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今日の話

朝が来た。

昨日あれだけ怒られたのに、世界は何事もなかったかのように普通に始まる。そんな当たり前が、今日はやけに重く感じる。

僕はいつも通り、避難小屋へ向かって歩いていた。

今日も訓練だ。

……いや、訓練だけじゃない。

本命が残っている。昨日言い渡された“厳しい訓練”。考えるだけで胃が痛くなる。

はあ、とため息をつきながら畑の横を通ると、見慣れた二人の姿があった。

シア姉とハル兄が、すきを引いて畑を耕している。

土を掘り返すたびに、重そうな音が響く。

あれをやらされると思うと、シア姉の悲鳴も納得できる。

あとハル兄は何で笑ってるんだろう。

「うわ……」

思わず声が漏れた。

シア姉はこっちに気づくと、ものすごく恨めしそうな目でこちらを見てきた。

……見なかったことにしよう。

僕ももう逃げられない。

今日は大人しく、全部受けるしかない。

そう自分に言い聞かせながら、避難小屋に入ると、すでに何人かが集まっていた。

いつもの顔ぶれだが、今日は少しだけ雰囲気が違う。

そこに、ゆっくりと薬屋のおじいさんがやって来た。

「はい、今日は多く見られる魔物の生態と避け方について教えたいと思いますが――」

始まった。

何度も聞いた、あの説明だ。

「今日からマルさん家の子がいるから、まずは普段の生活で気を付けることから始めます」

またか。

内容は知っているはずなのに、今日は全然頭に入ってこない。

このあとどんな訓練が来るのか、そればかり考えてしまう。

「あ、そうだそうだ、アルト君はこれを揃えてなさい」

突然呼ばれ、差し出されたのは三つの紙の束だった。

一つは植物の絵。

一つは名前。

もう一つは採取時の注意点。

……嫌な予感しかしない。

軽くめくってみると、一束だけで軽く百枚はある。

三つ合わせたら三百以上。

「え、これ……」

声に出そうになった瞬間、すでに全体への説明が再開されていた。

「次は原能について話します」

完全に置いていかれた。

僕は慌てて束を並べ始める。

絵と名前と注意点を一致させるだけ……のはずなのに、全然分からない。

知ってるやつもある。

でも知らないやつも混ざってる。

きつい。

想像以上にきつい。

「次は気を付けることを教えるね。原能は体から離れてても、血からも出せるから、転んでけがしても使ったらだめだよ」

説明はどんどん進む。

こっちはまだ数十枚しか見れていない。

それでも、分かるものだけ先に並べていく。

少しずつ形になっていくのが、唯一の救いだった。

「こら、そこ話さない。ちゃんと聞きなさい。これは君たちの狩りにも関係あるんだから」

おじいさんの声が響く。

「そんなことをしてると返り血浴びて、わけのわかんないうちに殺されるよ」

……怖いことをさらっと言う。

でも今はそれどころじゃない。

分からないカードがどんどん増えていく。

気づけば、まだ四十枚しか見れていないのに、分からないものが九枚もある。

最悪だ。

そのまま、悩みながら並べ続ける。

時間だけが過ぎていく。

残りが十枚ずつになったあたりで、完全に手が止まった。

どれも似ている。

違いが分からない。

「はい、今日は終わり。明日も来るんだよー」

終わった。

いや、終わってない。

僕だけ終わってない。

焦る僕の前に、おじいさんがゆっくりと歩いてくる。

「終わるまで待っててあげるからね」

やさしい声。

……いや、やさしくない。

「おや、こことここも違うよ。これも……」

次々と指摘される。

間違いがどんどん増えていく。

終わった。

十五枚ずつ、きれいに戻ってきた。

絶望しかない。

頭を抱えながら、もう一度並べ直す。

その時だった。

「アルト」

聞き慣れた声に顔を上げると、村長が立っていた。

その隣には星野さんもいる。

なんだろう。

嫌な予感がする。

「アルト君は、外の世界に興味があるかい?」

突然の問いだった。

一瞬、言葉に詰まる。

でも、その答えは決まっていた。

「……まあ、あります」

村長はゆっくりと頷く。

「そうかそうか」

少し嬉しそうに見えた。

「ならば星野君についていってくれないかい?」

——は?

頭が真っ白になった。

村の掟では、大人しか外に出られない。

成人は十五歳。

僕はまだ十四だ。

なんで。

疑問がそのまま顔に出ていたのか、村長はそのまま続けた。

「君の原能は便利だからな。それに成人式にも参加していただろう」

確かに参加はした。

でも、それでいいのか?

「だから、もう大丈夫なことにする」

……無茶苦茶だ。

理由としては納得できない。

でも。

外の世界。

ずっと気になっていた場所。

知らないことだらけの世界。

星野さんみたいな人が来る場所。

僕は少しだけ考えて、すぐに答えを出した。

「……行きます」

すると村長の後ろにいた星野さんが、ほっとしたように、そしてどこか嬉しそうにこちらを見ていた。

その表情につられて、僕も少しだけ嬉しくなる。

「そうか、では2日後の商隊の人にお願いしておくから、町まで連れて行ってもらいなさい。あとルクシアにも一緒だからよろしくね」

そう言うと、村長はそれ以上何も言わず、星野さんをその場に残したまま去ってしまった。

……え、終わり?

もう少し説明とかないの?

取り残された僕と星野さんは、少しだけ顔を見合わせる。

シア姉も一緒に来るのか。

正直、かなり心強い。あの人は強いし、前に出るタイプだから戦いでも頼りになる。

……でも。

絶対めんどくさいことも増える。

自由に動き回るし、思いつきで行動するし、たぶん止める役は僕になる。

はあ、と小さくため息をついた。

でも、それ以上に外の世界へ行けることの方が大きい。

不安もあるけど、それ以上に楽しみだ。

そういえば――

「あ、目的地どこだろう?」

ぽつりと呟いてから、すぐに星野さんの方を見る。

「あの、星野さん……いや、星野君はどこに行きたいの?」

そう聞くと、星野君は少し考えるように目を泳がせたあと、ゆっくりと言葉を選びながら話してくれた。

「えっとね……英雄都市ってとこに行きたい」

英雄都市。

その言葉を聞いた瞬間、頭の中にぼんやりとした記憶が浮かぶ。

確か、人類最強と呼ばれた人――ヒュマリアを中心に作られた都市。

魔術と技術が発展していて、他の場所とは比べ物にならないくらい安全で、そして危険な場所でもあるとかなんとか。

……正直、詳しいことはほとんど知らない。

でも。

「英雄都市か……」

自然と口元が緩む。

「いいね、なんかすごそうだし、楽しそう」

胸の奥がわくわくしてくる。

知らない場所、知らない人、知らない景色。

全部が新しい。

でも、ふと現実的な疑問が浮かぶ。

「でもここからだと遠くない?たしか別の大陸にあった気がするんだけど」

そう言うと、星野君は頷いた。

「うん、だから行くんだったらアルトとルクシアを連れて行けって、村長さんが言ってた」

……なんか、すごく雑に決められた気がする。

僕たち、便利な人材扱いされてない?

まあ、いいか。

外に出られるなら、それでいい。

「そっか……」

改めて実感が湧いてくる。

村の外。

今までほとんど出たことがない世界。

危険も多いけど、それ以上に知らないことだらけの世界。

……やっぱり楽しみだ。

そんなことを考えていると、ふと気になることが一つ浮かんだ。

「あれ、そういえばさ」

星野君を見る。

「初めて会ったとき、走るの遅かったし、魔術も使ってなかったけど……大丈夫?」

正直な疑問だった。

この世界で魔術が使えないって、かなり致命的だ。

特に外に出るならなおさら。

そう言うと、星野君は一瞬固まってから、はははと少しだけごまかすように笑った。

「はははー……実は魔術使えないんだー」

「ええ!?」

思わず声が大きくなる。

魔術が使えない?

それで森の中にいたの?

よく生きてこれたな……。

いや、本当に。

普通だったら魔物に襲われて終わりだ。

運が良かったのか、それとも――

……考えても仕方ないか。

でも、このまま外に出るのはさすがに危ない。

うーん。

「じゃあさ」

少し考えてから、僕は言った。

「村出るまでに、魔術教えたほうがいいよね」

最低限のことだけでも覚えておかないと、命に関わる。

「よし、じゃあ今から――」

そう言いかけた、その瞬間だった。

「アルト君、まだ終わってないよ」

その一言で、現実に引き戻された。

……あ。

完全に忘れてた。

振り返ると、薬屋のおじいさんがじっとこちらを見ている。

逃げ場はない。

「あ……ごめん星野君、僕戻らなきゃ」

一気に気分が沈む。

さっきまでのわくわくが、全部どこかに消えた。

「ごめん、ありがとね」

星野君は申し訳なさそうに言う。

「いいよいいよ」

軽く手を振る。

「あ、シア姉に教えてもらってきなよ。あの人教えるの上手いし」

……たぶん。

「じゃあまた明日」

「うん、ありがとう。また明日」

そう言って別れ、僕は重い足取りで戻る。

そして、現実。

机の上に並べられた大量の紙。

……無理だろこれ。

さっきよりも余計に分からなくなっている気がする。

一枚一枚見ていくけど、違いが分からない。

似ているものばかりで、頭が混乱してくる。

だめだ。

完全に詰んだ。

「……教えてください」

結局、素直にそう言うしかなかった。

おじいさんは少しだけ笑って、ゆっくりと説明を始める。

一つずつ、丁寧に。

僕はそれを必死に聞きながら、カードを並べ直していく。

こうして僕は、外の世界への期待と不安を抱えながら、現実の厳しさをもう一度思い知らされるのだった。


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