異世界からの迷い人
やり切ります
「はい、今日はここまで。後は帰って家の手伝いをしなー」
訓練役の大人の声が響いた瞬間、張り詰めていた空気が一気に緩む。
村の子どもたちは一斉に息を吐き、それぞれの帰り支度を始めた。
今日もいつも通りの訓練。
木剣を握り、振って、打ち合って、また振る。
でも――
僕の中には、何か足りない様な感覚が残っていた。
「……まだ、足りない」
小さく呟いて、僕は一人その場に残る。
握り直した剣を、もう一度振り下ろした。
ヒュン――
空気を裂く音が、静かに耳に届く。
背後では、まだ元気の有り余っている連中が、木剣を打ち合わせて遊んでいる。
カン、カン、カン。
楽しそうな音。
笑い声も混ざる。
それを背に受けながら、僕はただ剣を振り続けた。
一振り。
もう一振り。
少しでも、強くなりたくて。
――そのとき。
足音が、ひとつ。
僕の後ろに近づいてくる気配がした。
「まだ剣振ってるの〜?」
振り返ると、そこにいたのは短い白髪の少女。
僕より少し背が高く、どこか自信に満ちた立ち姿。
軽く肩を揺らしながら笑っている。
二歳年上の幼馴染。
ルクシア――シア姉だ。
「いいじゃん、ちょっとくらい。それに、シア姉は家の手伝いはいいの?」
そう言うと、シア姉は一瞬だけ顔を逸らして――
「ははは〜」
誤魔化すように笑った。
「また怒られるよ」
僕がそう言うと、シア姉は目を泳がせながら、少しだけ声を小さくする。
「だいじょぶ、だいじょぶ。美味しいもの取って帰れば許してくれるよ。たぶん」
「またそれ……この前もそれで勝手に森入って怒られてたじゃん」
指摘すると、シア姉は頬を膨らませて、不満そうにこっちを睨んできた。
そのまま、数秒の沈黙。
風が、草を揺らす音だけが流れる。
――そして。
ぱっと、何か思いついたように顔を上げると、にやっと笑った。
「じゃあさ」
嫌な予感がした。
「今日こそ、あんたを森に連れてくから」
「……は?」
次の瞬間には、僕の体はふわりと浮いていた。
「ちょっ、ちょっと待って!離せって!」
肩に担ぎ上げられている。
僕はまだ十四歳。
この村では十五歳以下は、村長の許可なしに森へ入るのは禁止されている。
だから必死に抵抗する――けど。
「無駄無駄〜」
シア姉は軽い調子で笑いながら、そのまま歩き出す。
力の差は歴然だった。
僕がどれだけ暴れても、びくともしない。
「ふふんー。私に剣で勝ったらいいよー?」
からかうような声。
――無理に決まってる。
シア姉は剣神の加護を持つ、正真正銘の天才だ。
同年代どころか、大人相手でも普通に渡り合う。
僕が勝てるわけがない。
結局、抵抗は虚しく。
僕はそのまま森の入り口まで連れてこられていた。
木々が密集し、昼でも薄暗い場所。
風が通るたび、葉がざわりと揺れる。
「ほら、来たよ」
そう言って、ようやく降ろされる。
僕は軽くため息をついて、肩を落とした。
「……もういいよ。どうせ来ちゃったし」
諦め半分でそう言うと、シア姉は満足そうに笑う。
「でしょ?」
そのまま当然のように、森の奥へと歩き出す。
僕も、仕方なくその後ろをついていく。
「シア姉、一緒に山菜探すのはもういいけどさ……魔物が出てきたらどうするの?僕、武器ないんだけど」
森に入ってからしばらく。
薄暗くなり始めた木々の間を歩きながら、僕はようやく口を開いた。
さっきまでの勢いとは違って、少しだけ現実が見えてきたのだ。
シア姉はその言葉を聞いて、一瞬きょとんとした顔をする。
「あ……」
どうやら、本当に忘れていたらしい。
それでも次の瞬間には、いつもの調子で笑った。
「まあ大丈夫でしょ。私には剣があるし、アルトは魔術が得意だし」
「いや、使えるだけだよ……」
思わずため息が漏れる。
確かに僕は魔術が使える。
でも、それは“使えるだけ”だ。
シア姉が使えなさすぎるから相対的にそう見えるだけで、僕自身はまだまだ未熟だ。
そんなことを考えながら、僕は意識を周囲に向ける。
耳を澄ます。
命あるものには必ず備わっている――原能。
その力は人によって千差万別で、形も、性質も、使い方も違う。
シア姉の原能は“足場を生み出す力”。
どんな場所でも踏み場を作り、自在に動ける。
そして僕の原能は――音。
正確には、“振動”に近いもの。
音を感じ、広げ、捉える力。
炎や音のような系統の原能を持つ者は、そういった現象に対する耐性や感知能力が強くなる。
僕はまだそれを使いこなせない。
けど――
周囲に何か“いるかどうか”くらいなら、分かる。
静かに呼吸を整え、感覚を広げる。
森の中に広がる微細な揺れ。
風の流れ。葉の擦れる音。
その中に、“異物”が混ざっていないかを探る。
「……今のところ、大丈夫」
小さく呟きながら、僕は手を動かす。
見つけた山菜や木の実を選び、魔術で簡易的に作った籠に入れていく。
魔術は得意じゃないけど、こういう簡単なものなら問題ない。
「全然見つかんないよ〜。なんでそんなに見つけられるの〜」
シア姉は少し離れたところで不満そうに声を上げる。
「ちゃんと見てないだけだよ……」
軽く返しながら、もう一つ拾おうとした――そのとき。
バチ。
「……っ」
違和感。
今の音は、自然じゃない。
思わず足を止める。
「んー?どうしたの?」
シア姉がこちらを振り返る。
「いや……なんか、いつもと違う音がした気がして」
僕は正直にそう答えた。
風でも、葉でも、虫でもない。
もっと――人工的な、あるいは異質な音。
「ふーん」
シア姉は興味なさそうにしながらも、すぐに続ける。
「で、どっち?」
迷いなく聞かれ、僕はすぐに指を差した。
「……こっちの方」
その瞬間。
「おっけー」
軽い返事と同時に、シア姉はその方向へ歩き出した。
「いや待って、なんで行こうとするの!?」
思わず声を上げる。
「気になるから」
即答だった。
躊躇いも、警戒もない。
そのまま進んでいく。
「……はあ」
僕は小さくため息をついて、後を追うしかなかった。
隣に並びながら、文句を言おうとしたそのとき――
「誰かいませんかー!!」
声。
森の中に響く、大きな叫び声。
「……正気じゃないでしょ」
思わず呟く。
この森で、大声を出すなんて。
魔物に自分の位置を知らせているようなものだ。
でも――
その声には、はっきりと“必死さ”があった。
「行くよ」
シア姉は迷わず言った。
「……わかってる」
結局、僕も同じ判断をしていた。
二人で声のした方向へ進む。
少し進んだ先。
開けた場所に、一人の人影があった。
黒髪。
見慣れない服装。
この村では絶対に見ないような、整った黒い服。
その人物は、こちらに気づいた瞬間――
ぱっと表情を明るくした。
「よかった……人がいた」
安心したように呟きながら、こちらへ近づいてくる。
「大丈夫?迷子?」
シア姉が気軽に声をかける。
「うん……気づいたらここにいて……ここがどこか分からなくて……」
一気に話し出す。
本当に、心底安心した様子だった。
でも――
空はもう暗くなり始めている。
さっきあれだけ叫んでいたなら、魔物に見つかる可能性も高い。
「シア姉、もう帰ったほうが――」
そう言いかけた、そのとき。
「よし!じゃあ私たちの村に来る?」
「……え?」
まさかの提案だった。
その人は一瞬驚いたあと、ぱっと顔を輝かせる。
「いいの!?」
「いいよいいよ〜」
軽い。軽すぎる。
僕はすぐに口を挟んだ。
「シア姉、とりあえず早く帰ろ。暗くなる」
「うん、そおだね。急いで帰ろ」
あっさり切り替えた。
そして――
「あ!そうだ、名前。あとで教えてねー!」
言いながら、シア姉はもう走り出している。
「ちょっ……!」
僕も慌てて追いかける。
けど。
後ろを見ると、その人は明らかに遅れていた。
「……はあ」
僕は立ち止まり、戻る。
「ごめん、遅かったから……勝手に担ぐけど、大丈夫?」
そう言って、その人を担ぎ上げる。
軽い。
でも、慣れてないのか、少しバランスを崩している。
「だ、大丈夫……ありがとう」
息を切らしながらも、しっかりと返してくれた。
そのまま、僕は走り出す。
森を抜けて、村の端へ。
「遅いじゃんー!だいじょぶ?」
先に戻っていたシア姉が手を振る。
「……置いてくからでしょ」
思わず文句が出た。
その人は、今度は僕の方を見て心配そうに言う。
「すみません……大丈夫ですか?」
「いや、僕は――」
答えようとした瞬間。
「だいじょぶだいじょぶ!」
なぜかシア姉が割り込んできた。
「あ!!名前!」
勢いのまま詰め寄る。
「えーとね、私はルクシア!で、こっちがアルト!君の名前は!」
圧がすごい。
その人は少し戸惑いながらも、ちゃんと答えた。
「……僕は、星野悠真です」
不思議な響きの名前だった。
この村では、まず聞かない名前。
でも――
なぜか、少しだけ。
心に残るような名前だった。
そしてこの出会いが。
僕たちの人生を大きく変えるなんて――
そのときの僕は、まだ知らなかった。




