1st プロローグ
「兄貴ぃ、就職活動、したら。今ならまだ第二新卒で採ってもらえるんだからさ」
妹が言う。可愛い可愛い俺の妹が言う。手にしているのは日の丸印の成分無調整牛乳。それを飲み続ければボン・キュッ・ボンになれるのだと、可愛い俺の妹はそう信じていた。
「……いやだ。俺は、勇者になるんだ。勇者になって、世界を救うんだ」
居間の薄茶色のソファに寝転んだまま、猫ちゃんクッションを抱えた俺はうめく。俺はうめく。猫ちゃんクッションを抱えたまま。
妹は言った。牛乳を一口飲んで。
「自分の今日も救えない人間がどうやってセカイを救うのよ。……そもそも、世界を救うって何? 恐怖の大王でも攻めてくるわけ?」
「うるさい。うるさい。うるさい……」
耳をふさいで俺はうめいた。そんなことを言うのは親だけで十分だ。三人目の親なんかいらない。
「……ああ、もう。学校行ってきます」
俺の可愛い妹はカバンを手に取り、くるりと背を向ける。カバンについている毛玉のストラップがゆれた。
「……俺は」
居間には俺だけが取り残される。ーー世界中の人間から見捨てられたみたいに。
ここには、誰もいない。
誰かに、価値があると、言って欲しかった。就職なんてしなくても、定期預金の残高がゼロでも、学校に行かなくても、俺を肯定してくれる何かが。
ごろりと寝返りを打った俺の目にふと、一枚のチラシが止まる。
「メイドロボ、無料で差し上げます……? 先着一名様、……」
俺は体を起こすと、パソコンの電源を入れた。
「ええと、注文方法……、このサイトを開いて、必要事項を入力……。一週間後にはあなたの元に、理想のメイドさんが届きます……。……ハッ、まさかな」
言う俺の手は、すでに入力を終えていた。
「送信しますか? ハイ、と」
*
一週間後。
俺の元に小包が届いた。
ドキドキしながら、ガムテープをはがす。
「……何だ。フィギュアじゃねえか」
ひざを抱えた体勢で、成人女性サイズのメイド服姿の物体が押し込まれてあった。
ひっくり返すと背中に、電池を入れる場所があった。
「単三電池……あったかな」
台所の引き出しを漁る。
残量の定かでない使いかけの電池がいくつか、散らばっていた。
「……コレでいいか。しかし手の混んだイタズラ……」
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
「うわっ!?」
喋った。メイド姿のフィギュアが。
「……たく。びっくりさせんな……」
続けて高い声が言う。
「また遊ぼうね、お兄ちゃん!」
「メイドの次は妹かよ……」
「ほかにもオプションはございますよ」
メイドロボは言う。
「……ほう、例えば?」
にこりとメイドは微笑んだ。
「ご苦労様です、勇者様」
「勇者って……需要なくね?」
俺は言った。
「そんなことはございませんよ。何でしたら魔王様とお呼び致しましょうか?」
「今日から俺は……」
「行ってらっしゃいませ、魔王様!」
にこりと再びメイドは笑う。
「……はー、しかし、よく喋るフィギュアだなあ」
「そうでございましょう、そうでございましょう。アナタを今夜は寝かせない。これが当シリーズのキャッチコピーでございます」
「電池を外そう」
「ああんっ、嫌、ご主人様……!」
台所に沈黙が訪れた。何だったんだ今のは……。
再び電池を入れる。
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
「なんで始めはメイド仕様なんだ……?」
「パソコンでいうところの起動音でございますね。例のサイトから追加オプションをご購入頂きますと、変更が可能……」
「……日常なんか要らないんだ」
「……はい?」
メイドロボは首をひねる。
「俺が求めているのは冒険、心躍る非日常なんだ。わかるか、メイドよ」
「厨二病というやつでございますか。それともセブンティーン・クライシス? 機械には分からないことばかりでございます」
「こんだけ滑らかに喋っといて機械かよ……」
「最近の技術力の進歩には驚嘆の一言でございますね」
「ご主人様、どちらへ?」
居間から出て行こうとする俺へ、メイドが呼びかける。
「タバコ買ってくる」
「おタバコは体によくありません!」
怒った。メイドが。
ソレはいとも自然な動作で動き、両腰に拳を当てて怒ったポーズをしている。
俺はーー
「うわぁあああっ!?」
ーー驚いた。
「……タバコタバコ!! ライター!!」
「現実から逃げてはなりません! 見つめるのです、喫煙による発癌のリスクを!!」
「嫌だ! 俺はタバコがないと手が震えるんだ! 夜も眠れない! 頭も働かない!」
「コーヒーで代用が効きます! 禁煙しましょうお兄ちゃん!」
「メイドか妹かハッキリしろぉおおお!!!」
……俺とメイド人形の攻防は、リアル妹が学校から帰宅するまで続いた。
「ただいま~。……何してんの兄貴」
「ち、ちょっと運動をな」
嘘は言っていない。俺のポケットから盗んだライターを持って逃げ惑うメイド人形を、家中追いかけ回した。
「ふぅん。邪魔だからどいて」
俺は冷蔵庫の前に立っていた。
俺がどくと、妹は冷蔵庫から牛乳を出し、コップに注いで飲んだ。
*
「……ご主人様、就職活動サイトでございますか?」
部屋に戻った俺はパソコンの前に座り、いつも眺めている就活サイトのトップページを眺めていた。
「……ああ、うん。登録しても返答はないけど、一応さ」
ポチポチとクリックして、少しばかり気になった企業の登録ボックスにチェックマークを入れていく。
ーー何てことは無い、気休めだ。
いつもの、気休めだ。
あとがき
読んでくださった方、ありがとうございます。