされる天才姉妹であり、近いうちに警備隊を統括する役職に任命されるのではないかと予想されていた。
そして綿月家は今まさに、警備隊の規模を拡大せんとばかりに、大規模な人員補強を行っている最中であった。
人員補強自体は毎年実施されているようであるが、その規模は微々たるものであり採用されるのは極僅かに限られ、場合によっては未採用という事も珍しくはなかったという。
ある一人の女性が、機能的な汚れ一つない純白のベッドに仰向けになり、一冊の情報誌に目を通していた。
かの者は綺麗な黒髪を生やしており、濁りのない透き通った瞳をしている。
耳が隠れる程度のショートヘアーは、毛先に至るまで淀みがなく見る者に洗練された印象を与えた。
"敢えて"男っぽく容姿を整えたその女性は、その容姿とは裏腹のだぼったいカーディガンを着崩しながらも、目を通していた情報誌のページを捲くった。
そして捲くったページを見ることもなく本を閉じると、アンティークな造りのテーブルの上へ乱雑に放り投げ、寝返りをうつ。
────僕は遂に、月の都へ辿り着いた。
羨道から幾許かの資金を借り、彼と同伴の上で月の都まで移動し、巨大なホテルの一室を借りるに至ったのだ。
来たるべき試験の為に、試験会場に近いホテルと短期契約をしたとのことだが……羨道という男は、本当に何者なのだろうか。
月の都は完成された都市であった。
公共的な施設から公園の公衆便所に至るまで、全てが機能的であり一定水準の清潔感が維持されており、どこを歩いていても清々しい気持ちになれた。
道行く人々は僕の予想とは相反し、どの顔を見ても普通の人間ばかり。想像していた"未来人"とは掛け離れている。
というのは、僕の中にあるイメージの問題だ。
近未来的な服装に、最新鋭の乗り物で都市間を移動している────という安易な想像をしていたが、実際のところは決して派手ではない、シンプルかつカジュアルな服装が多数を占めていた。
それで当の僕はといえば、羨道が契約したホテルの一室で寛いでいた。
試験までの間、一度初心に返り試験についておさらいをしようと思い、先程とは違う別の情報誌を手に取り、警備隊登用試験に関しての募集要項に目を通していたのだ。
「身分、警備隊幹部候補生……各種手当て有り、……綿月家保有の寮施設有り、休日……訓練日程に従うものとする」
様々な事項が掲載されていたのだが、高待遇なのに変わりはない……けれども、よく見ると休日の日数が不安である。
今更そんな事で駄々を捏ねてもしようがないし、むしろ休日が少ないという点で訝しげに思えたところ、やはり根っ子の自分は変わらないのだなと思った。
たとえ容姿は女性に変貌していても、精神は昔の自分と何ら変わりはないのだと、再認識する事ができた。
僕は情報誌を乱雑に投げた。
試験内容の欄を目に通したところで、不安要素に支配されるのがオチだと思ったからだ。
情報誌によると、警備隊登用試験は日別に、三日に渡って執り行われる予定だ。
一日目は学力的な試験と、体力試験が夕方過ぎまで実施される。
学力は言葉通りの論理的思考テストや、適性検査に常識問題に至るまで多岐に渡る。
体力試験も各種項目を漠然と執り行うもので、警備隊試験なのだから優先されるのは学力よりも、むしろ体力試験なのではないか、と予想できる。
二日目は、合格者の中から健康診断を実施し、警備隊に不適格な者を選別するといった内容。
健康診断だけに関わらず、性格検査から精神面でも不安定なものを選別し落第させるといった篩いにかけるものとなっている。
そして三日目。
恐らく、これが尤も大規模と予想される試験科目であり、また月の都のマスメディアなども大きく注目しているという噂だ。
一日目、二日目の中から大きく絞られた試験参加者の中で、トーナメント……"他流試合"を執り行う。
武具や流派等に制限のない、完全なる武力による勝ち抜き戦である。
週刊誌のマスメディアは勿論の事、テレビショーのプロディーサーや各界の大物も注目しているといわれ、最早登用試験におさまらず都規模の催し事に近いレベルである。
それには様々な理由があるとされ、一つは名家である綿月家が大規模な人員補強を行うといい、注目の逸材が現れないかの動向確認に、もう一つは"綿月家の次女"が他流試合に参加されるのではないか、という噂である。
曰く、綿月家の次女は生来武術に恵まれており、天才とも謳われた程であるらしく、現在は特に目立った役職に就任していないが、試験後には何かしらの重要職に就任されるのではないかと推測されている。
それが今回の大規模な登用試験に大きく関与してくるのでは、と情報誌は大きく取り上げていた。
つまるところ試験に合格するには、全三日に渡る試験を全て合格しなければならないのだ。
三日目のトーナメント形式の他流試合では、戦績は選考に大きく左右されないと記載されているが、根拠はない。
要約すると、負けても不合格に直結しないが、勝利した者と比べたら不利になるぞ、といった意味だと僕は思っている。
あまり深く考えても致し方ない。
こうして資金援助までしてもらい月の都まで訪れたのだ。後は万全の態勢を整えて試験に臨むのみである。
そう強く心に刻み込み、僕は様々な書類の入ったブリーフケースを持ってホテルを出た。
目指すは綿月家登用試験が実施される試験会場、ただ一つである。
*
一時間程かけて試験会場に到着した僕は、その待ち時間の間に一息ついた。
会場には正装で訪れた若い男女で溢れており、僕が訪れた会場は第四会場と分類されているようだ。
因みに僕の格好は、全身が黒の所謂スーツのような服装を着ており、当然の如く男物。
女性の応募者も多数居るらしく、清楚な若い女性も沢山いた。
羨道からは女性として試験を受けた方が良いと言われたが、僕はそれを拒んだ。
仮に女性として試験に合格したら、待っているのは女性としての待遇である。僕はそれを望まない。
男として試験を受けることに意義があるのだ。
一日目の学力試験は滞りなく行われ、僕は今まで勉強してきた事を満遍なく試験にぶつけた。
正直なところ学力に関しては自身がなく、勝負に出るのは午後から執り行われる体力試験だ。
あまり自信のなかった学力テストを終え、昼食を食べた後に体力試験へと臨む。
そうして訪れた午後からの体力試験で、僕は存分に力を発揮した。
「はい、それでは名前を呼ばれた順からボールを投げてもらいます」
試験官の兎の耳が生えた女の子がそう言い、試験者が列を作る。
試験の内容を簡単に説明された後、男女混合の下、各種目ごとに人員が振り分けられ、試験が実施された。
指名順に次々と抛られていくボールであるが、恐らくこれは現実世界による"ハンドボール投げ"と同じ類の種目なのだろうか。
手に収まらない程度のボールを前方へと抛り投げ、どこまで飛ぶかを測定する試験だ。
僕の二つ前の者が二十八メートル、一つ前の者が四十メートルと、凄い数値を叩き出しており、平均で表せば30メートルは最低でも飛ばさないと、選考に不利になってしまうかもしれない。
そう思った僕は若干焦ったものの、自身の名が呼ばれたので直ぐに立ち位置へ移動した。
「天野義道さんですね。それでは此方のボールを、あちらへ向けて投げてください。助走しても構いませんが、白線の外側に少しでも足が出てしまったら失格となりますので、注意してください」
「わかりました」
簡易的な説明を受け、僕は低めの声を意識して了承の意志を告げた。
試験官からボールを受け取り、白線の外側へ足が出ないよう細心の注意を払う。ボールは僕が思っていたよりも、ずっと軽い。まるで羽毛や綿毛のように。
そんな生産性のない思考を重ねつつも、僕は手に持っていたボールを思い切り投げ────射出した。
「────えっ!?」
「……よし、良い感じだけど」
自分でも驚いた。思わず"射出"という表現をしてしまう程に。
僕が投げたボールは勢いよく飛んで行き、僕の足も白線の内側にあったので失格にはならなかった。
ボールは二十メートル、三十メートルと飛んだところ、やがて視界から消えた。
流石に想像よりも遥かに飛び過ぎてしまい、僕は呆然とする事しか出来ず、試験官からの指示があるまで待機していた。
「え、えーと……しょ、少々お待ちをっ!」
試験官である兎の耳の生えた女の子が脱兎の如く……否、慌てふためき飛んでいったボールの方向へ駆けて行った。
そういえば登用試験の試験官は、どれも兎の耳が生えた女の子が担当している。どれもこれも背丈の低い女の子ばかり。
月の都では"玉兎"と呼ばれる者達であるらしく、いわゆる労働階級の種族であるらしい。
綿月家では様々な部門で玉兎達を広く採用しているらしく、今回のような試験の監督なども任せているとのこと……どれも情報誌から得た知識だ。
暫くして試験官が戻ってきた。息を切らしながらも、僕に言葉をかけてくる。
「す、すいませんっ、また投げてください……」
申し訳なさそうに試験官がそう言葉を紡ぎ、僕に手渡されたのは先程とは違うボールであった。
その後も、様々な種目が実施された。
持久走から上体起こし、反復横飛び等々。何だか学校の体力テストのような気分であり、緊張感とは程遠い心境。
最新の機器を用いて握力計測も実施され、僕もその握力計を握ったのだが……測定値を見た試験官は頑なに「計測器の故障だ」と言って聞かなかった。
結果として球体投げは着地点を考慮して百二十八メートル、握力は測定不能という結果に終わった。握る部分が破損してしまい、結果が出てこなかっただけなのだが。
その他の種目も異常値が出ているとのことで、何だか上層部のほうで問題が起きているらしく、途中で試験が中断された。
まだ各項目の測定を終了していない試験者は、後日執り行うということで本日は終了した。
推測するに、僕の後から測定を行った者達が対象だろう。計器類を使用した体力測定に関しては、計器類の調整後に再度測定が行われるらしい。
幸いにも僕は全項目を終了しており二度手間になるということはなく、数日後の二日目の試験を控えるのみとなった。何だか悪者になった気分で申し訳が立たない。
一日目の試験終了後、合格発表は直ぐに行われ、僕は無事に合格するに至った。
学力的な結果はあまり芳しくなかったと思われるのだが、どうやら体力試験の結果が功を奏したと見える。
歴代の都のお偉いさんの名前など、知るわけがない。時事問題はたぶん、全滅だったに違いない。
余談ではあるが、月の重力は地球よりも軽く、およそ六分の一程度しかない。
その影響を強く受けているのもあり、僕は月で生まれ育った者達よりも遥かに肉体が強かった。
これは羨道が指摘した事でもあり、だからこそ体力的要素が選考対象となる警備隊の仕事を勧めてきたのだという。
僕は通常の人間よりも、月の重力を考慮せずとも身体能力が高く、原因は恐らく体内に異質な力となる物を取り込んだから……と、羨道が話していた。
まあ、身体が優れていて損はない。
こうして試験に大いに健闘する事が出来たし、また能力を活かす事もできるのだから。
僕は来たるべき二日目の試験を控え、惰眠を貪ることにした。
*
そして二日目の試験が実施された。
実施内容は一日目の合格者による適正試験と性格検査、そして健康診断。
適性検査や性格検査などは対策のしようがないので、基本的には素直に回答した。
けれども嘘の回答だと判断されない程度に、自身の事を盛ったりもしたのは、恐らく僕以外の試験者も同じだろう。
二日目も特に滞りもなく終了するだろうと、僕は昼食を食べながら思考していると、やがて健康診断実施の時間となった。
しかしながらそこで、ある一つの問題が発生したのだ。
僕は身体は女性のものであるが、精神は男である。
だが書類上は男という事で試験を受験している。これが何を意味するのか────
「はーい、それでは男性の方はこちらのお部屋に移動してくださーい! 女性の方は別室で行いますので、私について来てくださーい!」
声を張り玉兎の試験官がそう言い放つと、男性の試験者が一同に集まり部屋へと移動した。
女性の試験者も試験官について移動し、この場は完全に男性の試験者だけとなった。
……ヤバイ、どうしよう。
健康診断の事などすっかりと忘れていた。いや、憶えてはいたのだが、まさかこんなに本格的だとは想像にもしていなかった。
僕が想像していたのは視力検査や身長体重の測定、採血程度だと思っていたのだが……心電図やX線の検査というのも実施するらしく、そうスケジュール表には記載されていた。
このまま僕が男性用の健康診断を受ければ、性別が露呈してしまう可能性は否めない。いや、可能性で表せばかなり高いだろう。それだけは何としてでも避けなければ。
いくら"さらし"を巻いているとはいえ、胸の膨らみは男性よりも大きく、乳房も男性のものより肥大化している。
心音を確認する為に服をたくし上げれば間違いなくバレる──いや、そもそも診断の為に肌を大きく露出させねばならぬ。その時点で既に危うい。危ない橋を渡るのは下策だ。
「すいません、どうかされましたか?」
「あ、いえ……すみません、直ぐに移動します」
行動の行方を思考していると、試験官に早く移動するよう急かされ、思考を中断させられた。
このまま男性用に移動してしまえば、ほぼ確実にバレる。ならば、考えている暇などない。
どんな手段を講じてでも、女性用の検診を受けなければ────
「あの、すみません」
試験官が去る前に、僕は声を掛ける。
「女性用の健康診断の会場は、あちらですよね」
「……え? あの……貴方、男の人ですよね。男の人は直ぐ隣りの部屋ですが」
「いえ、実は事情がありまして、今日は兄の服を借りて参加していたのです。この格好では女性用の会場に入り辛いので、良ければ女性物の服も貸して頂ければ……」
普段は低めの声を出すよう心がけているが、今回はこれでもかと言わんばかりに、高めの声でそう試験官に説明した。
けれども試験官は訝しげに僕の事を観察すると、言葉を投げかけてくる。当然か、男性用の黒のスーツを着用して試験の場に参加する女など、聞いた事もない。
「そうなんですか。うーん、でもなあ……」
試験官は踏切りがつかぬといった様子で、僕を女性用の会場へ移動させることを良しとしない。
男の格好をした人を、女性が健康診断を行う会場へ移動させ、万が一その者が"狂った性癖の変態男"だった場合、大問題に発展してしまいかねないからか。
今回はマスメディアも注目しているという試験……万が一でも不審者の侵入を許してしまったら、綿月家の信用も失墜する。恐らく玉兎の試験官は、それを恐れているのだろう。
ならば、と。僕は根拠となる行為を試験官に行った。
「──っ、なにをするんで……ひゃあっ!?」
試験官の腕を掴み上げ、その手を僕の下半身に無理矢理当てさせた。
「見てください、僕……私は本当に女です。"ついてない"でしょう」
僕よりも背丈の低い玉兎の試験官を見下ろしつつ、互いの吐息のかかる間合いでそう冷淡に言い放ってやった。
「しっ、知りませんっ! じ、事情は分かりましたから、さっさと移動してくださいっ!」
頬を染め怒ったような口調で試験管はそう言い放ち、僕はしてやったり、と事がうまく運んだのを喜んだ。
試験官から女性物の服を借り、着替えてから女性用の健康診断の会場へと移動した。
今回ばかりは流石に焦ったが、何とか切り抜けられそうである。健康診断が終了したら、再び男性として試験を受ければ良い。
そう安易な考えをしていた僕は、再び焦燥感に心を満たしてしまうのであった。
「はい、次の方」
医者風の格好をした玉兎が担当する健康診断は、滞りなく行われていた。
健康診断の女性会場に入った時は、何だか言い表しようのない罪悪感に駆られたものの、僕の順番が回ってきた時にはすっぱり忘れる事ができた。
「えと、天野……義道さん? 何だか男の人っぽい名前ですね……あ、失礼しました」
「いえ、構いません」
担当医の玉兎は僕に向けてそう言うと、緊張を緩和させるような口調でそう言い放ったりしていた。
やがて僕の事が記載されている書類に目を通すと、その表情を怪訝そうに歪めた。
「……あれ? 天野義道さん、ですよね」
「はい、そうですが」
「おかしいなあ。書類上では貴女は……男性になっているのですが……」
「え?」
担当医は僕にそう言うと、一枚の書面を見せてきた。
「ほらここです。男性の箇所に丸印がついていますよね」
「……」
確かに、書面には"男性、或いは女性"という欄があるのだが、書類には"男性"の部分に丸印が付けられている。
たかが丸印一つではないか、とも思う。"単なるミスだ"と僕が言い放てば、それで済むのではないかとも思った。
しかしそれも、担当医の一つの行動で打ち崩される。
「……あ、もしもし。私です。今、試験者の一人の診断をしている最中でしてね。それでちょっと、書類に不備があったもので」
この兎、あろう事か耳に手を当て、誰かと連絡をとっているのであった。
"書類に不備"があるというからには、彼女よりも偉い人物と話しているのだろうか。この場で言い包めてやろうと思っていた僕の考えは、台無しだ。
恐らく根っこの部分から"本当に単なる書類上のミスなのか"を調べる気だ。そんな状況で僕が"書き間違えました"と発言するのは容易い。……が、最悪嘘がバレた場合、大問題になってしまう。
それどころか、そんな詐称紛いの問題を起こせば、今後一切綿月家との干渉が取れなくなってしまう可能性だってある。非常に宜しくない事態である。
「あーもしもし、聞こえてますか? …………あれ? ……ああ、繋がりました」
ほんの一瞬だけ、能力で彼女の通信を強制的に切断させた。
思っていたよりも簡単に通信を切断する事ができたし、永続的に切断してやろうかとも思ったが……相手方には既に"書類に不備がある"という意思が伝わってしまっているので、そんな事をしても無駄であった。
最早為す術なしか、と思われた時。僕はふと書面に目を落とし、ある事を思いついた。
「すみませんー、通信が切れちゃったみたいで。えーと、ですからね、書類に不備があったんですよ。私は女性の検診を担当していまして、今試験者の一人の書類に目を通したんですがね」
担当医の玉兎は通信をしながらも、僕が持っていた書面をひょい、と取り上げ、再び言葉を続けた。
「ええ、ええ。そうです。えと、……はい、そうですね。性別の欄のところなんですがね、書類は精密機器で選別されていたのにも関わらず、男性の方の書類が紛れてたんですよ。ほら、性別の欄に女性って…………あれ?」
担当医は僕の事が記載された書面を読みながら通信をしていたが、直ぐに言葉をつまらせ困惑した。
そしてひどく困惑した状況のまま、たどたどしく通信を続ける。
「れれ……、おかしいなあ……あ、え、"女性の検診なんだから女性で当然"? ……あ、はい……そうでした、すみません……はい、はい……」
ぺこり、ぺこりと虚空に向かって頭を下げながら、玉兎は通信を続けていた。
そして一段と深い溜息を吐くと、がっくりと項垂れて通信を切り、再び僕と対面する。
「あれぇ、おっかしいなぁ……なんでよぉ……確かに、見間違いなわけないのに」
「どうかしたのですか?」
「さっきも言ったじゃあないですかぁ。男性のとこにチェックがって……」
「いえ、ぼ……私は見ておりませんが。しかし見ての通り私は女ですし、間違えて性別を記入する筈も」
僕がそう言葉を述べると、担当医は再びがっくりと項垂れた。今にも泣き出してしまいそうな表情から察するに、先程の通信で上司に叱責されたのだろうか。
僕自身、確かに書類上では"男"として提出していたので、担当医の言っている事で間違いはない。
けれども僕は、書面を渡された際に能力を用いて、"紙面から文字を切り離した"。
手書きで記入されている書面は、インクが紙に染み渡り文字の形を取っているだけなので、僕の能力を用いてインクを紙から分離させ、直ぐ隣りの箇所の女性の部分にインクと紙を結合させた。
要約すると、"男性"の箇所につけられていた丸印を、能力を用いて"女性"の箇所に移動させた程度の事である。微妙に滲んで紙にしわが入っているが、不審に思われることもなく救われた。
自分でも卑怯だなと思考してしまうが、致し方ない。競争率の高い試験を突破するには、こうするしか手段がないのだから。
一日目の試験を突破し、今回の健康診断にまで到達したのは、およそ一日目の半分以下にまで減っていた。
それでも試験者は1000人以上は存在する規模の為、まだまだ油断はできない。書類選考の時点では、何万と存在したに違いない。
恐らく今回の検診含め適性検査により、多くの試験者が落第するのは火を見るよりも明らかである。
健康診断までを終えた僕は、悠々と帰路に着いた。
合格発表は後日行われるという事であり、発表までの間物凄い不安に襲われる。
何百人と落とされる規模になるであろう今回の試験は、僕とて落第の危機がある。
不安で夜も眠れなかったが、明日にはその不安も解消されるであろうと心に言い聞かせ、今宵は深い眠りについた。さらしは思いの他、窮屈であった。