終幕、依然進捗中
月の都市に住む多くの人々が、今日という日だけは仕事を休み、家業を休んで試合を観戦しようと会場まで足を運んだ。
遠方で来れぬ者は生中継の放送を固唾を呑んで見守り、休暇を取れなかった者は最新の録画機で生放送を録画していた。
まさかただの登用試験が、ここまで大規模なものだとは、一体誰が想像しただろうか。
いや、想像しなかったのは彼だけだったのかもしれない。外来人である彼に、月という世界の常識を網羅するには、少々時間が足りなさ過ぎただけの事。
続々と試合が展開され、気が付けば午前は過ぎ去り、快晴のまま午後を迎えていた。
昼食の為の休憩などは行われず、試合は延々と続けられた。客席の販売員達は、さぞ大忙しだったに違いない。
試合に敗北した者は帰宅する事が許されず、最後まで試合の展開を見守らなければならなかった。
Aブロックの試合が終わり、やがてDブロックの試合まで終わると、再びAブロックの第二戦が行われた。
第二戦で僕と試合する事になっていた男がいたのだが、試合開始直前まで闘いたくない、と周囲に言い漏らしていたのを僕は目撃してしまった。
けれども現実問題、不戦勝などが許される筈もなく。問答無用で開始された第二戦目の試合で、僕は対戦相手を余裕で撃破。
最後は壁に向けてぶん投げ、場外に。人間が壁に激突し、崩壊する様を見て申し訳ない気持ちに駆られた。
そして第二戦目の順繰りが全て終了すると、今度は第三戦、第四戦と続き、遂には五戦目に突入した。
様々な試合模様が展開されるに連れ、観客も勝ち上がった選手達も最高潮の盛り上がりを見せる。その最中、僕は控え室の中で出番を待っていると、
「いよいよ次でブロックの決勝戦かぁ。……ま、俺を負かしたんだからよ、優勝しろよな」
「なあ、天野君。スゲーよなお前、一体どういう修行すればそうなるんだよ!」
「天野君、今度うちの野球チームに助っ人に来てくれよ!」
順当に勝ち上がり、四戦目で薬師寺を倒しA、Bブロック決勝戦の開始を待っていると、周囲からそんな声をかけられる。
薬師寺以外の選手達は、意外にも気さくな奴らが多い。口が悪い奴もいるのだが、根は良い人が多かった。野球の誘いは断った。
けれども僕に話しかけてくるような奴らは皆、途中で敗北しているものばかり。勝利した者達は精神集中の為か、あまり不用意に動いたり騒いだりはせず、殻に閉じこもるばかり。。
あの法華津という女も、西院堂とかいう男も、目を瞑り自身の出番を待っている。
周囲の気さくな言葉に応対していると、今度は僕に触れてくる者まで現れた。
「なあなあ、ちょっと筋肉触らせてくれよ!」
「えっ」
「あんなとんでもパワー持ってるんだから、相当カチカチなんだろ? 後学の為にさ、良いだろ?」
「ダメだよ、ダメ。あまり僕に…………ちょ」
拒否の言葉を入れる前に、男達は僕の腕を弄り始めた。
指先でつん、と押したり、ゆでたまごに触れるように優しく二の腕を握ったりと。気持ち悪い。
「うおッ、なんだこれ。めっちゃ柔らかい」
「これの何処にあんな力があんだ……?」
「知るか。やめてくれよ、鬱陶しいな」
腕を振るって群がる群集を退けさせる。
確かに自分でも不思議に思うが、怪力の割りに僕の腕には筋肉があまりない。女性的な細さすら感じる始末。
ぷにぷに、なのだ。他者からすれば、思い切り不自然の類に入るのだろう。自分自身でさえそう思うのだから、そうに違いない。
「へぇー、天野君って何だか女っぽいよね」
「……煩いな、放っといてくれ」
その言葉が身に染みる、心に染みる。悪い意味で。
何故かといえば、答えは簡単だ。身長が昔よりも縮んでいるのだ。試験の健康診断で分かった事なのだが、元々の身長よりも少しだけ縮んでいる。少なくとも、百七十は切っていた。
周りの試験者達がちょっぴり大きく見えるのを意識すると、頭を抱えたくなる。
性別だけが女性になっただけではなく、体つきも女性になっているのは前から知っていた。
けども身長の退行を知った時に、他部分でも変化が訪れてるのではないかと不安になり、確認した事もある。
幸いにも大きな異常は見られなかったが……万が一にでも胸が巨大化してしまえば、いよいよ世間の目を逃れる事は出来なくなってしまうので、変化しないよう神に願わなければならない。
そう思考しながらも選手達の相手をしていると、不意に体内から酸素が放出した。うっ、と声を漏らした。
「痩せてんなぁ、お前。スタイルが良いっつぅか、どうみても武道に精通してるとは思えないわ。腹筋だってほら、柔らかい
恐る恐る原因と思われる下腹部に視線を傾けてみると、僕の目の前でしゃがみ込み、腹筋の辺りをつんつん、と突いている者がいた。第一試合で撃破した、氏原という若男だった。
「余計なお世話だよ……もういいだろ、やめてくれ」
「ん、そうだな。しっかし不思議だよなぁ、女みてーな体つきしてんのに、俺よりも腕力があるってのが腑に落ちん……っと」
「……っ!」
氏原の手が腹筋から、胸にまで伸びてきた。
その仕草に気付いたものの、一瞬反応が遅れてしまい、氏原の手が僕の胸をソフトタッチし、ぞくりとした感覚。
いくらサラシを巻いて胸元にゆとりのある衣服を着ているとはいえ、触れられてしまえば一発で性別がバレる──そこまでの思考を一瞬で組み立て、僕は即座に拳の応酬をした。
拳で氏原を突くと、鈍い音と共に彼は後方へ吹っ飛んだ。
周囲の選手達も驚いたのか、僕に視線を向けていた。言い訳をしなければ、言い訳……
「……よし、アップはこんなもんかな。さて、善戦してくるよ」
「はは、なんだおい、妙にやる気だな」
「まぁ。薬師寺さんの分まで頑張るよ」
即座に思いついた言い訳がこれだった。中々見苦しいものがあったかもしれない。
吹っ飛んだ氏原は腹部を押さえて、ぐぬぬと唸り声をあげて悶絶していた。滑稽であった。
もうすぐ僕の試合が近いというのに、とんだ騒ぎだ。……騒ぎだと思っているのは、僕だけかもしれないが。
* * *
A、Bブロックの決勝戦が行われ、僕は名も知らぬ選手を撃破した。
実況の中で名前を説明していたりもしていたが、試合終了後の今となってはよく憶えていない。
流石にBブロックを勝ち進んできただけの事はあり、筋力や瞬発力など、他の者達よりも身体能力が高くて驚いた。
もはや怒号とも言い換えられる程の巨大な歓声は、ブロックの決勝戦が終了した事により更に規模を大きくした。
続いて行われるC、Dブロックの決勝戦を控えているというのに、未だその歓声は衰えをみせない。
時刻は既に午後を回っており、夕暮れが近かった。
僕はブロックの決勝に勝利したので、次の試合は事実上の本選トーナメントの決勝戦を残すのみとなる。
C、Dブロックの決勝戦に勝利した者と対峙する事となる為、他ブロックの試合といえど注目せざるをえなかった。
「おうおう、あっちのブロックもスゲー試合になってんじゃねえか」
場外控え室からブロック決勝戦の試合模様を観戦していると、僕の背後にいた誰かがそう呟いた。
試合をしているのは、優勝候補と謳われていた西院堂という男と、法華津という女の両者であり、その試合は熾烈を極めていた。
「西院堂ってのも凄いが、あの女の方も力負けはしていないな」
「けどよぅ、西洋剣相手に無手っつぅのも、無謀な話だぜ」
西院堂という男は、なんと武器を所持せずに決勝まで勝ち上がってきたという。凄い精神力だ。
月の軍事施設で学んだと思われる特殊な戦闘術は、得物を持った相手を前にしても見劣りはしなかった。
対する法華津も、西洋剣を凄い速さで振り回し、相手の接近を許さなかった。
こちらも女とはいえ、西洋剣を振り回す程度の筋力は持っているようで、それは男である西院堂を相手にも勝るとも劣らぬ、凄まじい戦闘力であった。
「こりゃあ、お前さんも流石にヤバイんじゃねーか?」
「……うーん、何とかなるんじゃあ」
自分でも驚くほどに楽観視してしまうのは、天狗になっている証拠だろうか。
どういうわけか、あまり負ける気がしない。
きっとアメリカン・スーパーヒーローも同じような気持ちだったのではなかろうか。と、くだらない事を考えつつ、試合の行方を注視した。
ブロック決勝試合は五分、十分と続いた後、十五分もした頃には行く末が見えてきた。
法華津の西洋剣による斬撃を刹那に見切り、西院堂がそれを白羽取りにする。
誰もが"西院堂の勝ちだ"と思ったその時、彼は不自然に吹き飛ばされ、場外へと吹き飛んだ。……立ち上がる素振りすら見せず、やがて試合終了の銅鑼が鳴らされた。
「……何じゃ今の、見たかよ」
「うん。絶対に男が勝つと思ったんだけどね。何というか、まあ……不思議だった」
ぽかん、と控え室にいた面々が、表情を疑問色に染めて口々に呟いた。
実況の解説や観客の怒号など耳には届かず、ただただ今起こった事態に関しての推測ばかりしていた。
若干の静寂の後、我に返ると、いつまでも鳴り止まぬ歓声や拍手が会場に降り注ぐ中、淡々と控え室に戻って来る者に気付いた。
一同が彼女に対して様々な意図が含まれた視線を向けるが、彼女はそれに目もくれず、乱れた呼吸を隠すかのようにして控え室の奥へと消えた。
本選トーナメントの決勝戦を前に、幾許かの休憩時間が用意されていた為、戦闘に疲労した彼女は回復を図ろうと、専用の施設に向かっていったのだろうか。そんな事を考えていると、誰かが呟いた。
「……ふぅ、おっかねぇな。あの女、嫁に貰ったら絶対尻に敷かれるぜ」
「残念な美人って感じだよな。もっと気さくな奴なら、話しかけられるんだがな」
控え室にいる男達が、そう色の付いた会話をし始めた。因みに現状だと、僕とあの法華津という女以外、全て敗者組となる。
これから行われる試合に対して憎しみだとか、嫉妬だとかという感情は一切なく、皆が試合を応援してくれた。
無論、僕が勝つようにではなく、健闘するように、と。口は汚いが、月に住む人達は存外に良い人達が多い。
「おい、天野」
決勝を控え、様々な事柄について思考をし緊張を解していると、不意に薬師寺が声をかけてきた。
彼の表情は何というべきか、普段通りの厳つい表情をしているものの、何処か優しさも垣間見える表情で、
「此処まで来たんだ、負けんなよ」
同時に、背中に軽い衝撃が走り、背を叩かれたと認識した。
彼なりに僕の事を激励してくれているのだろうか。彼はそれだけ言うと控え室の一番前のシートに座り、腕を組んで会場を一望した。
決勝戦開始のアナウンスが流れれば、直ぐに試合が始まる。
決して長くはない待機時間は、今の僕にとっては無限にも感じられる時間であり、思い耽る余暇さえも与えてはくれない。
いざ往かん、決勝へ。
* * *
大歓声に包まれる会場は、最新鋭の設備によるバックライトにより、美しく照らされていた。
見上げれば思わず目を瞑ってしまう程の眩い光。下手をすると、日中よりも明るいのではないかとさえ思ってしまう。
「"皆様、長らくお待たせしましたッ! 只今より本選トーナメント、決勝戦が開始されますッ! 幾多の闘いを制してきた選手達がッ! 今、武舞台に上がってまいりますッ!"」
怒号にも似た実況。会場内のボルテージは既に最高潮に達しており、会場内はフラッシュ撮影が禁止されているにも関わらず、観客席からの激しい光が武舞台を飾った。
大歓声に湧き上がる会場の中、僕は武舞台の小さな階段を上がり、頑強な武舞台を見据えて対戦相手を待った。
前方に視線を向けるのが気恥ずかしく、若干俯いた。
「"今大会のダークホース、試験番号0147番、天野義道選手が東側から登場ですッ!"」
いつの間にやら僕の解説が変わっており、気付いたらダークホースなどと称されていた。恥ずかしい。
湧き上がる歓声も初戦の時とは段違いであり、轟々と会場が震えているのが肌身に感じられた。
次第に歓声が小さくなる。
完全に歓声が収まると、眼前から対戦相手である法華津という女が、落ち着いた表情で淡々と入場してきた。
「"武術大会優勝の肩書きは伊達ではない、天馬空を行くとは彼女の事ッ! 試験番号0009番、法華津蓮選手が西側からの登場ですッ!"」
実況と同時に、怒号の如き大歓声に会場が震えた。
何やら遠くの観客席からは大旗が振られており、謎の応援部隊まで登場している始末であり、僕よりも有力候補なのは間違いない。
大歓声の中、沈黙でいるのも気恥ずかしかったので、目の前の法華津に向けて、
「……よろしく、法華津さん」
騒がしい実況が行われる中、僕は相対する彼女に向けて軽く手を上げて挨拶をしてみた。
割りと距離があるので聞こえているかどうかは分からなかったが、彼女は此方に対して何も行動を起こさなかった。
「"熱き闘いの火蓋が間もなく切って降ろされますッ! 決勝の行方はッ! そして優勝旗を掲げるのはどちらになるのかッ!"」
元を辿ればただの試験なのに、優勝旗とか存在するのか。
まぁ、名目上は登用試験だが、組織的な狙いは試験による人員補強と、大規模な他流試合による経済効果に、世間に対する売名行為に違いない。
あくまで僕の推測に過ぎないが、規模が余りにも大きすぎるため、それしか考えられなかった。
──そして試合開始の合図が鳴らされる。
重厚な法螺貝に近いそれは歓声よりも強く、大きく。明確に僕の耳にまで飛び込んできた。
対峙するのは、僕の背丈よりも若干低い女性試験者、法華津蓮。彼女は静かに西洋剣を抜刀し、下段に構えたままゆっくりとした動作で接近してくる。不気味な迄に、堂々とした姿。
「いいね、凄く……それっぽい」
額から嫌な汗が流れる。
今まで相手にしたどの対戦者よりも泰然としており、不気味なほど冷静な彼女を視界に入れると、恐怖さえ覚える。
負けじと僕も似たような動作で彼女に向けて足を動かし、一歩一歩確実に距離を詰める。
「……来い」
互いに攻撃が届く位置まで接近した。彼女が言葉と共に、精巧な造りの西洋剣を振り上げた。
初めて聞いた彼女の肉声は、女性のものと比べると低いが、確かに女性の声質である。
後退し、神速の斬撃を避ける。懐からダガーナイフを抜き取り、刺突の応酬。
得物が小さい分、速度的な有利はこちらにある。相手に攻撃をさせる暇を与えない。
暫くの間、西洋剣で僕の攻撃を弾いていた彼女であったが、二歩、三歩と後退した後に、左足を軸にして緩やかな動作で旋回すると、大きく振り被った西洋剣を真上から振り落としてきた。
亀よりも緩慢な攻撃だったと察知した僕は、刃が振り落とされる直前にそれを回避して迎撃をしようと思い、身構える。……だが、それは愚考であった。
「──えッ」
刹那、法華津の得物である西洋剣が異常な加速力で振り落とされた。
間一髪それを避ける事は出来たものの、西洋剣は武舞台の地面を破壊し、深い穴を作った。
何という威力だ。遠目から観戦したのではまるで想像がつかぬ、強力な一撃。
まるで断頭台が執行の為に振り落とされたのかのような、そんな恐怖さえ覚える。
法華津は振り落とした西洋剣を再び構えると、僕の前に対峙して、
「……衝撃波を使う能力。決勝戦を前に出し惜しみをしていたが、漸く使うことができる」
刃先を此方に向け、そう口上に述べる。不気味な笑みを浮かべていた。
どうやらこの女、ただの試験者ではなかったようだ。
何故わざわざ僕に能力を明示するのかは不明であるが、恐らくは戦闘に対する余裕さから来るものと推測できる。
恐ろしく低い声で、法華津は言い放つ。
「貴様も能力者だろう。圧倒的な試合を見せてもらったからな、常人ではあるまい」
「……へぇ。能ある鷹は爪を隠すって言うけど、君も不思議な力を使える人なんだ」
先程の強力な一撃も、恐らく"衝撃波を使う"という能力の片鱗なのだろうか。
ならばあの剣撃を受ける前に、此方の攻撃を与えて気絶させてしまえば、何の問題もないじゃあないか。
そう思考し、ダガーナイフを片手に攻勢に転じる。
得物が小さい分だけ接近すればするほど、格闘術による攻撃方法も可能なので、僕が有利。
常軌を逸した程の反射神経を有した僕に、見切れない攻撃などない。
「ふっ、近接戦闘か。……面白い」
ニヤリ、と口角をあげる法華津。
ダガーナイフによる極小の斬撃を受け流されつつも、法華津はそう言い放ち鼻で笑った。
接近の斬り合いに持ち込めば僕の方が有利だったのだ。あの衝撃波だとかいうものも、剣に宿して扱うには何らかの条件がいるに違いない。力で圧倒される事もない。
いや、むしろ得物こそ小さいが、腕力ならば僕の方が上だ。
ダガーナイフと西洋剣が激しい金属音を奏でると、必ず僕の得物が彼女の得物を押し退けるのだから。
──いける。このまま押し続ければ、必ず致命的な隙を相手に生じさせる事が出来る。
そう思いつつダガーナイフによる刺突を繰り返していると、、突然彼女の西洋剣の動きが止まる。
彼女の空いた手の平が僕に接近する。とても遅く、不器用な掌底だったのだが、
「──ッ、わっ!?」
ぽん、と軽く吹き飛ばされた。驚くほど簡単に、地上から足が離れた。
痛みや裂傷などは全くなかったのだが、ゴムボールが飛んでいくような感じで僕は吹き飛ばされた。
けれども難なく着地し、左手を地面に添えて体勢を整え、
「……ふぅ。でたらめな力押しだな。それが貴様の能力か」
法華津が言った。
僕は額に滲んだ僅かな汗を拭って、
「……さぁーね。別に隠しているわけじゃあないけど。隠すより現るって言うからね」
秘め事というものは、隠そうとすればするほどボロが出やすいので、敢えて隠さない方が良い時もある。
僅かな斬り合いだったが、法華津は額に玉のような汗を浮かべており、若干ではあるものの息を切らしている様子であった。
その辺りは流石に女性だったというわけだ。……実は僕も、少し疲れてきている感は否めないが。
あまり長期戦になるのは互いに良しとはしていないだろう。僕とて、そろそろ終わらせてしまいたいと考えているのだから。
法華津は自ら攻勢に転じるという事はなく、額に溜まった汗を拭うように前髪をかき上げると、西洋剣を真上に構えた。
満月を描くかのように、ゆっくりと西洋剣で弧を描く。刃先を零時の方向へと直立させ、構えた。
「何のつもり」
思わず僕はそう問いかけた。
「次で終いにしようと思ってな。貴様を屠る必殺の一撃……」
それだけ述べると、法華津は瞳を閉じ、西洋剣を天高く構えたまま静止。
まるで何かの構えと言わんばかりに。──そう、刀技でいうところの"居合い"に近い感じの。
得物や構えはまるで違うが、天高く掲げられた西洋剣は、恐らく先程の強烈な衝撃波と共に振り落とされてくるのだろう。
迂闊に近づけば、確実に衝撃波に押し潰されてしまう。
ならば、どうすれば──と、模索したが、途中で止めた。
何故ならば、僕にも明かしていなかった能力があるから。あの女の能力にも決して見劣りしない、修練に修練を重ねた能力が。
「……ひとつだけ言っておくよ」
直立不動のまま構えを解かぬ法華津に対し、僕は独り言に近い弁論を述べる。
「君は寡黙そうに見えて、実は物凄くお喋りな奴だね。天機洩らすべからず……僕の知ってることわざ」
それだけ彼女に向けて言い放つ。ダガーナイフを強く握り、彼女に肉薄。
法華津は射程範囲内に獲物が飛び込んだその瞬間、天高く掲げられた西洋剣を、一気に振り落としてきた。
地獄の断頭台が執行されるかのような、強力かつ無慈悲なる一撃。衝撃波を纏い、僕の胴体を引き裂かんとする。
だがその一撃は、幻のように露と消えた。
「──なッ!?」
尚も西洋剣を振り落とす動作の法華津は、事態の異変に気付き表情を歪めた。
僕はそれが面白くて、思わず口角をあげた。しかし、攻撃はやめない。意味を為さぬ彼女の攻撃など、避けるまでもない。
「何も衝撃波をまともに受ける必要はない……騎士道精神に達観した"おりこーさん"じゃあないんだからね」
邪魔なのなら、分離してしまえ。
衝撃波を纏った刃はとても危険だったので、鍔と刃の部分を僕の能力を用いて"分離"させた。
刃は振り落とした際の力であらぬ方向へ吹っ飛び、柄と鍔の部分だけが僕の目の前で空を切った。
そして生じたのは、絶望的なまでの致命的な隙。
当然の如く、僕がそれを見落とす筈もなく。彼女の鳩尾に目掛け、拳を放った。衣服越しからでも伝わる、肉を抉る感覚。
「……がッ……く……っそぉ……ッ」
最後は悔しそうに、蒼い瞳を一層鋭くさせて僕を睨み付けながら、彼女は膝を折り曲げ崩れ落ちた。
足元で震えていた身体がやがて動かなくなると、審判員の人が武舞台に上がり、彼女の意識が失われた事を公式に宣言した。
すると少しの間の後に、試合終了の合図を意味する重厚な銅鑼が鳴る。一斉に会場全体が湧き上がり、天地を震えさせた。
「"──決着ゥゥッ!! 総参加試験人数、数千を超えるトーナメント試験の優勝者はッ!!"」
盛大な花火が打ち上げられた。続々とファンファーレまでもが鳴り出し、
「"試験番号0147番ッ!! 天野義道で完結だぁァァッ!! "」
轟々、と大歓声に会場は包まれる。
もう何度も何度も聞いている歓声であるが、今回のは少し違った。
誰かの名前を観客達が叫んでいる。まるで何かを支持しているかのような歓声にも近い。
たぶん、この大会の主催者か、或いは──
「"天野選手には優勝の栄誉を称え、綿月家からの勲章が贈呈されます! 更に副賞として大会の各スポンサーから記念品の贈呈です!"」
威風変わった旗があちこちに掲げられており、真っ赤な布地に大きな月のような物体が美しく描かれていた。
月の都版の"星条旗"といったところであろうか。その星条旗があちらこちらで振るわれており、会場全体は大いに盛り上がっていた。
正直、こんな大袈裟なものになるとは思ってもいなかったので、僕の頭の中は真っ白となっていた。気恥ずかしさなど、疾うの昔に消え去っている。
武舞台でただ立ち尽くしていると、誘導員に手を引かれ何処かへ案内される。
会場から降ろされ、見知らぬ部屋へと通された。会場全体を包む大歓声も、徐々に露と消え始めて。
会場側から扉一つ隔てた程度の部屋なのだが、無機質で何もない……けれどもその部屋にいるだけで、何だか癒されるような特殊な感覚に癒される。
みるみるうちに疲労が回復していくような、そんな感覚。
少しすると、今度は試験官の玉兎が部屋に訪れてきた。少し息を切らしていた。
あくまで僕は試験者側の立場で、本来ならば試験官が目上の筈なのだが、今回ばかりは相手が謙っていた。
「お疲れ様です、天野選手。どうぞ、飲んで下さい」
「……ありがとうございます」
容器に入った透明な液体を口にすると、喉の渇きが一気に潤わされ、身体を包んでいた気だるさも一気に拭われた。
味も甘くて美味しかったので、喉を鳴らして飲み干す。直ぐに全部飲むのは気恥ずかしかったから、半分だけ残した。
「三十分程お時間を頂戴させて頂きますが、何か欲しいものとかありますか?」
突然、試験管がそんな事を言い出した。僕は慌てて、
「ちょ、ちょっと待って下さい。試合はもう終わったのでは」
「あ、もしかして忘れてるんですか。エキシビジョンマッチですよ、依姫様との。観客達は試合の行方よりも、むしろそちらの方が見たくて集結したと言っても良い程ですのに」
暢気な微笑みを見せる玉兎の試験官にそう言われ、僕はようやっと思いだした。
そうだ、そういえば最後の最後にエキシビジョンマッチとやらがあったんだった。
綿月依姫との……すっかり忘れていた。本音を言えば、もう満足だ。再びあの舞台に上がりたいとは思わない。
そんな事を考えつつ茫然自失としていると、試験官はにこにことした表情で、
「では、試合の調整がありますので、私はこれで。何かありましたら、此方のボタンでお知らせ下さいね」
それだけ言い残すと、自動扉の奥へと消えていってしまった。
嗚呼、漸く終わったと思っていたのに……と、僕は再びあの舞台に上がらなければならない事に、辟易とした。
* * *
──武道会場を一望できる、とある一室にて。
後世に語り継がれるのではないかと思えてしまう規模の、今大会の模様を窺っているようにして。
登用試験至上初でもある大規模トーナメント形式の行方は、およそ大成功で完結した。
けれどもまだ、綿月家側には一つの思惑が残されていた。
「まさか、こんなにも規模が大きいものになるとはね」
青と白を基調とした服を纏った、銀髪の女がそう呟いた。
「ええ……これでは少し、闘い辛いです」
「そぉ? 素敵だと思うけど。このような晴れ舞台、月の裏側まで探したとしても、此処以外に存在しないでしょ」
薄紫色の長髪を黄色のリボンで結ったポニーテールに、白く半袖の裾の広いシャツ。
更にその上に右肩だけ肩紐のある、赤いサロペットスカートのようなものを着用した少女。
彼女の名は、綿月依姫。今大会の目玉であり、各種記者も注目している者である。
彼女の事を元気付けようと背中を撫でているのは、腰ほどまでもある金髪に、黄金の瞳をした少女。
似たようなシャツに加え、彼女の場合は左肩だけ肩紐のある、青いサロペットスカートのようなものを着用していた。
彼女は綿月豊姫。今大会である綿月依姫の姉であり、彼女らは姉妹である。
物腰重く達観した瞳で会場を一望し、淡々と感想を述べる女性がもう一人いたが、彼女は静かに口を開き言葉を並べる。
「貴女が再び台頭するのに相応しい舞台だと思うけれど。規則や規定に捉われない試合なのだから、貴女の能力の良い練習舞台になるんじゃあないかしら」
「……そうですね。今までは試合で迂闊に神霊を使役する事は出来ませんでしたが、許可が降りるのでしたら」
「良いんじゃない。エキシビジョン……模範試合なんだから、依姫の好きなようにやって」
豊姫がそう愉快そうに告げると、依姫は楽観的な姉に対して頭を抱えた。
名も知らぬ銀髪の女性は、然も泰然とした表情で未だ歓声に包まれる会場を眺めるだけで、彼女達に対して特に言葉を差し入れるという事はなかった。
決勝戦が終了した直後の出来事、武道会場の何処とも知れぬ部屋で行われた、極々小さなやり取りである。